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連載「公共を創る」第252回

2026年3月13日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第252回「政府の役割の再定義ー求められる将来の日本を考えた政策議論」が発行されました。社会の未来を考え、つくり上げていく主体と方法について議論しています。前回までで、報道機関、非営利団体、研究者、企業、労働者団体への期待を述べてきました。

社会の未来に関して議論するに当たっては、一番の責任者は政治家です。この30年間の社会の停滞は、政治の議論の中での問題の設定を間違っていたことが最大の理由だと考えています。この国の将来像を示すことは、政治家の役割です。目の前にある無駄の撲滅にばかり取り組み、小さな政府を提唱しているだけでは、夢のある未来は想像できません。
政治主導が十分でないのは、「官僚主導」の負の遺産(代償)とも見ることができます。日本の政治は長く「官僚主導」(実際は与党との協働)が続いたこと、政治家が官僚に依存していたことから、その転換は順調ではありません。官僚主導という「この国のかたち」は、簡単には壊れないのです。省庁再編から25年が経つ今でも、官僚主導の時代を引きずっています。

議論の仕方についても、触れておきました。
異なる意見の人たちが考えをぶつけ合うだけでなく、将来の社会に向かって、互いが納得する結論を得ることが必要です。国会や地方の議会は、本来政治の議論の場ですが、決して成功してはいません。国会では、本会議にしろ委員会にしろ、多くの場合は、議員が政府の考え方を問い、その際に自説を述べることが多いのですが、それ以上に議論が深まりません。
そもそも議会や委員会などの場は、公開され現在進行で批判や評価がなされる場です。公開の場では、発言者、特に各種勢力を代表している者は、観客や視聴者、応援してくれている人たちを意識した発言をせざるを得ません。すると、妥協しにくいのです。別途、非公開の場で妥協点を探り、結論を出す必要もあるのでしょう。

コメントライナー寄稿第27回

2026年3月10日   岡本全勝

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第27回「東日本大震災から15年-未来への課題」が3月9日に配信され、3月10日のiJAMPにも転載されました。

2011年3月11日に東日本大震災が発生してから、早いもので15年が経ちます。1000年に一度の大津波と、経験したことのない原発事故が併せて起こりました。私は発災1週間後から被災者の生活支援に当たり、引き続き復興庁統括官や事務次官、福島復興再生総局事務局長として、10年近くにわたって復興に従事しました。

津波被災地では、約10年で復旧工事を終えました。400近くもの市街地や集落を、移転したり土地をかさ上げして造り変えたりする大工事でした。より大きな課題は、公共インフラを復旧しても、町のにぎわいが戻らないことです。商店が再開されないと住民は暮らしていけず、働く場所がない町には人は戻ってきません。そこで、国が事業再開を支援することにしました。災害復旧の哲学を、「国土の復旧」から「暮らしの再建」に変えました。
東日本大震災での教訓は、その後の災害に生かされています。しかし、予想されている南海トラフ地震では、東日本大震災をはるかに超える被害が想定されています。一つの課題は、復興にかかる財源です。

原発事故からの復興は、まだ道半ばです。放射線量が高く、避難指示を解除できないところもあります。廃炉作業の見通しは立たず、災害はまだ終わっていないのです。今後の道のりの長さを考えれば、「東電福島第1原発事故復興基本法」を作ることを提案しました。

大震災から15年、共同通信による配信記事

2026年3月9日   岡本全勝

東日本大震災から15年ということで、いくつか取材を受けました。その一つ、共同通信社の記事が地方紙に配信され、紙面に載ったようです。例えば、岩手日報では3月2日付けです。藤沢烈さんの発言も載っています。

表題は「身の丈に合った復興を」です。次のような質問に答えました。
―東日本大震災を受けた政府の復興政策をどう振り返るか。
―復興事業の一部は過剰だったとの指摘も。
―当初、自治体の財政負担をゼロにしたため施設整備が誘発されたのでは。
―復興庁は2031年3月末に設置期限を迎える。
―防災庁は何をすべきか。

連載「公共を創る」第251回

2026年3月5日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第251回「政府の役割の再定義ー求められる働き方と暮らし方の改革」が発行されました。

省庁改革から四半世紀、そしてバブル経済崩壊から35年もたつのに、経済や社会の行き詰まりは解決されていません。その理由の一つは、課題が緩慢な変化によって引き起こされたことにあります。中長期的に緩やかに変化する場合は、急激な変化に比べ気が付きにくく、対策も遅れがちです。
「ゆでガエル現象」という言葉を、聞かれたことがあるでしょう。カエルを水に入れてゆっくりと温度を上げると、カエルは気が付かずに、そのままゆでられて死ぬという話です。実際には、カエルはどこかで跳び出すでしょう。この30年間の日本経済の停滞は、これによく当てはまります。ただし水温が上がったのではなく、温かいと思って浸かっていた風呂が徐々に冷めて冷水になったと言った方がよいでしょう。「冷めた風呂現象」とでも呼びましょうか。

議論のずれが生じた原因のもう一つは、国民意識や社会の仕組みが、目に見えにくいことです。例えば、日本で働く外国人が増えたことは比較的目に付きやすく、新聞でも写真付きで報道されます。それに対し、かつて職場に進出した女性たちの周囲との関係や、現在も子育て中の従業員が保育園への送り迎えなどで苦労していることは、写真では表面的なことしか表現できません。また、他者には分かりにくいのです。

それでは、私たちの社会の未来に関する議論、それに向けた制度や政策の取捨、改造といった問題は、誰が、どのような場で、どのように行っていけばいいのでしょうか。

連載「公共を創る」いよいよ「まとめ」へ

2026年3月1日   岡本全勝

連載「公共を創る」、第253回(3月26日号)の執筆を終え、ゲラになりました。
これで、本論を終えます。なんと253回です。約7年かかりました。よく続いたものです。自分を褒めてやりたいです(苦笑)。その間、丁寧に手を加えてくれた右筆にも、感謝しなければなりません。付き合ってくださった読者のみなさんにも。

連載が長引いたのは、書いていくうちに、次々と話題が頭に浮かんだこと。現実の社会と政治の動きを追いかけたこと。私の体験談を盛り込んだことが理由です。でも、学者の論文ではないので、抽象的より具体的な方がわかりやすいし、読者の反応もよかったです。

次回から、「まとめ」に入ります。どのように構成するか、悩んでいます。253回分を整理しなければならないのです。