カテゴリーアーカイブ:社会の見方

変転経済

2007年6月2日   岡本全勝
2日の朝日新聞「証言でたどる同時代史」は、「賃上げ春闘の終焉」でした。高度成長期以来、「みんなで一緒に豊かになろう」と、春闘方式で給料を上げてきました。それは、労働組合が横並びで交渉し、賃金表を引き上げる(全員の給料が上がる)というものでした。ベースアップ=ベアです。それが、2002年に終わりました。
企業の業績が悪化したこと、企業間のばらつきが大きくなったこと、右肩上がりでなくなり、また業績評価の導入によって全員の賃金を引き上げることが難しくなったことが、背景にあります。
このような労組もまた、右肩上がりの時代の産物だったのでしょう。みんなで一緒に給料を上げようというのは、右肩上がりの時代でないとできません。給料のパイが大きくならないとき、そして年功序列・平等取り扱いが崩れ業績評価が大きくなると、そのようなことは続けることはできません。正規職員と非正規職員との間に大きな差がつくときに、正規職員を組織した労組は既得権擁護となります。パートや派遣が3分の1を占め、その人たちが労組に入っていません。労組の組織率が、20%を下回りました。しかも日本の労組は、産業別でなく企業別です。

介護の名付け親

2007年5月30日   岡本全勝

「介護」という言葉は、おむつカバーの会社が発案した名前で、商品登録もしてあるのだそうです(30日付け朝日新聞夕刊)。介助の「介」と、看護の「護」をつなぎ合わせました。1980年に考えて、1983年には広辞苑に載ったとのことです。しかし、使用料も取っていません。いまや、「介護保険法」と、法律の名前にまでなっています。すごいですね。

クールビズ3年目

2007年5月29日   岡本全勝

28日の朝日新聞オピニオン欄、鷲田清一さんの「クールビズ3年目」から。
クールビズはおしゃれだと見ていますか、との問には。
ノーです。なぜか。室温を28度にした、だから少しでも涼しい服装をする、ネクタイを外す。ファッションとはそういうものではありません・・クールビズは主張ではなく、横並びでしょう。みんなでやめればいいんだ、という。自分のスタイルの意識があってやめているのではない。みんながネクタイをしているから自分もしなければ、というのと同じなんです。みんなが、世の中がある方向を向いているから、自分もそれに合わせるというのは、流行現象ではあっても、おしゃれではないです。
そして、背広とネクタイ姿について、次のように話しておられます。
おしゃれでない人、ファッションにあまり関心のない人が、かっこよく見せることができるのが、背広にネクタイです・・ネクタイは男の唯一の装身具。おしゃれに自信のない人でも、これをつければしゃんと見える。その背広とタイの服装から、クールビズは大事なものを取ってしまう・・襟が立っているシャツ、胸のチーフ、シャツの色や柄・・・クールビズと言われている服の方が、背広とネクタイよりはるかにセンスを問われます
・・ファッションって、本来は世の中の大勢、メーンストリームとの距離感で決まるんです。大勢がこうなら自分はこうだ、と。
クールビズを実行している人たちにも、2種類あると思います。一つは、ネクタイを外せばいいんだという人たち。そこで止まってしまっています。もう一つは、背広並みにそれなりの緊張感をもたせたい、とおしゃれを意識するようになった人たち・・お仕着せの情報に頼らず、今まで以上に着るものに意識が行くようになったとは言えるんじゃないでしょうか・・・

成人年齢

2007年5月27日   岡本全勝

国民投票法が資格を18歳以上と定めたので、その他の成年年齢をどうするかが、課題になっています。25日の朝日新聞が、大きく解説していました。選挙権・被選挙権だけでなく、民法の成年、結婚の最低年齢、飲酒と喫煙、年金などなど、たくさん関係してきます。
何歳から「大人」と見るかということは、社会をどう構成するかという大問題です。個人によって「大人」になる年齢は差があるのでしょうが、法律はどこかに一律の線を引くのです。また、民事・刑事・行政など目的によって違った成年年齢があって良いのですが、なるべく統一されている方が、わかりやすいですよね。

変転経済

2007年5月26日   岡本全勝
朝日新聞連載「証言でたどる同時代史」、26日は「サラリーマン安泰の終わり」でした。1997年11月に破綻した山一証券を取り上げています。社長が記者会見で「社員は悪くございません」と泣いた映像は、その後何度も放送されました。
93年には、簿外の含み損が5千億円を超え自己資本に1,500億円ほど食い込んでいる、このままでは5~6年以内に破綻するとの報告書がまとめられていたとのことです。しかし、問題を先送りするサラリーマン幹部の体質が、致命傷になりました。自分が担当の時は損失を表面化させたくない、縦割り組織では自分の担当のところだけきれいにすればいい。右肩上がりの時は、それでも解決したのです。
「護送船団行政の下で、経営陣は大蔵省とうまくやるのが仕事だった。追いつけ追い越せとハッパをかけることはあっても、手腕を問われる場面はなかった」。市場は右肩上がり、社員も昇進と昇給、終身雇用が約束されていた・・
しかし、右肩上がりの時代が終わり、規制と保護の行政が終わったときに、この手法ではもたなくなったのです。サラリーマンにとって、会社は退職後も守ってくれる運命共同体ではなくなりました。その後、成果主義が広がり、労働者派遣が広がりました。