カテゴリー別アーカイブ: 再チャレンジ

行政-再チャレンジ

子どもの時に受けた心の傷

7月28日の朝日新聞夕刊「幼少期のトラウマ、アスリート学生に影 天理大学生相談室・金子栄美さんに聞く」から。これは、運動選手に限ったことではないですよね。

自傷行為に走る、大事な試合で実力が出せない――。そんな状況に陥るスポーツ選手は、子どもの頃に身体的、精神的、性的な暴力を受けたトラウマ体験を抱えていることがあると、研究で指摘されている。アスリート学生の相談を受けてきた天理大学生相談室・金子栄美さんは、その実態を見てきた。アスリートは、暴力や暴言にも耐えるものだという思い込みがあることも感じたという。

カウンセラーで臨床心理士の金子さんのもとには、オーバートレーニング症候群など心身の不調を訴える人から、リラックスしたいという人まで、さまざまな人が訪れる。
相談室を訪れた1人のアスリート学生は、「ベストタイムが切れないんです」。順調に練習を積んでいるにもかかわらず結果が出ない。
カウンセリングをじっくり進めているうちに、小さい頃、親に告げずに外出して、顔を殴られたというトラウマがあることがわかった。本人もこれまで閉じ込めていた記憶だった。このトラウマのケアをしていくと、肩の動きを悪くしていた筋緊張がなくなり、競技でもベストを出すことができたという。

別の学生は、なぜか自分に自信が持てない。周りの人に「それだけ俊敏に動けて、技術もあるのになぜ勝てないのか」といぶかしがられるくらい、あと一歩というところで思い切ったプレーができず勝てなかった。中学生の時、「どうせお前には無理」と指導者に言われ続けたことがトラウマになっていた。
もう1人の学生は、ある時から突然、調子が悪くなり、イライラが募るようになった。家族や周りの人ともちょっとしたことでケンカをするようになった。カウンセリング中に、過去にいじめられたことや指導者の不適切な対応がトラウマ体験となっていたことに気づいた。ケア後、格段に動きが良くなった。急な変化に周りも驚いた。

子どもに放課後の居場所を

7月25日の日経新聞、平岩国泰・放課後NPOアフタースクール代表理事の「子どもに放課後の居場所を 選べる場、自己肯定感増す」から。

諸外国に比べて低い日本の子どもや若者の自己肯定感をどう高めるか。特定NPO法人「放課後NPOアフタースクール」(東京)の平岩国泰代表理事は学校の取り組みには限界があり、放課後の居場所を充実すべきだと訴える。

小中高の学校現場は夏休みに入った。夏休み明けは子どもの自殺が多い。昨年は小中高生の自殺が年500人を超え、過去最多となった。主要7カ国(G7)で10代の死因の1位が「自殺」なのは日本だけである。
小中高生の自殺の4割は学校・学業起因とされる。若者の数が減る中で、自ら命を絶つ人が増えている現状は胸が苦しくなる。
この問題に関連して指摘されるのが日本人の若者の「自己肯定感」の低さだ。内閣府の国際比較調査(13〜29歳対象、2018年)によると「自分自身に満足している」と答えた人は45%しかおらず、最も高い米国の87%はもとより日本の次に低い韓国74%と比べても極めて差が大きい。

私が代表理事を務めるNPO法人は小学生の放課後を支える活動をしている。その柱が「アフタースクール」の運営だ。放課後の小学校で毎日開校し子どもはいつ、誰でも参加できる。
学校施設を広く活用しスポーツ、音楽、ものづくり、料理、遊びなど多彩な活動から選んで参加できる。地域や社会の大人が「市民先生」として共に活動してくれる。
全国の自治体との協働にも取り組み、兵庫県南あわじ市などアフタースクールを全市的に導入するケースも出てきた。

15年以上活動してきて強く実感するのは「放課後と子どもたちの幸せは相性が良い」ということだ。放課後に自己肯定感を高める子もとても多い。なぜか。キーワードを4つ挙げたい。
1つ目は「居場所」だ。内閣府の子供・若者白書(22年度版)によれば、居場所の数が増えるほど自己肯定感が上がっていくことが分かっている。
2つ目は「余白」だ。今の子どもは生活に余白がなく、生き急ぐように見える。都会では特にスケジュールに追われる子が多く、週末の習い事を含め週に7日予定がある子が少なくない。放課後の活動中に「次にどうしたらいいの?」と聞いてくる子や「どう過ごしたい?」と聞くと「わからない」という子も多い。子どもが試行錯誤する時間がないのだ。
3つ目が「伴走者」だ。自己肯定感は1人で自動的に育まれるものではなく、自分を受け止めてくれる存在があってこそ高まる。
子どもの支え手である親・先生はとても忙しい。そこで私たち市民の出番だ。アフタースクールの市民先生が子どもを支える姿をたくさん見てきた。市民先生は子どもに伴走的に寄り添い、ほかの子と比べない。
4つ目が「貢献感」だ。小学校を卒業する6年生が以前語ってくれた。「アフタースクールには低学年の子がいて自分が相談相手になれた。ここでなら私が役に立つと実感できて、私がいていい居場所があった」
同学年の教室では誰かに貢献できることは少ない。ゆえに異年齢の子がいる環境は重要だ。何かをしてもらうばかりが子どもではない。「自分も誰かに何かができる」ことに気づいた子が成長の一歩を踏み出す。

居場所・余白・伴走者・貢献感、4つのキーワードがまさにそろうのが「放課後」だ。だからこそ子どもたちの幸せと相性がよい。小学校低学年では学校は年1600時間、長期休みを含む放課後は日曜日を除いても年1600時間以上ある。放課後は長いのだ。

男女共同参画白書、令和モデル

7月6日の読売新聞解説欄に「男女共同参画白書 「令和版」社会モデル 模索 働き方多様化 変革の好機」が載っていました。

・・・内閣府は先月、2023年版男女共同参画白書を発表し、目指すべき社会像を「令和モデル」として提唱した。実現すれば国の成長につながるとした。長時間労働などを前提とした「昭和モデル」からの脱却を促すが、新しいモデルを社会の共通認識にするための対策が必要だ。

白書は毎年、社会のあり方を提言してきた。昨年、結婚と家族をテーマにし、「もはや昭和ではない」と訴えたが、今回はそこから一歩進めた形で、「令和モデル」と命名した。誰もが希望に応じて仕事や家庭で活躍できる社会をいい、男性の長時間労働是正や女性の家事・育児の負担減などの必要性を記した。
あえて「令和」と掲げたのは、今も残る「男性は仕事、女性は家庭」といった古い考え方や雇用慣行を「昭和モデル」として対比させ、脱却を訴えるためだ。
白書では、昭和の高度経済成長期に確立された長時間労働や転勤を当然とする雇用慣行が今も続き、女性に家事・育児の負担が偏っていると指摘。仕事、家庭の二者択一を迫られる状況は、労働力人口減少が深刻な中、少子化や経済成長の面で損失が大きいとした・・・

・・・背景には、家族構成の変化に加え、若者が理想とする生き方が大きく変わってきている実情がある。
18〜34歳の未婚男女が描く結婚後の女性のライフコースは、1987年は「専業主婦コース」が主流だったが、平成には、結婚や出産で退職し、子育て後に再び働く「再就職コース」が中心に。そして、2021年には結婚・出産後も仕事を続ける「両立コース」が初めて最多となった。また、子を持つ20〜39歳の男性で、家事・育児時間を増やしたい人は約3割に上った・・・

私が連載「公共を創る」やコメントライナー「一身にして二生を過ごす」で説明している、昭和の標準家族の終了です。

子育てや介護の評価、経済学の罪

6月28日の朝日新聞「ケア労働、報酬と評価を正当に 岡野八代さんに聞く」から。

・・・ケアワーカーとして働き続け、ひとり親として子育てや親の介護を担ってきた女性が、高齢期に経済的な苦境に陥ってしまう――。誰もがケアなしで生きられないのに、なぜケアは社会的、経済的に評価されにくいのか。同志社大学大学院教授で政治思想研究者の岡野八代(やよ)さん(フェミニズム理論)に、この問題の根底にある歴史的、社会的な要因について聞いた・・・

・・・ケア労働が市場経済のなかで軽視され、評価されないのはなぜか。いくつかの要因が重なり合っているが、まず資本主義の進展にともなう歴史的な背景があると思う。
資本主義経済で富をたくわえるには、商品である労働力をできるだけ安く確保する必要がある。そのために、労働力の再生産につながる家事や育児といった「再生産労働」はタダで、生物学的な「産む性」の女性が担うものとされてきた。
女性による再生産労働、つまり家庭でのケア労働は、経済的に評価されないまま国家と資本家に搾取され続けてきた。いまの日本でも、ケア労働を女性にタダで押しつける社会構造が根強く残っている。

次に、ケア労働は、自動車などの商品の生産活動と違って、何を作ってどんな価値を生み出しているのかが見えにくい、という特徴がある。つまり、市場経済ではその価値を測ることができない。
さらに保育や介護について言うと、そのサービスを利用する乳幼児や高齢者には、サービスを提供する公的な制度を支える費用を支払う能力がないか、不足している。
サービスにかかる費用をどう見積もり、誰がどのぐらい負担するか、といった点は、常に政治の課題になる。ケアの提供者にいくら報酬を払うか、その値段は政治的に決まる。
ところが日本の政治家は、自分自身では家事も育児もしたことがないという男性があまりに多い。
自身はケアを担わなくてもよく、誰かにケアを押しつけておくことができる「特権的な無責任」の地位でいられる者が、ケア労働を過小評価している・・・

世帯単位の行政支援の見直しを

6月28日の朝日新聞「追い詰められる女性たち第2部3」「世帯単位の行政支援、見直しを 宮本みち子さんに聞く」から。

・・・ 内閣府によると、コロナ禍1年目の2020年度、配偶者などからの暴力(DV)の相談件数は18万2188件で、前年度の11万9276件の1.5倍になった。21年度は17万6967件となり、高い水準で推移している。
一方、22年の自殺者数は、女性は前年より67人増の7135人で3年連続の増加となった。コロナ禍でDVが深刻化したことが、自殺につながった可能性の一つとして指摘されている。
DV防止法施行から20年以上が経つ。DVは暴力による支配だと認識されつつあるが、増加傾向に歯止めがかからない。また、「男は仕事、女は家庭」という性別役割分担意識が、社会に根強く残る。不平等な状態で家族のあるべき姿を求めれば、立場の弱い人の生きづらさが増す。
こうした問題にどう向き合っていけばよいのか。放送大学名誉教授の宮本みち子さん(家族社会学)に聞いた・・・

・・・若い人たちの県外流出に悩む地方圏では、大学や女性が働ける職場を増やそうという議論は盛んだが、「なぜ女性は外へ出て行きたがるのか」ということをもっと考える必要がある。
なぜなのか。一言でいうと、都会のほうが女性にとって魅力があり、生きやすいからだ。
「暮らしやすい」ではなく、「生きやすい」がポイントだ。賃金が高いよい仕事が都会に多いという理由もあるが、単に仕事の問題だけではない。地方には自由がない、選択肢がない、女性差別が残っているということがある。
「そんなに地方は女性にとって暮らしにくいのですか?」とある地方の女性に聞かれたことがある。
「ここが暮らしやすい」と思っていたり、地方のライフスタイルを受け入れたりしている人は残り、それなりに満足している。だが、生きにくいと感じる人は外に出てしまっている。意外にもこの点に気付いていないのではないだろうか。

では、どうしたら地方で女性が生きやすくなるのか。
ありきたりかもしれないが、家庭や職場や地域社会で男女平等を進めることだと思う。女性が意見を自由に発言することができ、可能性を伸ばしていける地方圏をつくること。行政は、男女共同参画政策をより一層進めてほしい。
男性支配の構造が家庭内に根深く、暴力での支配が公然と行われている状況などは論外だ。また、女性を労働力として期待しても、経済的には支配し、身体的・精神的に拘束するというのも許されることではない。

コロナ禍での給付金をめぐって問題になったのは、家族は一体のものという暗黙の前提のもとに世帯単位で給付が行われた結果、夫が独り占めし、弱い立場の妻や子どもに届かないという例がさまざまな場所で確認されたことだ。
行政の支援においては、無条件で世帯単位にするのではなく、個人単位という観点を持たないと、犠牲者が生まれる。

支援機関の実態に関しても考えさせられることがある。実は、困った時に本当に力になってくれる相談機関は少ない。数自体は決して少なくないが、多くは、ただ相談を受けるだけの場になっている。
大事なことは直面する困難の解決に向け、伴走してくれる支援が必要だということ。困っている人に寄り添って、一緒に動いてくれる人や機関があれば、救いとなるだろう。だが、このような相談機関は限られており、しかもパンク状態。孤立する人々の救済のために、人とお金をもっと投入する必要がある・・・