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行政-官僚論

まだまだ研究が必要

さて、公務員の評価について思うところを、5日間にわたって書いてみました。公務員改革の数量と仕組みの課題は、官僚論6に整理しました。今回は、その続きと考えてください。
官僚制について書いた本はたくさんありますが、公務員の評価問題について書いた本は、案外見あたりません。「公務員人事の研究」(山中俊之著、東洋経済新報社、2006年)くらいでしょうか。数年前まで、日本の官僚は世界一優秀といわれていたので、問題とならなかったのでしょう。これは、日本企業の労働慣行も同じだと思います。これまで良く機能したが故に、問題意識が少なかった、そして方向転換にも難儀しているということでしょう。
しかし、日本の官庁は、民間企業とも違う仕組みです。さらに言うと、地方公共団体とも違う、独特の仕組みです。諸外国の公務員制度と、どこが違うか。それ以前に、日本の民間企業とどこが違うか、研究する必要があるようです。これまでは、官庁と企業の両方で人事を企画運用した人がいないので、その違いを分かる人がいなかったのかもしれません。また、官僚には、人事制度の企画・運用のプロがいません。学者の方は、自ら人事をしたことは少ないでしょうし。

今回も、大胆な割り切りで解説しました。私の勉強不足の点を、ご教示いただけるとありがたいです。

27日の読売新聞論陣論客は、「公務員の天下り規制」でした。丹羽宇一郎伊藤忠会長と、森田朗東大教授の主張が載っています。私は、お二人とも、故あって親しくしていただいています。このような商売をしているおかげですね。よって、今回は私の意見は差し控えます。もっとも、これまでに、私の意見は言っていますね(笑い)。
それぞれの方に、それぞれの意見や考え方がある。これが社会です。その意見を調整し、結論を導く。それが政治です。みんなの意見が一致しているとか、最初から結論があるのは、政治ではありません。また、みんなで得た結論が、将来振り返ってみて「正しい結論」であるとも限りません。これが、正しい真理がある自然科学と、「正しい」と関係者が考える結論を見いだす過程である政治との違いです。日本人は、どうも「正しい結論がある」「最後は水戸黄門さんが、結論を下してくれる」と思っているようです(外国がどうかは知りませんが)。

トップ・ダウン

もう一つ、これに関連する、役所での仕事の仕方の特徴があります。ボトム・アップです(私は、日本の官庁は必ずしもボトムアップで仕事をしているとは考えていませんが、そういう解説が多いので)。しかし、ボトム・アップ方式が機能を発揮するのは、目標や方向がはっきりしていて、それに沿って仕事が行われている時です。そもそも、組織の目標設定は上司、いいえそのまた上司の仕事です。そして、部下職員への仕事の割り当ても、上司の仕事です。それらは、トップ・ダウンで決めなければなりません。もちろん、部下の意見を聞くことがあっても良いですが、責任を持つのは管理職です。トップ・ダウンでないと、有効にできないと思います。不要な仕事の廃止、事業の方向転換も、トップ・ダウンでないとできません。

発展途上国の終了

なぜこれまで、ここに述べたような仕組みで、日本の官僚制はうまくやってこれたのでしょうか。そして今、機能不全になったのでしょうか。それは、日本がこれまで、発展途上国だったからです。その時代は、それぞれの組織が、仕事と組織を拡大すれば、それが日本の幸せにつながりました。予算や人員の増加が、そのまま成果につながったのです。予算と人員、作った法律の数という「入力」で評価しても、そんなに間違いではなかったのです。しかし、もはや無邪気な拡大・膨張で、社会が良くなる時代は終わりました。限られた予算と人員で、どれだけの成果を出すか。これが大きな課題なのです。
入力の評価から成果の評価へ、変えなければなりません。しかし、それができていない、できない仕組みなのです。これまでは、拘束時間で給料を払う仕組みでした。しかし、成果で給料を払う仕組みに、変える必要があります。
先に、組織に目標がなかったと、書きました。これも、ここに関連しています。目標がなくても良かったのは、発展途上国の時代は、それぞれの組織の向かうべき方向がはっきりしていたからです。欧米に追いつくように、事業を拡大すれば良かったからです。よって、目標は要らなかったのです。しかし、経済成長が止まり、限られた予算と人員をどこに投入するか、これが大きな課題になりました。部門別の配分見直しを、しなければなりません。すべての部門が拡大すればいい時代は、終わったのです。縮小すべき分野を、決めなければなりません。部門間の評価は、政策評価ではできません(「新地方自治入門」p252)。

官僚の技能

人事が閉鎖型なので、職員はいろんなポストを経験します。もちろん、分野ごとに人事単位は分かれていますが、その中ではいろんなことを経験します。技官は専門分野がかなり細かく分かれていますが、事務官は幅広く経験を積みます。しかも、1年や2年で異動することが多いです。
それで、専門家になるのでしょうか。官僚の専門技能とは何なのでしょうか。官僚は政治家と違い、専門技術を持っていると期待されています。しかし、この技術とは何なんだろうか、という疑問です。
これまでは、法律を作ることから法学部、外国の文献を理解するために語学が主だったと思います。しかし、欧米に追いついたことから、官僚も「輸入業」では済まなくなりました。今後、国内の課題を拾い上げ解決する際には、課題発見・解決策検討といった政策能力が必要だと思います。そして、政策能力一般だけでなく、それぞれの分野の知識も必要でしょう。教育、福祉などといった分野です。専門知識は何も、道路や河川といった工学だけではないのです。
さて、公務員の評価に話を戻しましょう。公務員は、どれだけその専門技能で評価されているのでしょうか。これも私の疑問です。例えば、公務員の再就職のための「人材バンク」があります。課長以上の職員が登録し、引き合いを待つのです。しかし、これまでに、実績はわずか1名だそうです。これをもって、官僚には技能はないとは言いませんが、私を含め、自分の持つ技能で転職できる官僚は、そんなにいないでしょう(参照2006年12月5日の記述)。部下の管理能力や政治家との交渉能力が優れているといってもねえ。
これも、閉鎖型人事システムと、関連があります。開放型だと、そのポストに必要な技能を示し、その能力があるかどうかを試験して採用するでしょう。しかし、閉鎖型だと、そんな試験をしなくても済むのです。閉鎖組織の中で出世していく、外部との競争はない。すると、職員側にも、甘えが出るのだと思います。出世競争は技術能力でなく、人物競争ですから。自らの技術を磨かなくても、面倒を見てもらえると期待を持つのでしょう。
ここで言いたかったのは、職員に何を期待しているか。職員に期待されていることは何か。どんな能力・技術が期待されているか、という問題です。

採用・昇進の仕組み

もう一度、公務員の評価の問題に戻りましょう。職務内容書がなく、職員の業績評価がなくても、なぜ回っているか。人物評価だけで、選別はなぜできるか。それは、採用・昇進の仕組みにあります。
日本の官庁や多くの企業は、職(ポスト)に空きができると、組織内部から登用する仕組みです。人事異動の時期に、「××さんが退職するので、次は誰が上がって、その次は・・」と予想がされ、異動が発令されます。業界用語では「人事の列車」と呼びます。各人を客車にたとえ、先頭の人が動くと、その後が順繰りに動くからです。各人の間は、線で結んだり矢印でつなぎます。わかりやすいでしょ。この形を、閉鎖型(クローズド・システム)と呼びましょう。これと対照的なのが、開放型(オープン・システム)です。職(ポスト)に空きができた場合、組織の内部外部を問わず募集し、採用する仕組みです。
閉鎖型の場合、中途採用はありません。新卒一括採用し、年功序列で昇進し、退職金があります。開放型の場合は、これら3点セットはありません。閉鎖型は、職員が、組織に丸抱えされる仕組みです。組織に忠誠を誓えば、「悪いようにはしない」のです。採用時も、個人の持つ技術には着目しません。技術は、職場で、昇進の過程で身につけさせます。業績評価をしなくても、人物評価で選別し、昇進させればいいのです。これは、採用年次が幅を利かす社会になりがちです。しかし、開放型だと、そのようなことはあり得ません。閉鎖型は、外部の人との競争のない社会で、中にいる人には居心地の良い仕組みです。もっとも、内部では競争があります。
閉鎖型は、会社が職員を拘束する代わりに、生活を保障する仕組みです。よって、早期退職の際の、天下り斡旋もしてくれます。
大部屋主義は、個人の職務内容書がないので、閉鎖型になりがちです。開放型の場合、職務内容書がないと、外部からの登用は難しいです。やれなくはありませんが、細かいところは決めてないので、「委細面談」になります。仕事を商品と考え、労働を対価として、応募者は仕事を買いに行くと考えてみましょう。労働の売買契約書と考えるのです。その際に何をするか分からない職場は、内容を表示していない商品で、買う方にとっては危なくてたまりません。しかし、閉鎖型の場合は、仕事の内容は不明でも、会社は面倒を見てくれるので、安心できるのです。職員の自由がない代わり、自己責任がない仕組みです。文句を言ってはいけません。
少し議論が発散しますが、閉鎖型はみんなで仲良くのムラ社会であり、開放型はそれぞれの能力で生きていく狩猟民族といったらよいでしょうか。