カテゴリーアーカイブ:社会の見方

メディアに踊らされ、妥協を許さない国民

2014年5月30日   岡本全勝

講談社のPR誌『本』6月号、加藤陽子先生と高木徹さんの対談「国際メディア情報戦と日本人」から。
・・加藤 国内向けの顔と海外向けの顔ということで言うと、歴史的に見て、日本人は中間案とか妥協案をつくるのがすごく不得意な国民だと思います。仮にそういう案でトップが決断しようとしても、国内が許さない。極端に言えば、0か100しかない。
1941年の日米交渉で懸案となったのは日中問題でした。日中間は、1937年以降ずっと交渉途絶だったように見えますが、裏面では蒋介石の許まで和平交渉のパイプは届いていました。しかし、すべて失敗に終わります。日本内部で軍や外務など政治主体の足並みが揃わなかったからです。
吉野作造は1932年10月3日の日記に、リットン報告書は、客観的に読めば、欧州の正義の常識を書いたもので日本にも十分宥和的な案なのだと書いています。けれども、国民としては、希望的な観測を書き散らしたメディアのせいで、ずっと良い案が出ると思っていたわけですね。ですから、トップが妥結しようとしても国民が許さない・・

時給の額だけでは、仕事は選ばれない

2014年5月20日   岡本全勝

日経新聞インターネット版5月20日「消える明かり「すき家」、バイト反乱で営業不能」が、興味深かったです。
・・景気低迷に覆い隠されていた日本経済の弱点が、白日の下にさらされた。労働力の供給が細る中、景気が回復して構造的な人手不足が露呈している。その影響をもろに受けたのが、牛丼チェーンの「すき家」。店舗が相次いで営業時間の短縮や休業に追い込まれた。人手が足りない上に業務量の増加が追い打ちをかけ、アルバイトが逃げ出した。多くの小売りや外食企業に、採用難の問題は野火のように広がる・・
・・それは異様な光景だった。
4月中旬の午後7時、東京都世田谷区にある牛丼チェーン大手の「すき家」桜新町駅前店。周囲の飲食店やコンビニエンスストアの照明が煌々と夜空を照らす中、この店だけは電気が消え、暗闇の中に沈んでいた。もちろん本来は年中無休・24時間営業の店舗だ。
「本日の営業は終了しました。申し訳ございません」。入り口の自動ドアに目を凝らすと、殴り書きのような貼り紙の文字が浮かび上がった・・
詳しくは本文を読んでいただくとして、p4に、商店街のアルバイトの時給が並べてあります。これも興味深いです。

新聞は社会参加を育てる。中央か地域か

2014年5月18日   岡本全勝

5月18日の読売新聞、廣瀬英治・ニューヨーク支局長の「米新聞、地域密着の道へ」から。
・・経営的には収入の多くを広告に頼るため、景気の変動を受けやすい。2008年のリーマン・ショックでも廃刊が相次ぎ、米新聞協会によると、日刊紙の数は2009年には1387紙と、2007年から35紙も減った。
新聞が公益を担うとすれば、廃刊で新聞が減った都市では市民の社会参加にも影響が出るはず―。米ポートランド州立大学(オレゴン州)のリー・シェーカー准教授(33)は今年、国勢調査を基に2008年と2009年で市民の社会参加にどんな変化があったか、全米の主要都市を比較した。
「公的な役員を引き受けたか」や「何かのボイコットに加わったか」など5項目の参加率を調べたところ、2008年に地元2紙中1紙が廃刊したコロラド州デンバー市とワシントン州シアトル市は、それぞれ4項目と2項目で大きな落ち込みがあった。
両市と規模などが似た8都市を見ると、大きな落ち込みは1都市の1項目を除いて見つからなかったことから、シェーカー氏は「新聞廃刊の影響が明らかだ」と結論づけている。新メディアが台頭しているが「紙で配られる新聞ほどには情報が届かないし、特に地域ニュースの発信源は今でも新聞」なのだという。
米国の新聞にそんな「公益」があったとしても、経営の難しさは変わらない。その中で、後年「あれが転換点だった」と言われるかもしれない動きがある。
米新聞協会の最新の統計(2012年)をみると、全体の発行部数が減り続ける一方で、日刊紙の数は前年より45紙も増え、ほぼ2007年並の1427紙に回復したのだ。どの新刊紙も、小さな地域紙として新しい役割を見つけようとしているようだ・・
この背景には、日本とアメリカとの新聞事情の違いがあると思います。日本では、大部数を発行する全国紙が主要な地位を占めています。一方、アメリカでは小さな地域紙が多いのです。日本では、1面は東京の中央政治と全国経済ニュースが占め、他のページでも多くは中央からの配信記事です。市町村での暮らしの近くのニュースは、載らないのです。
このことによる「意識の中央集権」について、拙著『新地方自治入門』p317以下で指摘しました。さらにここで指摘されているように、意識の中央集権だけでなく、地域での社会参加・政治参加をも育てないという弊害を生んでいるのだと思います。
どちらが良いとは、簡単にいえません。しかし、この新聞の状況が、国民の意識を作り再生産します。私は、他人に任せることができる中央の情報を「消費」するより、地域の情報に「参画」することほうが大切だと思います。しかし、参画はしんどくて、消費は楽です。この意識や習慣を変えることは、大変な作業です。

年金が占める割合

2014年5月16日   岡本全勝

高齢者が増え、年金の給付額が増えています。一般論としてはわかっていたのですが、どれくらいになっているのか。改めて、教えてもらいました。
まず、受給者数は約4,000万人で、これは全人口の約3分の1に当たります。高齢者世帯の収入に占める割合は、約7割です。また、年金だけで生活している高齢世帯は、約6割です。
給付額は、平成26年度予算額で、54兆円です。GDPが約500兆円ですから、その1割です。さらに、県別にその占める割合を見ると、驚きます。島根県は、高齢化率が30%、年金受給額は県民所得の約20%になります。高知県も高齢化率は30%、年金は県民所得比で19%です。農業所得より、はるかに大きいです。これを、市町村別に見ると、もっと年金に依存している村があるでしょうね。村民の最大の収入源になっていると思われます。

日本人の海外雄飛と引揚げ。その記憶と継承

2014年5月11日   岡本全勝

東京大学出版会PR誌『UP』5月号、加藤陽子先生の「敗者の帰還と満洲体験」から。
・・タイトルの「敗者の帰還」とは、太平洋戦争終結時に海外にいた軍人約367万人、民間人約321万人、合計約688万人(数値は終戦連絡中央事務局政治部「執務報告 昭和21年4月15日」による)が、日本本土へと復員・引揚げをおこなった事態を指している・・
・・山本有造編著『満州―記憶と歴史』(京都大学学術出版会、2007年)によれば、終戦時の人口の実に約8.7%にものぼる人々が引揚げを体験した。ならば国民の引揚げ体験は、日本の戦後思想に大きな影響を与えたといえよう・・
・・(加藤聖文氏の論考)いわく、日本の近代とは、日本の歴史始まって以来の人口移動が見られた時代であった。日本人は、台湾・朝鮮・満洲といった植民地や傀儡国家の他、日本占領下にあった中国大陸沿岸部の諸都市に渡って行き、大量の開拓移民としても海を越えた。しかし、「外地」へと雄飛した約330万人のこれら日本人は、1945年8月の敗戦を機に、引揚げ者として「内地」に帰還し、その後は帝国日本を形成していたはずの「外地」について、その記憶を急速に忘却してしまったのではないか。
常に受動態で語られ、自らの外部には目を向けようとしない日本人の引揚げの歴史を相対化すること。このような問題意識は、加藤氏の専論『「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年』(中公新書、2009年)に、より明確に表れている。人や組織の持つ本質はその最期に現れる、と加藤氏は喝破した。国民国家・日本の生き残りを賭けた戦後処理の過程で日本人は、それまでの帝国・日本に包摂されていた諸民族の「その後」を忘却したのではないか・・
このことに関して、私たちは無関心でした。それに関連して、戦後の混乱のなかで、引揚げ者や戦災で焼け出された人、戦災孤児たちに、政府(行政)は何をして何をしなかったか。勉強したいと思っているのですが。
また、戦前・戦中の日本のエリートたちは、海外特にアジアを、ふだんから視野に入れていたと思います。もちろんそれは、今から考えると、ゆがんだ形だったのでしょうが。その頃の会話や議論を見てみたいです。そして、戦後、一挙に内向きになった変化についても。