カテゴリーアーカイブ:社会の見方

英会話での謙遜

2018年2月16日   岡本全勝

2月13日の日経新聞オピニオン欄「私見卓見」、山中司・立命館大学国際部副部長の「英語に過剰な謙遜不要」から。
・・・大学で英語を教える教員として、学生が「Sorry for my poor English(英語がつたなくて恐縮です)」と前置きしてから話す場面に遭遇する。日本人が日本語の会話で謙遜するのは、自らへりくだることでコミュニケーションを円滑にしようとするからだが、英語の言い回しとしては違和感を抱く・・・
・・・英語を使う際、謙遜はプラスに働かない。同じ語学レベルの場合、「少ししか話せない」と認識するか、「少しだが話せる」と考えるかは将来の伸びに大きな違いをもたらす。前者は、消極性が前面に出てコミュニケーションがおっくうになる。後者は多少間違っても堂々と話し続けるだろう。英語に接する機会が増えればネットワークも広がり、さらに話すようになる・・・

フランス、徴兵制復活論議

2018年2月15日   岡本全勝

2月11日の朝日新聞「日曜に想う」は、大野博人・編集委員の「分断フランス「徴兵制」に何望む」でした。
先日、マクロン大統領が、徴兵制を復活させると発表しました。それを聞いて、私は「この時代に・・・?」と疑問を持ちました。戦艦にしろ戦闘機にしろ、素人が少々の訓練を受けて使えるものにはなりません。
この記事を読んで、分かりました。まず、提案されている兵役期間は、たった1か月です。
大統領は、国防や治安への貢献を考えているのではないようです。生まれ育った環境が異なる若者に同じ仕事をさせ、国民という共通した帰属意識を育む機会にしようというのが狙いのようです。フランス社会が分断に苦しんでいます。イスラム系市民への偏見、経済的不平等、エリート対非エリート・・。
なるほど。

2月14日の日経新聞も、「徴兵制、欧州で復活の波」を伝えていました。東西冷戦が終わり、ヨーロッパ各国が徴兵制を廃止しました。それまで、続いていたのです。

結婚披露宴の変

2018年2月13日   岡本全勝

2月10日の日経新聞夕刊、中野香織さんの「ブライダルタキシード 貧相に見える仮装衣装」を読んで、我が意を得たりと思いました。詳しくは、原文を読んでいただくとして。
・・・横山氏によれば、結婚式は新郎新婦の2人が主役であるはずなのに、日本では新郎がおまけ扱い。ゆえに誰も新郎の仮装衣装に疑問を抱かず、式場スタッフも正確な知識をもたないので、世界から笑われる珍奇なブライダルタキシードがいまだに幅を利かせているという・・・
そうですよね。披露宴って、花嫁が主役で、新郎は刺身のつまですよね(両親の知人である来賓(いわゆるえらいさん)が主役のような場もありますが)。
もっとも問題は、タキシードなどを持っていても、着ていく機会が少ないことです。社交の場を作らなければなりません。(この記事に添えられている写真も、日本人男性でなく西洋人のようです。残念)。

ところで、男の黒の略礼服は、戦後日本で発明されたものです。この文章にも出て来ますが、「物資が乏しかった第2次世界大戦後に、アパレルメーカーが提案した冠婚葬祭システム」です。私は、東京の洋服屋さんが発明したと聞きましたが。
長年にわたって定着したので、これを正装だと思っている人も多いです。かつて、後輩の結婚披露宴にダークスーツで出席したら、「礼服を持っていないのですか」と聞かれたことがありました。郷に入っては郷に従うということわざもありますが・・・。

ついでにもう一つ。結婚披露宴で一番嫌いなことは、司会者、特にプロの司会者の話です。
主催者は新郎新婦またはそのご両親・家なのに、その人たちに最大級の敬語をつける。やたらと拍手を強要する。
さらに、のべつ幕なしにしゃべりまくる。少しは、静かにしていてくれよなあ。時々、司会者が主役をやっています。

変わる古代史

2018年2月10日   岡本全勝

佐藤信編『古代史講義 邪馬台国から平安時代まで』(2018年、ちくま新書)が、勉強になりました。
古代史も、新しい発掘とともに、視野が広がる(国際的観点、地方史、社会史など)ことによって、かつてとはかなり変わってきています。この本は、最新の研究成果と研究動向を、一般向けに解説したものです。この期間の、15のテーマを取り上げています。
例えば、「飛鳥・藤原の時代と東アジア」「平城京の実像」「奈良時代の争乱」「受領と地方社会」など。
「へえ、そうなんだ」と驚くことが、たくさんあります。

金融政策、専門知の分裂

2018年2月6日   岡本全勝

2月4日の朝日新聞別刷りGlobeの特集は「FRBと日本銀行」でした。なかなか読み応えのある特集です。そのうち、山脇岳志・編集委員の「専門知の分裂と私たち」を紹介します。

・・・金融政策の話は難しい。経済学の博士号を持っている人たちが、全く異なる見通しや懸念を持ち、論争をしている。
日本銀行による積極緩和策を唱える「リフレ派」と、超金融緩和や財政との一体化のリスクを指摘する「反リフレ派」の20年以上の論争。知人からは、「どちらを信じれば?」との迷いをよく聞く。迷って当然だと思う。
どちらの主張が正しかったのかは、いずれ歴史が審判を下すだろう。ただ、どちらを信じるかで、貯金や投資、借金をして家を買うべきかといった私たちの「今の行動」は変わってくる・・・
「専門知」の分裂……それは、個人にとって厳しい判断を迫られる時代となって、眼前に広がっている・・・

・・・当時(2002年)の私は、「リフレ派」寄りだった。日銀の政策はあまりに消極的に思え、それまでの政策を批判し、積極策を取るべきとの考えを記した。「だが、そう考えるのは、今アメリカにいて、アメリカ人のエコノミストや当局者の意見を聞きすぎているためかもしれない」との留保はつけた。米国の主流派エコノミストの多くは、日本が取るべき金融政策については、「リフレ派」の立場だった。
私が米国の主流派への懐疑を強めたのは、その1年後、03年のことである。FRBは00年のITバブルの崩壊後、超金融緩和を続けていた。金利低下を生かし、住宅を担保に借金を増やして新車を買うといった人々の行動に、日本の80年代のバブルと共通するにおいを感じた。米国を去る直前に書いたFRBの連載の最後の記事は「危うい成長構造」という見出しにした。

当時、米国の当局者やエコノミストに「住宅バブルが起きつつある」と指摘したが、「日本とは全く状況が違うよ」と、ほとんどの人に相手にされなかった。バブルが崩壊し、世界を揺るがす金融危機に発展したのは5年後だった。
今も米国の主流派の学者・エコノミストの中には、日本経済の処方箋について「リフレ派」的な考えを持つ人は多い。
ただ、神様のようにもてはやされた当時のFRB議長、グリーンスパンの評価はバブル崩壊後に急落した。少なくとも私は、FRBや米国の著名な学者の多くが、住宅バブルや金融危機の兆候を見逃したのを目撃して、経済学の権威だからといって、正しい見方や予測ができるとは限らないと感じた。中央銀行の力も過大評価しないほうがいいと考えるようになった・・・