1月14日の朝日新聞ウエッブ、砂原庸介・神戸大学教授の「「正しいこと」が難しい、大局観失うメディア 選挙で一喜一憂しない」の続きです。
―最近の政治や選挙に民主主義の危機を感じることは?
もちろん、あります。
民主主義の基盤として「他者への信頼」のようなものが重要です。他者への信頼を損なうかたちで意思決定が行われていくと、長い目でみれば民主主義を壊す可能性がある。
斎藤氏を支持したとされる立花孝志氏の手法にはその危険性があると思うし、選挙の勝者である知事がその関係についてあいまいなままにしておく判断が望ましいようには思えません。
でも、選挙だけが信頼を壊す原因ではない。マスメディアがやってきたことも含め、社会の基盤が徐々に損なわれていって、それを再構築するのが難しくなっていると感じます。
―「正しいことをする」が難しくなっている?
他の国と比べると、日本社会で少なくとも、ひとりひとりが自分の持ち場で「Right thing」を行おうとすることは、私はまだ維持されているように思います。
でも、他人の正しい行動にただ乗りするような行動が目立つようになると、「正しいことをすると損する」というように思う感覚が強まりかねない。それは望ましいことではありません。みんながそれなりに正しいことをしていることを前提に、自分だけ好きなことをしてメリットを得る人が目立つと、前提の方が揺らいでしまう。
「Do the right thing」は、一般の人よりも、責任と一定の権限を持っている人や集団ほど重要で、なぜそれが正しいのか、説明する責任があります。
その説明は、「唯一の正解」でなくても良いはずです。それぞれが正しいと考えていることを行ったり、説明したりしたうえで、定期的に社会として正しいとされることが行われているかを検証する。その機会が選挙であったり、メディアの相互検証だったりするのです。
難しくなっていると感じるのは、インターネットなどで主張が「言いっぱなし」になる、つまり適切な検証が行われなかったり、検証されてもそれが広く共有されなかったりしやすくなっていることがあります。
同時に、ひとたび検証が必要だとなると、「唯一の正解」が出るまで延々と説明を求めることも問題だと思います。実際そんなものがあるわけではないので、なるべく説明をしないでやり過ごそうと考える人も出てきます。
「正しいこと」には一定の幅があって、人によって異なる判断はありうるわけですが、そういうあいまいさを含む「正しさ」を維持するのが難しくなってきたように感じます。それが、民主主義の基盤を損なうことにつながっているのではないでしょうか。
――選挙結果を報道したり、分析したり、それをどうそれぞれが受け止めるのか。必要なこととは?
メディアの人もそうですが、一部の人が政治を好きすぎる、つまり政治に期待しすぎているのではないでしょうか。もちろん政治は人々の期待に応えて動くべきですが、それは誰か特定の個人の期待に応えるということにはなりにくい。
民主主義は、みなで決めることなので、少しずつしか変わっていかない。なので、一喜一憂するスタンスは、私は良くないと考えています。
トランプ次期米大統領が再選を果たした時、絶望的だと悲嘆する人も少なくなかったようですが、自分が投票した候補が負けたことで全てを失うわけではない。そんな熱量だと、報道のボルテージも上がる。変な盛り上がり方もする。
ポピュリズムの脅威を甘くみるのは良くない、という考え方は分からなくもない。ですが、自分と異なる投票行動を持った人たちはみな一枚岩ではないことを前提に冷静に結果を受け取る。そして日常では、それぞれが「Do the right thing」を心のどこかに留めることが大切なのではないでしょうか。
メディアは、SNS社会を背景とした分断がある時代だからこそ、期間中と結果で盛り上げるばかりではなく、普段からの政治報道こそ、きちんと考えるべきだと思いますし、個人的にはそれに期待したいです。