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行政-官僚論

成果の少ない長時間労働

次に、課や職員の仕事の目標が設定されていないことが、長時間残業につながります。課としての達成すべき目標があいまいなので、いつまでに何をしたらいいのか不明なのです。課としての目標が明確なら、みんなでそれを達成すれば、帰宅できます。また、その場合は、仕事の遅い人がいても、誰が達成して誰が遅いかは、ある程度見えます。仕事の速い人は、さっさと片付けて帰宅してよいのです。しかし、それができないとなると、だらだら仕事を続けることになります。
また、課としての目標があいまいだと、部下の達成すべき仕事は、課長の考え・仕事の仕方に左右されます。部下は、「うちの課長は、次は何をするのだろうか」と心配するのです。
自分の課の仕事に自信のない課長が座ったら、部下は悲惨です。目標が不明確ですから、いろんなことに手を出し、ありとあらゆる想定問答をつくらせます。課長自らが書けばいいですが、そんな課長は、たいがい自分では書きません。また、目標と期限を示さず、部下に作らせるのです。
このような状況下での良い課長は、逆をすればいいのです。課の目標と期限を決め、部下に明確に指示する人です。その際、設定した目標と期限は、その上司(局長など)の了解を得ていること、外部の人にも分かってもらうものであると、なお良いです。そうでないと、後で仕事が増えます。
(霞ヶ関の場合、国会待機、翌日の国会質問が判明するまで待機することが、これに輪をかけます。これは、政治家と公務員の仕事の分担が、うまくなされていないからだと思います。)

組織単位でも目標はない

それなら、「大部屋ごとに業績を評価すれば良いではないか」という指摘が出るでしょう。「課や係で仕事が決められている」なら、それごとに評価をすればいいのです。しかし、課や係ごとに仕事は決められていますが、課や係で達成すべき目標は、たいてい決められていません。年度の初めに、あるいは人事異動で着任した際に、課長が上司から「今年度はこれだけを達成するように」と指示を受けることはまずないと思います。局長が就任に当たって、大臣から「これこれを達成するように」との指示書を受け取ることもないと思います。
「××の企画に関すること」「○○の運用及び改善に関すること」といった定め方では、仕事を決めていても、目標は決まっていません。何となれば、これでは達成したかどうか判定できないからです。
すなわち、課や局としてのさらには省としての、目標は設定されず評価はされていないのです。「あの課は良くやったから今年はボーナスをはずもう」ということはありません。
実は、職員に職務内容書が示されないのは、この組織にも目標がないこととも連動しています。課や係に業務の目標がなければ、個々の職員に目標を設定できないのです。もちろん、企画業務や内部管理業務の場合、目標設定は難しいです(民間企業の場合、どうしているんでしょうか)。数値にならない目標もあります。でも、「××プランを、9月までにつくり、市民に公開する」といったように、数値でない目標はあります。この場合、当然、プランをつくるだけでは達成でなく、内容が実のあるものでなければなりません。
それより問題なのは、「あの組織はもう目標を達成したから廃止しよう」ということが、ほとんどないことです。官庁では、これまで予算や定数・法律の数といった「入力」で評価されたので、「成果」では評価してこなかったからです。
近年、政策評価や行政評価が議論になり、取り組まれています。そして、これまでの入力評価でなく、効率や顧客満足度による評価に変わりつつあります。これは良いことです。しかし、これらも目標達成度という観点からは、まだ十分には機能しません。組織定数の査定も、せいぜい「忙しいから増やそう、暇そうだから減らそう」です。次回に続く。

公務員の評価・続き

職員に対し職務内容書を示さない、達成すべき目標を示さないので、その職員の業績評価はできません。学校でたとえるなら、習得すべき学習内容が示されないのです。よって、試験による成績はつけられません。例えば、3年生で覚えなければならない漢字とかかけ算とか、100点の内容が決まっていないのです。達成度試験はできません。すると相対評価になります。クラスの中で、よくできるかできないかです。テストでなくコンクールです。
(仕事の単位は人でなく課・係)
官庁の場合、大部屋で仕事をしています。個人ごとに達成すべき職務内容を示さず、たいがいは課や係単位で仕事が決められています。例えば、ある人がひとまず割り当てられた仕事を片付けたとします。その人は、帰って良いのでしょうか。これが、先に提起した問題です。その場合、まだ終わっていない人の仕事を手伝ってあげるのが、いい人なのです。組織として達成すべき仕事があるなら、みんなで協力して早く終わることが望ましいでしょう。大部屋主義は、融通が利くのです。これが日本型経営の、優れた点であったのです。
しかしそれは、各人の職務内容が明確でないことの裏返しです。各人の職務に融通が利くということは、各人の達成すべき仕事が伸び縮みするということです。物差しが伸び縮みすると、評価は難しくなります。このように、大部屋主義であることと職務内容書がないこととは、裏表なのです。

公務員の評価

今日は、評価について、考えていることを書いてみます。公務員制度に対する批判の一つが、「公務員の評価がなされていない」ということです。しかしこれも、実はあいまいな話です。議論を整理してみましょう。今回も、正確さを捨てて、わかりやすく大胆に切ってみます。
(昇進選抜のための評価)
実は、評価はされているのです。昇進について言えば、次官まで出世する人、局長までなる人、課長になる人、なれない人と、評価はされているのです。これは上級職だけなく、Ⅱ種Ⅲ種の人たちや地方公務員もそうです。そして、本人の不満や周囲の批判もありつつ、たいがいの場合は「やはりあの人が出世した」「あの人は無理だよな」と、落ち着くところに落ち着きます。このように、昇進の選別のための評価は、有効に機能していると思います。もっとも、これも物差しがないので「有効ではない」との批判があれば、水掛け論になりますが。しかし、評価がされていることは、間違いありません。
その際、問題なのが、官僚(国家公務員上級職と思ってください)の、同一年次一律昇進です。同期は、係長・課長補佐・課長と、ほぼ同時期に昇進します。職員採用勧誘パンフレットなどに、「入省後何年で係長」とか書いてありますね。そして、後輩年次との逆転は、まずは起こらないのです。もちろん、課長補佐でも、重要なポストかそうでないかの差はつきます。また、課長以降すなわち審議官・局長には、なれない人が出てきて、差がつきます。なれない人は、いわゆる天下り=第二の職場へ転職するのです。ポストがたくさんないと、このような一律昇進は難しいです。また、年次を超えた実力評価は、されていないということです(地方団体では、一律昇進は、まずは行われていません)。
全員を途中まで同じように処遇することで、みんなががんばるというメリットがあります。逆に早い段階で選別すると、ふてくされる人が出てきます。
(給料への反映)
これは、先日(1月25日の項)書きました。これまでは、給料・昇級・ボーナスに、そんな差はつきませんでした。その点、部下の成績で給料に差をつけることのできない管理職は、民間で言う管理職ではない、ということです。今年から、少し制度は改革されました。しかし、上に書いた「一律昇進」を続ける限りは、限界があります。
(仕事をさせるため)
官僚についていえば、「よく働いている」「残業もいとわない」という評価が一般的です。給料に差がつかなくても、昇進のために、あるいは信念でよく働くのでしょう。すなわち、評価が昇進選抜のためなら、今も機能しています。給料に差をつけるためなら、これまでは意味がありませんでした(仕事をしない職員にはどうするか。これは一律昇進で競わせる官僚とは、別の問題になります。昇進と給料でもっと差をつける=ムチをあてるのでしょうか)。
(何で評価するのか=100点は何か)
ここから、現場にいる官僚には、より大きな疑問が出てきます。これから評価を厳しくするとして、何で評価されるのだろうか。上司としては、部下を何で評価して良いのだろう、ということです。もっと直截に言いましょう。「与えられた仕事を片付けて、早く帰宅したらだめなのか」です。部下を評価する書類(様式)には、評価すべき項目が並んでいます。それはそれで意味があるのですが、職員の業績評価の一番の基準は、「与えられた仕事を達成したかどうか」でしょう。
しかし、各人には職務内容書(ジョブ・ディスクリプション)が示されていません。「あなたは、今年1年で、これこれの仕事をしなさい」(達成したら給料を満額払う。それ以上やったらボーナスをはずむ。しかし、達成しなかったら減額し、来年は降格する)とは、指示されないのです。何メートル走ったらゴールがあるのか、分からないマラソンをしているようなものです(定型業務、去年と同じようにやっておれば良い業務なら、わかりやすいですが)。
ゴールの分からない競争をするとどうなるか。上司としては、相対評価で評価するしかありません。「周りの人よりよくできる」です。それと組織への忠誠度です。和を乱す人は困ります。これらは、人物評価であっても、業績評価ではありません。人物評価と業績評価の二つは、別物なのです。もっともこれは官庁だけでなく、日本の多くの民間企業(内部管理・企画部門)に共通した問題だと思います。さて、これらの問題は、「大部屋主義」と連動しています。これについては、次回に。

給料に差をつける

いろいろと批判されている公務員制度ですが、少しずつ改革はされています。
今回実施されたのが、勤務実績の給与への反映です。これまでも、成績の優秀な人は、1年に1度の昇級が早まったり、ボーナスが多くもらえました。もっとも、実際の運用では、みんなに回るよう、ほぼ順番に当たり、差がつかないと言われています。平成17年の人事院勧告で、差をつけやすくするような改正が行われ、18年度から実施されました。その最初の昇級が、19年1月なのです。
まず昇級にあっては、毎年自動的に上がる普通昇級(1号俸分)と、15%の人に当たった特別昇給(1号俸分)を、一本化します。あわせて、これまでの1号俸を、4つに細分化します。そして、勤務成績がA(極めて良好。全体の5%)の職員は2号俸(新基準では8号俸)上がり、B(特に良好。全体の20%)は1.5号俸(新基準では6号俸)上がります。C(良好)は1号俸(新基準では4号俸)、D(やや良好でない)は0.5号俸(新基準では2号俸)上がり、E(良好でない)は上がりません。Eの人は、1年たっても給料は上がらないのです。また、ボーナスについても、良好(標準)の分を減らして、特に優秀と優秀の人の数を増やすのです。
かつて私が課長だったとき、民間の友人と給与制度の話をして、指摘を受けたことがあります。「部下の給料とボーナスを査定するのが、管理職である。部下のボーナスを査定できない全勝は、民間では管理職とは言わない」。それを聞いて、「そうか、僕は職員を預かっているだけか」と気がつきました。(平成17年人事院勧告のポイントp12、「2ー④ 勤務実績の給与への反映」)
もちろん、今回の改正も趣旨に添った運用がされないと、効果は出ませんが。私は指定職なので、この対象にはなりません。
これに関し、23日の日経新聞「私の履歴書」江崎玲於奈さんの経験を思い出しました。「IBM研究所では、トップ10%の人をグリーンと呼び、この人達は他社からのリクルートの対象となるので特に厚遇策を講じ、一方、ボトム10%の人をオレンジと呼び、いかに穏便に追放するかを考えるのである。これがいわゆるメリットシステムと呼ばれるもので、給料がこの順位と直接結びつくので、皆が大変真剣になることはいうまでもない」