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行政-再チャレンジ

「おもてなし」はもうおしまい

5月7日の朝日新聞グローブ278号「川口市 日本一外国人が多い街」、鈴木暁子記者の「「おもてなし」はもうおしまい」から。

・・・「おもてなしの国だからか、日本は外国人をお客さん扱いしようとしてしまう。外国人が活躍できる環境を整えることができずにきたことが川口の一番の課題です」と市協働推進課の竹内和寿が話していた。「短期滞在で来た人に心地よく住んでもらって帰すのではない。共生しないといけないのに共存レベルで終わっていた」

外国人は地域社会に貢献している。税金だって納めているし、日本人が就きたがらない仕事を担ってくれている。川口市の外国籍住民の年齢構成を見ると、働き盛りの20〜40代が約68%を占める。一方、日本国籍の住民では同年代は約38%しかいない。日本の将来は外国人抜きには成り立たない。

私が生まれた西川口の病院では今日も様々なルーツの子どもが生まれている。同郷の子どもたちが差別やつらい目にあうことなく、夢を持って育ってほしい。「異次元の少子化対策」に必要なのは、誰もが家族と安心して、生きがいを感じながら暮らすことのできる環境をこの国に作ることだ。「なにじん」かは関係ない・・・

引きこもり、家族内での解決には限界

5月6日の朝日新聞くらし欄「ひきこもり146万人:5」「家族内での問題解消に限界」、明治学院大・関水徹平准教授へのインタビューから。

国の調査で、ひきこもっている人(15~64歳)が全国に推計146万人いることがわかりました。明治学院大の関水徹平准教授(社会学)は、調査結果を読み解きながら、「ひきこもりは、家族主義の限界点」だと言います。その理由を聞きました。

――今回の調査で、コロナ禍が原因でひきこもり状態になったと答えた人が約2割でした。
ひきこもりと聞くと一般的には家や部屋から出ない状態がイメージされると思いますが、この調査では、仕事や学校に行っておらず、社会参加の場が限定されている多様な状態を「ひきこもり」ととらえています。
前回調査でも今回調査でも、家や部屋から一歩も出られない人は少なく、多数派はコンビニや趣味の用事では外出していました。コロナ禍でますます、外出頻度だけに着目していては実像が見えなくなってきました。
今回調査でも、ひきこもり群の大半は、家庭・学校・職場のいずれも居場所だとは感じられないと回答しています。本人の自己否定感や社会のどこにも居場所がない感覚、働きづらさに注目する必要があります。

――前回調査では40~64歳だった対象年齢を、今回は10~69歳に広げました。
例えば10代の不登校なら学校教育のあり方、大人のひきこもりなら労働市場のあり方や精神医療や社会福祉への偏見なども関わっていて、世代によって社会的な背景が異なります。ひとくくりにすることで、見えなくなる部分があります。
「ひきこもり」という言葉が政策や調査の文脈で使われるとき、それは個人の行動や家族内の問題としてとらえられがちです。社会参加の難しさを生み出す背景、例えば「フルタイムの正社員」で就労しないと生活が安定しないといった社会構造や社会保障制度の問題が覆い隠されてしまいがちなのです。

――それによって、どんな問題が起こりますか。
家族を唯一の支援のリソース(資源)としてしまうと、親は子どもに就学や就労のプレッシャーをかけてしまい、当事者はますます親に対するネガティブな感情を抱いてしまいます。私がひきこもりの調査を始めた2006年ごろ、当事者たちの多くが「家族と関係が悪いのに、家族にしか頼れない状態にある」と気づいた時、この問題の核が一つ見えた気がしました。

――海外でも、「Hikikomori」という言葉が流通していると聞きます。
欧州の多くの国々では、子どもが一定の年齢になると、法的にも親の扶養義務はなくなります。日本では、年齢制限がありません。だから、日本においてひきこもりは、「家族に頼っている」というイメージがセットになっているのだと思います。
途上国では、親族や地域のコミュニティーが生活保障の基盤です。一方の日本では、核家族を超えた親族や地域の助け合いという基盤は弱く、世帯は不安定になりやすい。以前はそれを補ってきた企業福祉も縮小し、限界が来ています。

外国籍児不就学8千人以上も

4月下旬に各紙が、外国籍の子どもの不就学実態を報道していました。例えば4月23日の朝日新聞「外国籍8千人超、不就学か 小中学校通う年齢 文科省調査

・・・小中学校に通う年齢の外国籍の子どものうち、昨年5月時点で8183人が学校に通っていない可能性があることが、文部科学省の調査でわかった。昨年の調査から約1800人減った。2019年に初めて調査した時の約2万人からは大幅に減ってきているものの、外国籍の子どもが教育を受けられる体制は、まだ不十分な状況にある。
日本では、外国籍の保護者には、子を就学させる義務はない。しかし文科省は、国際人権規約などを踏まえて、希望があれば受け入れるよう、各教育委員会に求めている。

住民基本台帳上で小中学生に当たる外国籍の子どもは13万6923人(昨年5月時点、前年比3613人増)。文科省は全国の市区町村教委に、就学実態の把握状況を聞いた。
外国人学校を含む学校に通っていない子は778人(同129人増)。台帳に記載があり、家庭訪問などをしたが、不在などで就学状況が不明な子は6675人(同1922人減)、台帳に記載があるが、教委が状況を把握していない子は730人(同70人減)だった・・・

「まったき個人」人間観が生んだ問題

4月19日の朝日新聞夕刊「「見えない世話役=女性」、問い直して 東大大学院教授・林香里さんに聞く」から。私が主張している、「近代憲法は自立した市民を前提としていたが、その後は、みんながみんな自立できるわけではないことを発見する歴史だった」と通じます。

・・・私が重要だと思うのは、「社会的弱者を取り残さずに手を差し伸べる」という価値観を重視する「ケアの倫理」の考え方です。近代以降、「まったき個人」という自由主義的な人間観や、そんな価値観を持つ男性が様々な制度を作ってきた。でも、いつでも合理的な判断を下し、自分の人生を決定できる人間なんてあまりにも現実離れしていませんか。もし、「自分でキャリアを選択した」と言っても、多くの場合、その決断の裏には世話を担う家族(母や妻)がいる・・・

・・・家族や「イエ」(家制度)の概念は、血縁による「自然な」共同体だと思われています。だからこそ、こうした問題を隠しやすい。妻がケア労働をし、夫はお金を稼ぐという構図の根拠を「イエ」や血縁に求めると、男性中心社会において自由主義的な議論がしやすいのです。「イエ」は、自由主義が喧伝してきたメリトクラシー(業績主義)や競争主義を広め、発展させる基盤であり、燃料でもあったと思います。
いま、同性婚や夫婦別姓を求める声が増えています。家族の価値観はすでに変わっているのだから、制度を変えていく必要があるのではないでしょうか。
私が考える家族とは、自分の親密な部分を見せ、打ち明けられる空間です。人はありのままの自分を受け入れてくれる他者を必要とします。決して一人では生きていけない。だから、例えばLGBTQ(性的少数者)の人が、みんなと同じように結婚し、自分の家族が欲しいと思うのも自然なことです。それが新しい時代の「家族」だと思います・・・

子どもが幸せに育つ社会

4月1日から、こども家庭庁が発足しました。4月6日の朝日新聞に「幸せに育っていける社会へ」という特集が載っていました。関係する指標が、10年前、5年前、直近と比較して載っています。

・・・日本の子どもの心の幸福度は、先進国で何位か。
答えは、下から2番目だ。
ユニセフ(国連児童基金)の研究所が2020年にまとめた報告書で、日本の子どもの「精神的幸福度」は、先進38カ国で37位とされた。各国の子どもの生活の満足度や自殺率を比較した結果だった。

大人にとっては目を背けたくなるデータかも知れない。子どもと若者が年々、厳しい状況に追いやられていることは、国内データも物語る。
「3・5倍」
10年前と比べて、児童相談所が対応した虐待の相談件数は、これだけ増えた。5・9万件(11年度)から20・7万件(21年度)に達している。過去最多だ。
「1・5倍」
これも10年前と比べたもので、自殺で命を落とした小学生、中学生、高校生の人数の増加率だ。12年に336人だったが、22年は514人に増えた。少子化と言っているそばで、過去最多になった。
「3・9倍」
これは、いじめのうち生命、心身、財産に重大な被害が生じた疑いのある重大事態の件数がどれだけ増えたかを示す数字だ。データを取り始めた13年度の179件と、21年度の705件を比べた。
個々の体験に耳を傾けると、困難に直面した子どもたちの中には「たすけて」が大人に届かず、こぼれ落ちる現実も見える・・・