カテゴリー別アーカイブ: 社会

社会

内申書のあり方

3月4日の朝日新聞オピニオン欄「内申書と「態度」の評価」、柳沢幸雄・北鎌倉女子学園学園長の発言から。

・・・米国の学校にも日本の調査書(内申書)のように、志望校に出す成績表と推薦状の仕組みがあります。ただ、日本と違うのは、成績表は学校の署名、推薦状は個人の署名で書かれている点です。
米国の推薦状の場合には、生徒が自分を評価するのに適していると思う人に推薦状を依頼します。推薦状が信頼されるか否かは、何より推薦者が教育のプロとして認められているかにかかっています。書く側が、個人として中身に責任を負っているのです。

日本の調査書は、多くの場合は本人に公開されず、組織の匿名性の中に逃げ込んでいる。「受験戦争が過熱するなかで、生徒が日頃の努力で報われるように」「素質をよく知る人が評価して次の学校に伝える」という理念や、うたい文句はきれいですが、調査書の実態がそうなっていないのが問題です。評価する側が、筆先だけでいろいろ書けてしまう現状では、信頼性が乏しいのです。
態度を評価する時、これで人物の行動を評価できるというような標準的なパターンはありません。なぜなら、生徒は千差万別だから。特に思春期の成長は長い目で、流れとしてみることが大事です。それをあえて評価するというのなら、書く側がプロとして、個人の責任を明確にすることが非常に重要になります。

そもそも態度を評価して何をしたいのか。型にはめるような教育で生まれるのは「空気が読める」若者です。この場では手を挙げた方がいい。目をらんらんと輝かせて、聞いているような顔をした方がいい。その結果、滅私奉公の人間ができあがります・・・

日本語を大切に2

日本語を大切に」の記事に、読者から反応がありました。
・・・うちの母(89)を初めてワクチン接種に連れて行ったとき、背中にSTAFFと書いてある人たちを指して、「あれなんて書いてあるがけ。何する人たちけ」ときいてきました。
「スタッフ、って書いてあるがよ。お世話係の人たちや」と教えましたが、世話の対象である高齢の母には、世話係であることが伝わらないのでした・・・

原文は富山弁なので、本人の了解なしに「共通語」に翻訳すると次のようになります。
・・・うちの母(89)を初めてワクチン接種に連れて行ったんやけど、背中にSTAFFと書いてある人たちを指して、「あれ、なんて書いてあるねん。何する人や?」と聞くんよ。
「スタッフって書いてあるで。お世話係の人やわ」と教えましたが、世話の対象である高齢の母には、世話係であることが伝わらへんのでした・・・

追記
この記事について、「関西弁は西の共通語だから、西と東の中間にある富山弁が共通語です」と指摘がありました。

本田由紀著『「日本」ってどんな国?』

本田由紀著『「日本」ってどんな国? ――国際比較データで社会が見えてくる』( 2021年、ちくまプリマー新書)が、お勧めです。

帯に「私たちの「普通」は世界では「変」だった」とあります。家族の形、性別役割、学校での学び、友達、仕事などについて、統計数値を元に世界比較をしています。そして、日本の「普通」が、いかに世界とは変わっているかが示されます。
かつては、日本の特殊性は日本優秀論としてもてはやされたのですが、今や日本特殊論は日本の経済停滞、社会の不安の原因となりました。あれほど売れた「日本人論」が最近では、本屋に並びません。このホームページでは、高野陽太郎著「日本人論の危険なあやまち」を紹介しました。

ちくまプリマー新書は、中高生を対象としているのでしょうか。簡潔にまとめられていて、大人にとっても読みやすいです。長く書くのは体力があればできますが、簡潔にまとめるには知能が必要です。
なお、同じように数値で日本の現状を分析した本に、橘木俊詔著 『日本の構造 50の統計データで読む国のかたち』(2021年、講談社現代新書)

進まない学校でのデジタル教育

2月15日の日経新聞に「学校パソコン、もう返したい 教師の本音「紙と鉛筆で」」が載っていました。

・・・義務教育の子どもにパソコンやタブレット端末を1人1台ずつ持たせる「GIGAスクール」構想が空回りしている。国の予算でばらまかれた端末を持て余す現場からは「もう返したい」との声も出る。日本の教育ICT(情報通信技術)はもともと主要国で最低レベル。責任の所在がはっきりせぬまま巨額の税金を投じたあげく、政策が勢いを失いつつある。
「紙と鉛筆でなければ頭に残りませんよ」。神奈川県の中学校にICT支援員として派遣された山本真理さん(仮名、40代)は、中堅教師から本音を聞かされた。日々の業務が山積みの学校現場にとってGIGAスクールは「国から降ってきた話」であり、前向きに受け止めるムードになりにくい。
一部の若い教師が関心を寄せても、学年や教科で足並みがそろわなければ「保護者から『不公平』というクレームがくるかもしれない」といった組織の論理が優先されがちだ。山本さんは「結果的にパソコン授業をやりたくない先生やデジタル機器を扱うのが苦手な先生に合わせる流れができてしまう」と実態を明かす・・・

そこに、地方分権と教育委員制度が指摘されています。
・・・教室や家庭で端末を具体的にどう使うか国に強制力はなく、成功事例を積み重ねて社会の支持を広げるしかない。端末は25年前後に更新時期を迎える。責任体制を明確にして政策を再起動しなければ、めったに使われないパソコンに巨額の税金を費やし、子どもたちの教育機会も奪うことになる・・・
・・・■日本の地方教育行政 戦後日本の教育行政では、都道府県や市区町村ごとの教育委員会が幅広い権限を握ってきた。ところが、審議の形骸化やいじめ事件への対応などが問題になり、2015年の法改正で首長が教育委員会のトップである教育長を任命する仕組みになった。GIGAスクール構想が軌道に乗るかどうかも首長の動きに左右される面がある。
首長には教育委員会と協議して教育の目標や施策を「大綱」にまとめる権限がある。萩生田光一前文部科学相は21年4月、端末が未配備だった自治体の首長に直接連絡したと明らかにした。「ぼーっとしている自治体」「納品はされたが学校ではなく自治体の倉庫にあるという首長もいた」などと言葉の端々に不満をにじませた・・・

でも、教育委員会制度は、戦後の占領政策でアメリカから輸入した制度です。アメリカでのデジタル教育は進んでいるのですから、制度の問題ではないでしょう。新しいことを受け入れない教員、教育委員会の体質に問題があるのでしょう。

日本語を大切に

先日、コロナワクチンを受けに、会場に行きました。
係員の皆さんが、クビから札をかけています。そこには、「STAFF」とだけ書かれています。英語表記だけです。
会場に来るほとんどは、日本人です。「係員」と書けば良いものを。「英語にしたら、かっこよい」と思っているのでしょうか。拝外思想ですね。

その人たちに文句を言っても仕方ないと思い、何も言わずに帰ってきました。