カテゴリーアーカイブ:社会の見方

交通事故死者数の減少

2010年1月3日   岡本全勝
一年間の交通事故死者数が、5,000人を下回りました。3日の各新聞が、伝えています。1952年以来、57年ぶりだそうです。ピークは1970年で、その1万7千人に比べると、3割にまで減っています。1980年代に1万人程度になり、2000年代になって徐々に減少していました。
道路の改良や信号の設置、車の安全性能の向上、シートベルト着用、交通違反の厳罰化などが、効果を発揮したのだと思います。また、交通マナーの向上も、事故の減少につながっていると考えられます。
社会全体での事故ですから、特効薬はありません。しかし、対策を積み重ねることで、減らすことはできます。半世紀も、かかりましたが。
もちろん、未だに5千人もの人が、亡くなっておられます。その人や家族にとっては、1万人であろうが5千人であろうが、かけがえのない一人です。また、年間の自殺者は、10年以上、3万人を上回ったままです。

明るい日本に、誰がするのか

2010年1月1日   岡本全勝
ところで、マスコミや識者が、しきりに「日本は暗い」「先行きが見えない」とおっしゃいます。近年の、はやり言葉です。しかし、私は、これが日本を暗くしている原因の一つだと、考えています。
もちろん、社会や政治の問題を指摘するのが、その人たちの仕事です。でも、悲観的なことばかりを言っていても、事態は好転しません。そして、良い面を取り上げずに、バランスを欠いた問題指摘は、国民に間違ったメッセージを送ります。
日本の経済が停滞していることは、事実です。しかし、世界第2位の経済力を持ち、中国に抜かれても第3位です。一人当たりGDPはかつての第2位から低下しましたが、なお19位です。他国と比較するなら、日本のどこが優れていて、どこが劣っているのか、そして何をすべきかを議論すべきでしょう。
現在の日本の不況は、外需とともに、内需の弱さによります。国民が多くの金融資産を持ちながら、消費をしないのです。それは、先行きが不透明と思っているからでしょう。悲観論は、それを、ことさらにあおっているのです。
自由、平等、安全、健康長寿、清潔、便利さ、社会資本、努力が報われるといった面で、日本は世界最高水準の国です。もちろん理想と比べれば、足らないところもあります。でも、そんなにだめな国なのでしょうか、日本は。
つい10数年前まで、ナンバーワンの国と自信を持ちながら、突然真っ暗かのようなことをいう。日本人も日本社会も、その間に、突然変異などしていません。自虐的な評論の方を、疑うべきです。
子育てをする時に、子どもの欠点ばかりを指摘するのが、良い子育てでしょうか。欠点は指摘しつつも、長所を褒める。褒めることが、子育てや部下育てのコツでしょう。
昨日の大晦日、久しぶりに、NHKテレビの「紅白歌合戦」を見ました。ごらんになった方も多いと思います。若い歌手の元気な歌と踊りを、どう思われましたか。
日本は、まだまだ捨てたものではありません。「今どきの若い者は・・」という言葉より、「いつも評論家は・・」という言葉の方が、当たっているかもしれません。批判と欠点の指摘ばかりを繰り返し、悲観論をまき散らす評論家は、やめにしませんか。
コップの水を見て、「もう半分しかない」とみるのか、「まだ半分ある」とみるのか、という議論があります。前者は、財産を食いつぶしつつある2代目の繰り言であり、後者は、次なる挑戦をしようとする前向きの姿勢でしょう。
悲観論だけでは、何も生みません。もちろん、裏付けのない楽観論も、空虚です。「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」は、フランスの哲学者アランの言葉だそうです。

現代の飲む・打つ・買う

2009年12月27日   岡本全勝
企業のコンサルタントの方に教わった、小話です。
かつての企業経営者には、飲む・打つ・買うを好きな人が、多かった。酒を飲む、ばくちを打つ、女を買う。現在の経営者も、のむ・うつ・かうを好むのは同じである。ただし、のむは、サプリメントを飲むこと。うつは、鬱。かうは、ペットを飼う、だそうです。
体調を優先して、サプリメントを飲む。お酒を飲んで身体をこわすのと、大違いです。うつが鬱なのは、わかりますね。悩みが多いのでしょう。ペットを飼うのは、家族に相手にしてもらえず、寂しさを紛らわせるためだそうです。う~ん。

持田先生・続き

2009年12月17日   岡本全勝

5 ナショナル・スタンダード
先生は、ここで、「ナショナル・スタンダード」という言葉を使っておられます。ナショナル・ミニマムという言葉は、よく知られています。「政府が国民全員に保障するべき最低限の公共サービスの水準」という意味です。(日本国憲法25条1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。)
これに対し、ナショナル・スタンダードは、最低ではなく、標準的な水準といった意味です。
私は、地方交付税制度を解説する際に、交付税が算定している(財源保障をしている)行政サービスの水準を、ナショナル・ミニマムではなく、ナショナル・スタンダードだと説明しました。
例えば、拙著「地方財政改革論議」(2002年、ぎょうせい)p80で、地方歳出の水準論として、この議論をしました。次のようにです。
・・国が定めている内容・水準と国が期待している内容・水準が、国の予算と地方財政計画に計上され具体化される。地方財政計画が含んでいる歳出内容・水準は、ミニマムというより、ナショナル・スタンダードと呼ぶべきものであろう。
法律では、地方交付税を「地方団体がひとしくその行うべき事務を遂行することができるように国が交付する税をいう」(地方交付税法第2条第1号)と定義し、また単位費用については「標準的条件を備えた地方団体が合理的、かつ、妥当な水準において地方行政を行う場合又は標準的は施設を維持する場合に要する経費を基準とし」(同条第6号)と定めている。ここでは「ひとしくその行うべき事務」とか「標準的」、「合理的、かつ、妥当な水準」という言葉が使われており、「ナショナル・ミニマム」や「最低限」といった言葉はでてこない・・
地方財政計画と地方交付税の歳出内容は、標準的=スタンダードであって、最低限=ミニマムではない・・・
ひょっとしたら、このような文脈で「ナショナル・スタンダード」という言葉を使ったのは、私が最初かもしれません。

持田先生・続き

2009年12月12日   岡本全勝
3 小さな政府・大きな政府論
GDP比で測ると、日本は国民負担では小さな政府、歳出では中規模の政府になります(差は、借金)。大きい小さいは、国際比較です。(財務省の資料をご覧ください)
でも、子供のいる家庭に給付金を出せば、それだけ全体の財政がふくらみます。同じ金額を各家庭に減税すれば、全体の財政規模は小さくなります。効果は同じでも、手法によって、財政規模は変わるのです。
もう一つの例を、出しましょう。自賠責保険です。自動車事故に備えて、強制加入になっています。でも、実際の保険は、民間会社に任せています。政府がしているのは、法律で強制することと、無保険者が起こした事故についての補償です。国が保険を直営するより、はるかに歳出規模は小さくなります。
それはさておき、行政学にこの議論を広げれば、単に財政規模の大小ではなく、「範囲」と「程度」と「効率」の議論になります。
政府がどのような問題まで引き受けるかが、「範囲」の問題です。かつて、高齢者の介護は、家庭の仕事でした。その後、福祉として介護サービスを導入し、さらに2000年には公的保険制度にしました。これで、政府の仕事は増えました。以前より、大きな政府になったのです。
次に、どの程度まで介護サービスを提供するか、これが「程度」の問題です。もちろん、サービスを手厚くすれば、負担も増えます。そして、大きな政府になります。
さらに、「効率」の問題があります。同じサービスをするのに、自治体が直営するのか、民間委託にして、安くあげるのかです。ごみ収集や学校給食など、市町村の直営と民間委託とでは、コストに2倍の差があると報告されていました。
もう一度介護を例に出すと、昔は行政が直営し、ホームヘルパーは公務員が多かったのです。しかし、介護保険導入に際し、介護される人が、民間サービスを選ぶ形にしました。
かつての「小さな政府論」は、行政改革としての効率化、多くは民間委託の推進でした。しかし、それは、今の議論で言うと、最後の「効率」の話です。
私は、これからの政府と自治体は、「引き受ける範囲は広いが、効率的でスリムな政府」になるべきと考えています。
4 地方交付税制度による「所得再分配」機能
先生は、次のように書いておられます。
「・・日本では、大都市と地域、また近代部門と農業などの伝統部門との格差が大きい。このため所得階層間ではなく、むしろ地域間、産業間を基準にした再分配のウェートが高い。地方財政調整制度によって、ナショナル・スタンダードでのサービス供給の財源が保障されている・・」
指摘の通りだと思います。
地方交付税制度は、自治体間格差だけでなく、結果として個人間の格差も調整してきました。生活保護などは直接、学校教育などは現物給付として、公共事業産業振興は雇用を通して間接的にです。
この点に関して、私はかつて、地方財政制度(補助金と交付税)の機能として、「地域間再配分と国民間再配分を分けて議論すべき」と発言したことがあります。(パネルディスカッション「都市対地方:財政、公共事業、一極集中の是非をめぐって」日本経済学会2004年度秋季大会)
(この項続く)