「政と官」カテゴリーアーカイブ

行政-政と官

やはり政策は官僚が決めている?

8月9日の朝日新聞に「コメ足りませんでした 農水次官ら、自民会議で謝罪」が載っていました。

・・・コメの増産に向けた政策転換について、農林水産省は8日、自民党の農林関係政策の会議で説明した。報道陣に公開された冒頭で、渡辺毅事務次官が「コメは足りている」と誤った主張を続けていたとして謝罪した。
渡辺次官は、コメ価格の高騰の要因を検証した調査により、コメ不足はないという誤った前提で行政を進めていたことが明らかになったとした。「この場を借りておわびを申し上げたいと思います。どうもすみませんでした」と述べ、ともに立ち上がった農水省幹部らと頭を下げた・・・

ここで見える構図は、米の生産目標設定とその管理は、官僚に権限と責任があるということです。農水官僚が自民党の部会に対して謝るのは、権限と責任が官僚にあって、政治家にはないということを示しているようです。政治における「官僚主導」は、まだ続いています。
ところで、農水省が謝る相手は、自民党でしょうか、国民でしょうか。

審議会、政治家の隠れ蓑?

8月6日の朝日新聞に「「6%ちょうどなんてダメ」決定権ない大臣の介入 最低賃金引き上げ、激しい駆け引き」が載っていました。
・・・最低賃金の目安は4日、過去最大の63円(6・0%)増の1118円で決着した。44年ぶりに7回に及んだ審議の舞台裏では「6・0%」をめぐる激しい駆け引きが繰り広げられた。
「6・0%ちょうどなんてないだろう。全然ダメだ。もう一声。これは政治判断なんだ」
4回目の審議会を終えた翌7月30日、永田町の庁舎を訪れた厚生労働省幹部に、賃金向上担当相を兼務する赤沢亮正経済再生相が言い放った。
審議会は、労使の代表と公益代表の有識者で構成する。赤沢氏に決定権はない。だが、公益代表をサポートする立場の厚労省側が示した内々の6・0%を、赤沢氏は上積みを求めて突き返した・・・
・・・審議会が15年ぶりの6回目に突入した今月1日、赤沢氏は経済団体の幹部を呼び、引き上げに理解を求めた。審議会とは別に、閣僚が直接要請に動くのは異例。関係者は「政府がやるなら審議会はいらない。勝手にやってくれ」と憤慨した・・・

ここで見えてくるのは、政治家か決めるべきことを、審議会に委ねている。いえ、審議会という形式を取りつつ、政治家が決めていることです。
私はかねて、最低賃金の決定を審議会に委ねず、内閣か国会が決めるべきであると主張しています。国民の利害が対立する案件は、政府が決めるべきです。なお正確に言うと、最低賃金は中央審議会は目安を決め、各県ごとの金額は厚生労働省の出先である各労働局長が決めます。よりひどい状態です。
最低賃金、政治の役割」「コメントライナー寄稿第6回

審議会で決めるようにしたのは、「関係者の意見を聞きました」ということとともに、官僚は責任を取ることができないので、「審議会が決めました」という体裁を取ったからでしょう。
かつて、審議会は「官僚の隠れ蓑」と言われました。審議会の裏で官僚が全てを仕切ることが多かったからです。現在の「政治主導」の下では、「政治家の隠れ蓑」と言うべきでしょう。

霞が関、国会対応業務時間

7月1日に、内閣人事局が、国会対応業務に関する調査結果を公表しました。詳しくは原文を見ていただくとして。
「最終の答弁作成着手可能時刻の平均」は18時32分、「全ての答弁作成が完了した時刻の平均は25時48分です。昨年までと、大きくは改善されていません。
質問が出そろうまで、多くの官僚は待機を余儀なくされます。そして、多くの官僚は質問が当たらず(空振りになり)、無駄な時間を過ごすのです。この調査結果は平均ですから、中にはもっと遅いものもあったはずです。

早期に退職する若手官僚や職場の現状に不満を持つ官僚の不満は次の三つでした。連載「公共を創る」第157回。
・ 生活と両立しない長時間労働がいつまで続くのか
・ 従事している仕事が国家・国民の役に立っているのか
・ この仕事で世間に通用する技能が身に付くのか

このような状況が変わらないと、官僚を目指す若者は少なく、採用されても早期に退職するでしょう。国権の最高機関において、このような事態が生じているのです。
国会議員たちは、どのように考えているのでしょうか。まずは、質問通告の遅かった議員名と質問概要を、公表することができませんかね。それに不満な議員は、理由を説明すれば良いでしょう。議員個人に責任がないなら、仕組みを変えてください。

反・忖度の元祖、和気清麻呂2

反・忖度の元祖、和気清麻呂」の続きです。
1 これを読んだ読者から、「ならば、和気清麻呂像は皇居の外れにおかず、首相官邸の前に移してはどうですか」という意見がありました。

2 中国古典に詳しい肝冷斎に、良い例がないか聞いてみました。以下、その返事の要約です。

「論語」等に出てくる「直言す」(はっきりいう)というコトバが近いでしょうか。しかし、和気清麻呂のような人については、「孟子」公孫丑篇上に出て来る孔子の言葉がぴったりくるのでは。

むかし、(わたし孟子の先生の先生であり、孔子の高弟である)曾子が(魯の有力者である)子襄に対して言ったそうです。
―わたしはかつて夫子(孔子)に、大いなる勇気(「大勇」)について訊いたことがあります。先生はこうおっしゃった、
「自ら反りて縮(なおか)らずんば、褐寛博(かつかんぱく)といえども吾おそれざらんや。自ら反りて縮(なお)ければ千万人といえども吾往かん」と。
「縮」は「直」なり、と注があります。
「自分で反省してみて正しくないと思えば、相手が粗末な服を着た庶民であっても、わたしはおそれおののかざるを得ない。自分で反省してみて正しいと思えば、相手が千万人いても、わたしは立ち向かうだろう。」

「大日本史」以来の清麻呂像を前提にすれば、中国歴代の諫官の伝統(例えば、漢の成帝に諌言して、退出を命じても宮廷の欄干につかまって離れようとせず、ついに欄干を折ってしまって「折檻」の語源になった朱雲、唐の太宗皇帝にたびたび直諫した魏徴)に沿って、清麻呂はまさに、「千万人といえども吾往かん」の人といえましょう。

反・忖度の元祖、和気清麻呂

数年前、官僚の行動を批判して、「忖度」という言葉が流行りました。忖度は、他人の心情を推測すること、また、それによって相手に配慮することです。安倍官邸に対する官僚の行動に関連して使われるようになりました。2017年には「新語・流行語大賞」の年間大賞に選ばれたそうです。

忖度という言葉は、かつてはあまり使われることなく、「配慮する」という表現が使われたと思います。忖度が使われたのは、配慮以上の行動をする、それも筋を曲げてまで行ったのではないかと考えられたからでしょう。そのような行為を「阿る(おもねる)」とも表現します。
「曲学阿世」という言葉もあります。中国古典の「史記」に出てくる言葉で、学問上の真理をまげて、世間や権力者の気に入るような言動をすることです。敗戦後、全面講和論を掲げた南原繁東大総長に対し、吉田茂首相は単独講和の立場から「曲学阿世の徒」と批判したことが有名でです。

皇居の東北、大手門の近く大手濠緑地に、和気清麻呂像が立っています。和気清麻呂は、ご存じの通り、奈良時代に天皇とそのお気に入りの弓削道鏡の意向に反して、正義を貫いた官僚です。
宇佐八幡宮から称徳天皇に対して「弓削道鏡が皇位に就くべし」との神託があり、和気清麻呂が宇佐八幡宮へ赴き、神託を確認することになりました。そして、道鏡が皇位に就くことに反対する神託を持ち帰り奏上します。清麻呂は左遷され、名前もひどいものに改名され、大隅国に配流させられます。後に道鏡が失脚すると、復権を果たします。
その2」に続く。