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行政-再チャレンジ

沖縄の女性の困窮に立ち向かう

日経新聞夕刊連載「人間発見」、おきなわ子ども未来ネットワーク代表理事・山内優子さんの「母になる女性に寄り添う」は、沖縄の女性の貧困と子どもへの虐待、そしてその連鎖へ挑んでおられる報告です。11月16日の記事から。

11年8月、衆議院の沖縄・北方問題特別委に参考人として出席。米軍統治を「空白の27年」と指摘、子どもの貧困解消に向けた予算確保の必要性を訴えた。

招致されたのは、当時の沖縄県知事の仲井真弘多氏を含めた4人。特別委のメンバーには現首相の岸田文雄氏や現知事の玉城デニー氏がいました。仲井真氏は県が自由に使途を決められる3000億円規模の一括交付金の創設を求めましたが、私はその1%、30億円を恵まれない子どものために使ってほしいとお願いしました。
太平洋戦争で地上戦があった沖縄では4人に1人が犠牲になったといわれています。戦後は27年間にわたる米国統治です。米軍は基地拡大に突き進みましたが、学校や保育所、母子生活支援施設の整備には消極的。本土で保育所などが続々と整備されたのとは対照的で、まさに失われた27年でした。
復帰して50年間に投入された沖縄振興予算は総額で13兆円を超えますが、福祉に目を向けると施設整備を含め遅れたままです。観光がリーディング産業の沖縄では夜に働くニーズが多いのは誰もがわかっていたはずですが、行政は夜間保育所などの受け皿を満足に整えませんでした。
離婚した親の場合、子どもを自宅に残して働きに出ざるを得ません。その子は寂しさと好奇心から夜の街をうろつくようになります。そこで出会った相手と交際し、一部は経済力がないまま若くして妊娠、出産に至ります。沖縄ではこのような循環が断ち切れず、結果として何世代にもわたって貧困の連鎖が生じているのです。

15年、当時の沖縄・北方相による沖縄の子どもの貧困に関する懇談会に出席したときのことです。県外の有識者がキャリア教育の重要性を訴えたのには、驚きを通り越して危機感を抱きました。中卒後の進路未決定率が全国の3倍という実情とズレが大きすぎます。沖縄について何もわかっていない。
大臣に直談判し、沖縄のNPOの代表者らと改めて懇談してもらいました。切実な声が届いたか、内閣府から10億円の予算が付いたと聞いたときは天にも昇る心地でした。

児童相談所の業務急増

10月20日の日経新聞夕刊に「児童相談所 夫婦げんかも対応」が載っていました。
・・・児童相談所の負担が増している。厚生労働省によると、全国の児童相談所が2021年度に対応した件数は20万7659件(速報値)と31年連続で増え、過去最多を更新。子どもの面前での夫婦間のドメスティックバイオレンス(DV)も児童虐待ととらえられるようになったことが背景にある。児相の人手不足の解消や通告制度の効率化が急務となっている・・・

相談件数の急増は、父から母への暴力とその逆、夫婦げんかも子どもへの心理的虐待に位置づけられたことが大きいとのことです。この10年ほどで相談内容は大きく変わりました。6割が心理的虐待で、身体的虐待の24%をはるかに上回ります。10年前は、身体的虐待の方が多かったのです。
怒鳴り声を聞いた近所の人が警察に通報することで、児童相談所に通告が行くのです。夫婦げんかは夜に多いので、東京都の場合は夜間に業務委託会社が通告を受け、翌朝に児童相談所に報告し、児童相談所が対応を決めるとのことです。

しかし、訪問しても対応は難しいことが予想されます。詳しくは記事をお読みください。

チャイルドペナルティー

9月19日の日経新聞「出産・子育て不利にしない チャイルドペナルティーどう防ぐ」から。

チャイルドペナルティー問題は米プリンストン大学のヘンリック・クレベン教授らが19年に提起した。学歴等の性差が解消された先進国でも、なぜ格差が残っているのか。各国の統計データを分析し、出産するとあたかも罰せられるかのように収入が下落する状況が元凶だと突きとめた。

日本の状況は財務省財務総合政策研究所の古村典洋さんが厚生労働省「21世紀成年者縦断調査」を基に試算した。出産1年前の収入を基準とし、出産1年後は67.8%も減る。出産退職して収入がゼロになる人も含むので減少幅は大きめに出る。
ただ日本は他国に比べ落ち込みが大きく、その後の回復も緩やかだ。「日本では長時間労働ができないと評価されにくい。子育てに時間を割かざるを得ない女性は昇進・昇給で不利になる」と古村さんは指摘する。

保育所の機能拡大

9月15日の日経新聞夕刊に「保育所、子育ての多機能拠点へ」が載っていました。

・・・親が希望しても保育所に入れられない待機児童が2022年4月、全国で2944人と過去最少になった。施設整備が進んだうえ子どもの人口が減り、希望すればみな保育所に入れる時代が目前に迫っている。そこで課題になるのが余力のある保育所をどうするかだ。これまでの就労家庭への支援施設としての役割を捉え直し、地域全体の子育て支援に役立てようとする動きが広がりつつある・・・

事例として、仙台市の保育園が子ども食堂を行っていることが紹介されています。園児でなくても、18歳以下の子どもを育てていたら利用できます。大人は300円、子どもは無料です。

親が働いていたりして子育てが難しい場合に子どもを預かるのが、保育所の役割でした。しかし、子育て支援という視点に立てば、困っている親は他にもいます。次のような支援を期待します。
・働いていない親でも、週に何回かは預かって欲しい。
・子どもが熱を出した場合。
・障害がある子どもの支援。
・相談する相手がいない親への支援。

「生きづらさ」言葉の功罪

9月7日の朝日新聞オピニオン欄「「生きづらさ」言葉の功罪」、貴戸理恵・関西学院大学准教授の「他者とつながる足掛かり」から。

かつて、女性、障害者、不登校者などマイノリティーとされた人は、「障害者は劣っている」「学校に行かないことは悪い」とまとめて差別され、その苦しみを分かち合うことができました。社会の無理解は深刻で、変革のために連帯する必要性も明らかでした。
ところが今は、少なくとも建前のうえでは「多様なライフスタイルを承認する」とされ、同じマイノリティーだからといって、共通のしんどさを抱えていることを前提にできません。「30万円稼ぐようになった引きこもりの男性」のように、「弱い立場だったけど生産性がある人になった」話も流通している。だからマイノリティーであることを「言いわけ」にできず、「苦しいのは自分のせいだ」となってしまう。

もちろん、多様性が認められるのは重要です。でも、市場的な価値が重視されるなかで共同性が失われ、孤立感を持ちやすくなることには、注意が必要だと考えます。
そうしたなかで、個人の「苦しい」というリアリティーを表現できる言葉が「生きづらさ」なのでしょう。自分の個人的なストーリーをその言葉に乗せることで、ようやく他者に語ることができる。
これは現代的な現象だといえます。自分だけでなく多くの人がしんどいのに、共通の問題は見えず、「自分のがんばりが足りないからだ」と個人的に抱え込まされる。その結果、苦しみを主観や身体性に根ざして表現せざるを得ないのです。「生きづらさ」が多く使われている背景には、個人の苦しみを自己責任だと思い込まされるような状況があると思います。

「生きづらさ」という言葉は困難を個人の問題にしてしまう面があることは確かですし、しんどさの原因となっている社会構造を問うことも必要です。でも、この言葉のよいところは、「自分で語る足掛かりになること」だと私は思っています。
参加者が自分の生きづらさを語り合う場に10年以上関わっています。互いの話を聞きあうことを通じて、「自分だけの問題じゃない」という実感が積みあがっていきます。就労に結びつくなどの具体的な変化もありますが、一番大切なのは、しんどさを通じて他者とつながる「孤立の回避」です。