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社会

スマホを机に置くだけで勉強を阻害する

1月30日の読売新聞「ONLINEシンポジウム 教育の急激なデジタル化の問題を考える」の続きです。認識神経科学研究家のミシェル・デミュルジェさんの発言から。

・・・子どもたちがデジタル画面を前向きなことに使うなら、問題はありません。(研究から)わかったのは、大半を「娯楽」に費やし、12歳以下は90%以上でゲームや動画、13歳から次第にSNSを使うようになるということです。
デジタル画面に費やす時間が長いと、学業成績は落ちます。睡眠時間が短くなり、睡眠の質も悪くなります。授業中に居眠りして、衝動的で攻撃的になり、家庭学習の時間も減ります。

もちろん、コンピューターの使い方は教えなくてはいけません。しかし、「デジタル・ネイティブ」は幻想です。子どもたちが動画・写真共有といったシンプルなアプリを使えるだけで、高度な情報技術や計算能力を持つユーザーと思われていますが、違います。研究によると、高度なソフトを使う能力は極めて低いのです。
「子ども1人に1台の端末を」という国際的プログラムがあります。スペイン・カタルーニャ地方の最新の研究では、驚くことに、端末を受け取った子どもは、そうでない子どもより全科目で成績が低い。
子どもたちは端末を学ぶために使わず、授業中にSNSや動画を見ており、授業を聞いていない時間は全体の40~80%。費用がかかる一方、あまり効率的でないと証明されたのです。

興味深い研究があります。授業でスマホをオフにして机の上に置いた場合と、手元にスマホがない場合を比較しました。すると、机に置くだけで、テストの間違いが増え、授業の理解度も低くなったのです。
SNS運営会社の元幹部らによると、「見逃しの恐怖(Fearof missing out)」で、脳は「スマホを確認するべきだ」と指令し続けます。脳の働きに時間を奪われ、精神的に消耗するのです。

自分の頭で考えなくするインターネット

1月30日の読売新聞「ONLINEシンポジウム 教育の急激なデジタル化の問題を考える」が、勉強になりました。東大教授の酒井邦嘉さん(言語脳科学)と国際ジャーナリストの堤未果さんです。

――昨年6月に当時の文科相が「デジタル教科書と紙の併用」を表明しました。紙とデジタルで、脳の働きに差はありますか。
酒井 受容の仕方で脳の反応が変わります。日常的なスケジュール管理を再現して、〈1〉スマホに打つ場合〈2〉タブレットにペンで書く場合〈3〉紙の手帳に書く場合――を比べました。〈3〉が最も速く、簡単な内容なら、紙の手帳に書いた方がほぼ完璧に思い出せました。一方、〈1〉〈2〉のデジタル機器は個人差が大きくなりました。脳の活動は、記憶に関係する海馬だけでなく、視覚野や言語野の反応にも差が出ました。脳に記憶した内容を思い出す時は色々な手がかりを使いますが、言葉だけで覚えているわけではなく、どこに書いてあったか脳の中で空間的に再現し、それを頼りに探したりできるのです。

――電子書籍を読んだ後、どこで読んだ内容か、すぐに探せなかったり、明確に思い出せなかったりした時がありました。
酒井 紙の方が手がかりが多く、場所を自然と記憶できます。小説を文庫本で読み、登場人物が最初に出てきた所を探す時、ページの位置で大体の見当がつくでしょう。デジタルのスクロールバーでたどり着くのは大変です。紙の本は形状記憶もでき、じっくり読んだ所がすぐ出てくる。各ページに個性がない電子書籍は不利です。デジタル教科書も、どこに何が書いてあったか思い出せないようでは、大問題です。学習はわからない所を見返し、読み直すことが大切で、紙の効果は大きいのです。

――タブレットのアプリが子どもの理解に沿って次の学習を示す「個別最適化学習」については。
堤 「タブレットはすぐ答えをくれるし、自分の頭で考えなくていい」。ある小学生の言葉です。スピードには中毒性があり、慣れてしまうと答えが出ない時にイライラし、「なぜ」と立ち止まって考えられなくなる。個別最適化にすることで、教室で先生や速い子が遅い子に教える相互学習の機会も失われるでしょう。教育の質とスピードは、決してパラレルではないことを忘れてはなりません。

――情報があふれ、考えなくても答えを得られることが確かにあります。
酒井 機械やAI(人工知能)を安易に使うことは「考えなくていい」と教えているようなものです。教育は決して効率ではない。「無駄こそ命」です。同じ状況が繰り返し来た時、初めて脳は学習し、「そうか、同じ状況だ」と前の知識を活用しようとします。だから、学習プログラムは、現場に精通した人が作らなければいけません。理解度によって進度は大きく違い、一人ひとり、必要な繰り返し学習の頻度や回数も違います。最適化は困難です。

堤 検索サイトやSNSは退屈しないよう、常に刺激を与えて長時間見させることで利益を得るビジネスモデルです。でも実は、刺激がなく退屈した時にこそ、子どもは創造性を使って面白い遊びを始めるのです。低学年、初等教育ほど「退屈な時間」は大切ではないでしょうか。

ツイッターの匿名利用

世間という同調圧力」の続きです。1月25日の読売新聞「「世間」が生み出す同調圧力」には、興味深い図表がついています。
ツイッターの匿名利用率の各国比較です。総務省の2014年版情報通信白書第4章の「図表4-3-1-16 Twitterの実名・匿名利用の割合」です。

それによると、匿名利用者の割合は、アメリカ36%、イギリス31%、フランス45%、韓国32%などに比べ、日本は75%です。
日本は突出して高いのです。これも、世間を気にすることの反映のようです。

なお、「図表4-3-1-17 SNSの実名公開における抵抗感」では、「やや抵抗感がある」「抵抗感がある」の合計が、日本だけが66%です。これも他の国が33%から47%であることに比べ高いのです。

世間という同調圧力

1月25日の読売新聞くらし面「今を語る」は、佐藤直樹・九州工業大名誉教授の「「世間」が生み出す同調圧力」でした。

・・・推奨されてはいるが、強制されているわけでも義務でもないのに、ほとんどの人が常時マスクをつけて生活をしています。
なぜか。感染防止意識が強いだけではありません。日本には「法のルール」の前に「世間のルール」が存在し、この「世間」が同調圧力を生み出しているからです。
日本では多くの人が、「世間に迷惑をかけないことが大切だ」と刷り込まれて育てられます。だから、政府や自治体による強制力のない要請であっても、空気を読んで、自主的に従います・・・

・・・長い歴史を持つ世間では、「友引の日に葬式はしない」など、たくさんのルールが作られてきました。それがたとえ合理的な根拠のないものであったとしても、多くの人は律義にこれらを守ることで秩序を維持してきました。しかし、やっかいなことに「世間のルール」は明文化されていませんし、その輪郭もはっきりしていません。

地域のつながりが減少し、目に見えない仮想化した世間では、何が批判されるのかもわからない。過度にお互いの心中を察し、「空気を読め」と要求されます。
共感過剰シンドローム(症候群)と呼んでいます。会議で周囲と違う意見が言えない、終業時間になっても同僚が仕事をしていれば帰宅しにくい。「自分は自分、他人は他人」と考えることができません。
逆に、空気を読まず、ルールに従わない人は「迷惑な人」であり、バッシングしても構わないという心理を正当化しやすくなります。異論や少数意見を許さない、息苦しい同調圧力が生まれます。コロナ禍で、「感染よりも世間の目が怖い」という声を耳にした人も多いのではないでしょうか・・・

佐藤先生とその先達になる阿部謹也先生の著作は、私も参考にしています。連載「公共を創る」にも引用しています。

家族は幸せの象徴ではない

加害者家族への批判」への続きです。阿部恭子さんへのインタビュー「「家族神話」の正体とは」から。

・・・あるとき、40代の女性の相談を受けた。「20代の娘が化粧品を万引きして逮捕された。お金は自由に使わせていたのに、理由がわからない」
話を聞くと、女性は貧しかった自分よりも幸せになってほしいと、娘に幼い頃から習い事やダイエットを強要していた。過度な期待による重圧が娘の万引きの一因になっていた。
女性は当初それを虐待とは認識していなかった。阿部さんと対話を重ねるうち、育て方の問題に気づき、娘とともにカウンセリングに通うようになった・・・

・・・伝統的な家族観が加害者家族の生きづらさにつながっていると阿部さんはみる。家族は幸せの象徴、もめ事は恥。そんな価値観は型にはまった幻想だという意味で「家族神話」と呼ぶ。
神話は、加害者の更生を担う司法の場にも蔓延している。
公判では加害者の罪を軽くするための情状証人として家族が呼ばれることが多い。子を虐待していた事実に気づいていない親、過剰な依存関係にある配偶者。そうした人たちが監督を約束しても、結局果たせないという現実を何度も見てきた。
「『家族がいれば安心』という神話をうのみにし、家族が本当に更生の支え手になれるのか、という検討はほとんどなされない。実際は家族こそが要因で、家族と離れる選択が更生につながる人もいるのに」・・・

・・・そもそも被害者側と加害者側の線引きは簡単ではない。法務省によると、19年に容疑者が検挙された殺人事件約900件のうち、54%が家族間で起きた。家族間の殺人では、加害者家族でもあり被害者遺族にもなる。
近年、虐待やDVといった家庭内暴力も犯罪として広く認知されるようになった。阿部さんは「誰もが事件の関係者になりうる時代だ」と指摘する。
世間体、空気感、同調圧力。家族神話はそう言い換えることもできる。それらを生み出すのは多くの場合、社会の多数派だと阿部さんは言う。
「今日の被害者が、明日の加害者かもしれない。家族神話からの脱却が、誰にとっても寛容な社会への一歩になる」・・・

なお、阿部さんは、1月7日の読売新聞「加害者家族のそばに…中傷から守る 支援10年超」にも出ておられます。