カテゴリーアーカイブ:著作

大震災から15年、共同通信による配信記事

2026年3月9日   岡本全勝

東日本大震災から15年ということで、いくつか取材を受けました。その一つ、共同通信社の記事が地方紙に配信され、紙面に載ったようです。例えば、岩手日報では3月2日付けです。藤沢烈さんの発言も載っています。

表題は「身の丈に合った復興を」です。次のような質問に答えました。
―東日本大震災を受けた政府の復興政策をどう振り返るか。
―復興事業の一部は過剰だったとの指摘も。
―当初、自治体の財政負担をゼロにしたため施設整備が誘発されたのでは。
―復興庁は2031年3月末に設置期限を迎える。
―防災庁は何をすべきか。

連載「公共を創る」第251回

2026年3月5日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第251回「政府の役割の再定義ー求められる働き方と暮らし方の改革」が発行されました。

省庁改革から四半世紀、そしてバブル経済崩壊から35年もたつのに、経済や社会の行き詰まりは解決されていません。その理由の一つは、課題が緩慢な変化によって引き起こされたことにあります。中長期的に緩やかに変化する場合は、急激な変化に比べ気が付きにくく、対策も遅れがちです。
「ゆでガエル現象」という言葉を、聞かれたことがあるでしょう。カエルを水に入れてゆっくりと温度を上げると、カエルは気が付かずに、そのままゆでられて死ぬという話です。実際には、カエルはどこかで跳び出すでしょう。この30年間の日本経済の停滞は、これによく当てはまります。ただし水温が上がったのではなく、温かいと思って浸かっていた風呂が徐々に冷めて冷水になったと言った方がよいでしょう。「冷めた風呂現象」とでも呼びましょうか。

議論のずれが生じた原因のもう一つは、国民意識や社会の仕組みが、目に見えにくいことです。例えば、日本で働く外国人が増えたことは比較的目に付きやすく、新聞でも写真付きで報道されます。それに対し、かつて職場に進出した女性たちの周囲との関係や、現在も子育て中の従業員が保育園への送り迎えなどで苦労していることは、写真では表面的なことしか表現できません。また、他者には分かりにくいのです。

それでは、私たちの社会の未来に関する議論、それに向けた制度や政策の取捨、改造といった問題は、誰が、どのような場で、どのように行っていけばいいのでしょうか。

連載「公共を創る」いよいよ「まとめ」へ

2026年3月1日   岡本全勝

連載「公共を創る」、第253回(3月26日号)の執筆を終え、ゲラになりました。
これで、本論を終えます。なんと253回です。約7年かかりました。よく続いたものです。自分を褒めてやりたいです(苦笑)。その間、丁寧に手を加えてくれた右筆にも、感謝しなければなりません。付き合ってくださった読者のみなさんにも。

連載が長引いたのは、書いていくうちに、次々と話題が頭に浮かんだこと。現実の社会と政治の動きを追いかけたこと。私の体験談を盛り込んだことが理由です。でも、学者の論文ではないので、抽象的より具体的な方がわかりやすいし、読者の反応もよかったです。

次回から、「まとめ」に入ります。どのように構成するか、悩んでいます。253回分を整理しなければならないのです。

連載「公共を創る」第250回

2026年2月26日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第250回「政府の役割の再定義ー気付きにくい経済と社会の実体的な変化」が発行されました。日本社会が、昭和の働き方から「男女共同参画で仕事も私生活も両立させる暮らし」への転換途中にあることを説明しています。

アジアやアフリカの発展途上国政府幹部に、日本の行政と社会の発展を講義する機会がたびたびあります。当初は、国と地方の行政制度と政策、経済発展と政府の役割を話していたのですが、彼ら彼女らと議論するうちに、日本が成功した要因は行政の有能さだけでなく、それが可能となった社会があったからだと気が付きました。
これまで政府は、モノやサービスの提供に力を入れてきました。しかし現在の大きな課題は、経済停滞と社会の不安です。地域の活力低下と少子化がその象徴です。政府の役割と政策を根本的に変える必要があることは、まだ多くの国民に理解されていません。官僚たちも同様です。モノや制度をつくることに慣れていて、意識や仕組みを変えることを、政府の役割とは理解できていないのです。
ところが、この変化は一部で現実のものとして進みつつあります。男女共同参画、子育て、働き方に関する社会の意識と仕組みは、この30年間に大きく変わりました。

第36回と第37回で「この国のかたち」を変えるためには、国民の意識と生活を変える必要があること、そしてその対象として三つを指摘しました。「国民の政治参加と社会参加」「働き方」「多様性と変化への覚悟」です。また、第149回と第150回で、戦後の日本政治と学問を規定した対立軸が過去のものとなったこと、しかし社会と政治の新しい対立軸の設定に失敗していることを指摘しました。そこで私は、現在の対立軸として、「非正規格差」、昭和後期には適合していましたが現在は足かせになっている社会の慣行についての「保守と革新」、排斥か包摂かという「多様性への対応」の三つを挙げました。これらについての認識と改革が必要なのです。
省庁改革では「この国のかたち」の転換に取り組みました。しかしその省庁改革から四半世紀もたつのに、そしてバブル経済崩壊から35年も経つのに、経済や社会の行き詰まりを解決しようという課題への取り組みは好転しないのか。それは、その後の議論が間違っていたからです。

ところで、「第4章 政府の役割再考」が100回になりました。執筆に着手する前に、大まかな構成を考えたのですが。書いていくうちに、どんどん広がりました。特に「3政府の役割の再定義」(第151回~)が、予想以上に膨らみました。こんなに多くなるなら、章を分割すべきでした。でも、もう少しで完結します。

連載「公共を創る」第249回

2026年2月19日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第249回「政府の役割の再定義ー国民の意識で変化する「この国のかたち」」が発行されました。

地方に若者が、特に女性が戻らないことが、日本全体の人口減少と連動しています。少子化を止めるためには、若い女性が地方に戻り、家庭を持って安心して子育てができるようにしなければなりません。日本全体の人口が増えないと、各地域で子育て支援金を増やしたりして人口の社会増に力を入れても、「限られたパイの奪い合い」、いえ「縮小するパイの奪い合い」になってしまいます。各地域ではそれぞれに工夫を凝らしながら、政府は全体の人口が増えるような最適解を考えなければなりません。

成果・結果から見ると、30年以上にわたる経済停滞は、経済・産業政策に失敗したという結果にほかなりません。また、地方の活力低下は、国土の均衡ある発展を唱えながら、それに失敗したということです。少子化も、かなり古くから指摘されていながら好転しないのは、これまでの取り組みが失敗だったということです。

非正規労働者にしろ、結婚しない若者にしろ、地方に戻らない女性にしろ、彼ら彼女らに主たる原因があるのではなく、そうせざるを得なくしている社会の側に問題があります。非正規労働者が雇用者全体の4割近くになっている状況で、「努力が足りない」とか「非正規雇用を選んだ本人が悪い」とは言えないでしょう。困っている対象者への支援はもちろん必要ですが、社会の側を変えなければ、根本的な解決にはなりません。
大都市に偏っている雇用の場。保育園の送り迎えが難しい長時間労働や長距離通勤。都会への憧れ。これらの仕組みと意識は、豊かになろうとした国民と企業がつくり上げたものです。多くの国民がおかしいと思いながら、そして住民が負担を感じながら出来上がり、国民は仕方なくそれを受け入れてきました。しかし、この仕組みと意義はもう役割を終えました。

日本が直面しているのは、「夫は私生活を犠牲にして職場で働く、妻は家庭を守る」という「昭和の働き方」から、「男女共同参画で、仕事も私生活も両立させる暮らし」への転換です。その昭和の働き方は、憲法が定めたものでも政府が主導したものでもありません。経済成長に邁進した国民と社会がつくったのです。
「この国のかたち」は社会の隅々まで行き渡り強固なものに見えますが、変化しないものではありません。例えば、日本の街は清潔できれいです。海外旅行から帰って来ると、実感します。ところが、かつてはそうでもなかったのです。また、日本社会は時間に正確です。鉄道は数分遅れただけで、お詫わ びの放送を繰り返します。学校や会社では「5分前集合」と教えられ、少しでも遅れると叱られます。これも明治以降のことのようです。