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社会

脱・昭和時代

8月18日の日経新聞夕刊生活面に「日本社会 なるか「脱・昭和」」が載っていました。

もはや昭和ではない――。内閣府は6月に公表した男女共同参画白書にこんなフレーズを載せて「脱・昭和」を呼びかけた。令和のいま、働き方や女性活躍といった文脈では「昭和たたき」とも言える表現が噴出する。脱・昭和の現状と課題を識者らに聞いた。

「新しい上司が頭昭和でほんとやだ」「滅私奉公で昭和的な働き方」――。ツイッターにあふれる職場への愚痴を見ると、「昭和」は1つのキーワードになっている・・・
・・・「昭和の社会モデルをアップデートしてこなかったばかりに、ひずみがあちこちで起きている」。こう話すのは健康社会学者の河合薫さん(56)だ。著書「コロナショックと昭和おじさん社会」では、新卒一括採用で終身雇用の男性正社員が企業の中心メンバーだった昭和のモデルと実態の食い違いが、コロナ禍で明るみに出たと記している。
2020年2月に政府は感染拡大を防ぐため、全国の小中学校などの一斉休校を要請した。河合さんは子どもの世話で仕事を続けられないと困惑する母親たちの姿を見て、「これが女性活躍を掲げる令和の姿か」と疑問を抱いたという。
昭和時代は専業主婦の妻が介護や育児を担う役割分業が主流だった。今も女性が家族のケアを中心的に担う構造が続くことに、河合さんは「共働きが主流になって久しいのに、価値観もシステムも昭和のまま」と指摘する。

「長時間労働で休みが取れない」「社内飲み会に参加が必須」は昭和的イメージ――。企業向けのビジネスチャット機能サービスを手掛けるワークスモバイルジャパン(東京・渋谷)が22年4月、全国の中小企業に勤める20~59歳の正社員に行った調査では、39.4%が自身の勤め先を「昭和的」だと評価した。

日系人リーダー 日米の懸け橋

8月14日の読売新聞、ポール与那嶺・米日カウンシル理事長の「日系米国人の歴史と未来 日系人リーダー 日米の懸け橋」から。

・・・41年12月の真珠湾攻撃後、米国では日系人に対する差別と偏見が激しさを増し、翌42年の強制収容につながりました。米本土では西海岸を中心に約12万人が、ハワイでも約2000人が収容所に送られました。
日系人が味わった苦悩は、想像を絶するものでした。とりわけ日系2世への影響は大きかったと思います。米国籍を持つ米国人でありながら収容所に入れられ、米国への忠誠心を示すために、約3万3000人が米軍に志願しました。苛烈な欧州戦線に派遣され、そこで多くの死傷者を出しながら、戦果を上げて日系人の評価を高めたのです。
そんな2世から戦後、日系人初の連邦議会議員にダニエル・イノウエ元上院議員(2012年死去)、初の閣僚にノーマン・ミネタ元運輸長官(今年5月死去)といったリーダーが生まれました。次の世代の私たち3世には優れたリーダーがあまりいないようです。3世は一般的に2世の親から、「目立ちすぎるな」「完璧なアメリカ人になれ」と言われて育ちました。強制収容の影響もあったのでしょう。多くは日本語を話せず、日本の知識もありません・・・

・・・日本人は戦後も、「ジャップ」と蔑称で呼ばれることがありました。イノウエ氏が一番誇りに思っていたのは、彼が議員になって以降、政治家がジャップという表現を使わなくなったことだそうです。
日系社会がアイデンティティーを保ち、米社会で存在感を発揮するには、国の中枢で活躍する日系人リーダーが絶対に必要です。それは日系社会のためだけではありません。日系人リーダーの存在は、米国で暮らす他の人種と同様、米国の多様化や米国をより良くするために不可欠なのです。
次世代のリーダーとして期待されるのは、日系4世と5世です。この世代は完全な米国人です。彼らには「言うべきことは言う」という米国人らしさがあります。一方で、和食やアニメなどのブームもあり、良い意味で日本に高い関心があります。
私が理事長を務める米日カウンシルは、民間交流などを通じて日米関係の強化を図る非営利団体です。10月に日系人リーダー候補50人を日本に招き、日本の政財界の人らと交流させる計画です。全員が40歳未満で、4、5世がほとんどです。

日本企業は戦後、自動車に家電と、あらゆる分野で米国に進出し、成功を収めました。でも、日本のビジネスマンは一般的に、北米のビジネスマンと個人的に密な関係は築けていませんでした。日本の会社名や商品名は知っていても、役員の名前を知る米国人は少ないのです。
日米間にいまだ横たわる言葉や文化の溝を埋めるには、人と人とのつながりが大切です。10月に訪日する日系人リーダー候補は、日本人の血を受け継ぎ、日米両国の文化や慣習も理解しています。日米の懸け橋となるには、これ以上ない人材です。彼らは今後、両国をつなぐ太いパイプとなり、両国に相乗効果をもたらすでしょう。人と人との交流が深まれば、過去に日本企業が苦労してきた言語や商習慣の違いというハードルも低くなるはずです。彼らの活動を支援することは、米国だけでなく、日本にも大きなメリットをもたらす「未来への投資」だと捉えてほしいのです・・・

アメリカ人も気兼ねして発言しない

8月12日の日経新聞夕刊、美術史家・秋田麻早子さんの随筆、「すべては繫がっている」から。

・・・アメリカでの大学時代、私は美術史と美術実技の二重専攻で、油絵や版画などの作品を制作する授業をかなり取っていた。実技の授業では、先生が作品について講評する。それに加えて、生徒同士で互いの作品について批評しあう時間も設けられていた。
それまで私はこう思っていた。アメリカ人は自己主張に慣れているので、こういった場面でもはっきり自分の意見を言うのだろう、と・・・

・・・ところが、実技のクラスでのクラスメートの態度は、私の予想を裏切るものだった。油絵のクラスでのことだ。誰に意見を求めても「すごくいいと思う」「好きだな」「色とかすてきだと思う」といった誰でもとっさに思いつく内容を、小声でおずおずと述べるだけ。そしてすぐに全員が押し黙り、教室がシーンとなった。先生もあきれ顔。
私は驚いた。アメリカ人もそうなのか、と。そして安心もした。

確かに、軽く褒めるといった程度のことなら、アメリカ人の学生は日本人よりずっと簡単にやってのけるところはある。また、どうでもいいと思われそうな事を恥ずかしがらずに聞くのも上手だ・・・
・・・しかし、他人の作品についてかなり突っ込んだレベルでどうこう言わなければならない局面になると、途端に気を使い始めるのだ。余計なことを言って空気を悪くしたくない、という磁場が形成されていくのを感じた・・・

死別の悲しみにどう向き合うか

8月4日の朝日新聞生活面連載「喪の旅」、坂口幸弘・悲嘆と死別の研究センター長へのインタビュー「消えない悲しみと向き合いながら」から。

――どうしたら心残りや罪悪感を少なくできますか。
多くの遺族は故人が亡くなる前のことを何度も思い返します。その時、自分の言動や判断を否定的に評価すると、しなかったことやしてしまったことへの罪の意識になる。一方で、これはよかったと肯定的に思えることがあると気持ちが少し楽になります。

つらい闘病生活だったけど最期は苦しまなかった。スタッフがよくしてくれた。家に連れて帰ることができた。好きな物を食べさせられた。自分たちでできる限りお世話した……。そういう肯定的評価ができると、心の救いになります。つまり、亡くなるまでの過程が重要であり、その意味で、グリーフケアは亡くなる前から始まっているとも言えます。病死の場合に限った話ではなく、つらい体験の中での何かしらの「せめてもの救い」が重要だと思います。

死別後に「もっとお世話できたはずだ」と思う人も多い。それを周りが「よくがんばったね」とねぎらうことで、過去への肯定的評価を促すことが大切なんです。

働かないおじさん?

8月4日の朝日新聞オピニオン欄「50代、働いてない?」。
出世競争から降りた50代の勤め人が、とかく生きにくい世になった。「働かないおじさん」「会社の妖精さん」なんて言葉もある。ずっと懸命に働いてきたのに、どうしてこうなるの?

河合薫・健康社会学者の発言から。
「働かないおじさん」などと言われて50代で落とし穴にはまってしまう人がいるのは、日本社会のかたちが、いまだに昭和の高度成長期のままで動いているからです。
年齢人口構造では日本はすでにピラミッド型ではなく、働く人の6割が40代以上になっています。しかし、この世代の入社時と会社の仕組みはほとんど変わっていません。新卒一括採用、年功序列が続き、年々減らされる管理職の席をめぐって、同期で椅子取りゲームをさせられてきた。
高度成長期、定年は55歳でしたが、その頃の男性の平均寿命は60代でした。定年後は悠々自適の余生というイメージをいまだ引きずりながら、若い人たちにのけ者にされているのが今の50代です。

実は、50代でやる気を失っている人は周りが思うほど多くはありません。この世代を含め、900人以上にインタビューをしてきましたが、まだやるべきことがあると言う人がほとんど。競争心も衰えていない。労働政策研究・研修機構の調査では、50代後半の2割が昇進欲求を持っているという結果が出ています。
それなのに、会社からはセカンドキャリアを見つけろとプレッシャーをかけられる。でも、ずっと会社の肩書で生きてきたので、今更どうしたらいいのか分からない。プランBが無い状態です。リストラ候補にならないためには、群集の中で息を潜めているのが最善策になってしまう。目立たず、害にもならないようにしようという心理が働いてしまうのです。「会社にしがみついている」などと言われていても、当事者には葛藤がある状況でしょう。