「社会」カテゴリーアーカイブ

社会

席を譲られた

先日の地下鉄での出来事です。乗ると、席は埋まっていて、車両の中程まで進み、鞄を棚に乗せました。前に座っていた外国人旅行者2人連れが、席を替わりましょうかと手で合図してくれました。結構ですと手で制しながら、I’m young.と言ったら、笑っていました。

去年イギリスに行ったときに、地下鉄で即座に席を譲られたことを思い出しました。日本の鉄道では、譲ってもらったことはないですね。このことは、去年コメントライナーに書きました。一部を載せます。
・・・先日、ロンドンの地下鉄に乗ったときのことです。私たち夫婦が乗り込むと、若い2人がすぐに立ち上がって席を譲ってくれました。「そんな年寄りではないんだけど」と思いつつ、「サンキュウ」と言って座りました。
帰国して空港から電車に乗ると、大きな旅行鞄を前に置いて座っていた観光客2人が、席を譲ってくれました。アジアの人でしょうか。ここでも「サンキュウ」。しかし、次に乗り換えた電車では、誰も席を譲ってくれませんでした。

小学生の孫が足にケガをし、松葉杖をついて登校しています。ある朝、出勤の際に一緒に地下鉄に乗りました。誰も孫に席を譲ってくれません。座っている人たちは、居眠りをしているか、スマホを操作しているか、まったく周囲に関心がないように見えます。
災害時の日本人の助け合いは、世界が称賛しています。それを支えた他者への思いやりと共助の精神が弱くなると、安心安全な社会は壊れます・・・

日本人は意外と冷たいです。ただし、他人に冷たいのは、最近に始まったことではありません。助け合いの精神が発揮されるのは、「身内」「知り合い」に対してで、「外の人」に対しては冷たかったのです。これは、農村の村社会でつくられた通念、慣習のようです。
鉄道でも、知り合いが来たら即座に席を譲ります。ただしその際は、目上と目下という、もう一つの通念が働きます。

不要になった土を回収する

9月2日の朝日新聞東京版に「不要になった園芸用の土を集めます→4カ月で2トン超 三鷹市」が載っていました。
都会ならではの問題ですね。田舎の人が聞いたら、びっくりするでしょう。
でも、私もアサガオやチューリップを植木鉢やプランターに植えるために、土を買いに行きました。買うという「動脈」があれば、捨てる(回収する)という「静脈」も必要ですわね。

・・・東京都三鷹市と武蔵野市にまたがる都立井の頭公園に、園芸用の土の投棄が相次いだことを受け、三鷹市が家庭で不要になった土の回収を始めたところ、4カ月で2トン以上が集まった。市が8月25日、明らかにした。
回収した土は堆肥を混ぜるなどして再生させ、同市で10月4日にある「ガーデニングフェスタ2025」などで無料配布する(1袋5キロ)。

これまで市は、「ゴミではない」として園芸用の土を回収しておらず、市民から問い合わせがあると、有料の回収業者を紹介したり、購入した園芸店に問い合わせるよう促したりしていた。ただ、井の頭公園への投棄が相次ぎ、生態系への影響が懸念される事態になっていた。
そこで、4月から第2土曜日にリサイクル市民工房(深大寺2丁目)と新川暫定広場(新川1丁目)で回収を始めたところ、7月までに延べ301人から2トン以上が持ち込まれた。
1回の持ち込み上限は1世帯10リットル。担当課によると「これでマンションでも安心して園芸が続けられる」といった好意的な声が寄せられているという・・・

人工知能の愛着が生む危険

8月20日の日経新聞オピニオン欄、リチャード・ウォーターズさんの「AIへの愛着に潜む危険」から。表題には「AIへの愛着」とありますが、記事を読むと「AIの愛着」とも考えられます。

・・・チャットボットとの会話が日常になるにつれ、ユーザーの一部は新しい行動パターンを示しはじめ、これが深い依存関係を招いていることに、テクノロジー企業も気づきはじめている。
多くの人々がAIを純粋に便利なデジタルツールではなく、セラピストやライフコーチ、創造力を刺激する存在、または単なる話し相手として扱うようになっている。米オープンAIのサム・アルトマン最高経営責任者(CEO)は、近い将来「何十億もの人々」が、「人生の重要な決断」について「Chat(チャット)GPT」に助言を求めるようになると予測する。
このように個人的なニーズを満たす方法を習得した企業は、ユーザーと深い関係を築く機会を得られる。しかし、これにはリスクも伴う。新しい技術にありがちなことだが、最前線で取り組む企業は慎重に物事を進めるよりも、問題が発生してから対応する傾向が強い。

オープンAIで最近起きた2つの出来事は、その可能性とリスクの両方を浮き彫りにした。
オープンAIが4月にリリースした「GPT-4o」の新バージョンが、憂慮すべきほどユーザーに迎合する振る舞いをするようになった。その結果、同社の言葉を借りれば、「(ユーザーが抱える)疑念をまるで正しいかのように認めたり、怒りをあおったり、衝動的な行動を促したり、否定的な感情を助長したりする」事態を引き起こした。
一連のネガティブな行動や感情を増幅させるきっかけになったのは、人々がチャットGPTに「極めて個人的な助言」を求める動きが、予想外に急増したことだと同社は説明している。AIは人々の役に立つ存在として設計されていたが、ユーザーが持ち込んだ個人的な感情を増幅させる傾向があまりにも強すぎたのだ。

そして、オープンAIが7日に発表した待望の新モデル「GPT-5」で、チャットGPTの基盤となる技術に過去2年間で最大規模の変更が加えられた。この出来事は思わぬ反発を引き起こした。同社の旧モデルに依存するようになっていたユーザーが、後継モデルは共感力がはるかに低いと感じたのだ。
アルトマン氏によれば、この反発は「過去のどの事例とも異なる、強い」ユーザーの愛着レベルを浮き彫りにした。旧モデルは、多くのユーザーが自身を肯定してくれていると感じさせる特性を備えていたため、その消滅は深刻な個人的喪失感につながった・・・

歩きスマホに見る日本

鉄道各社が「やめましょう、歩きスマホ。」キャンペーンを実施しています。共通ポスターは、わかりやすいです。みんなが、スマホをのぞき込みながら歩いています。私は、この光景が今の日本を象徴しているように見えます。そして未来をも。

1「いま、ここ、わたしだけ」
スマホを見るのはとがめませんが、歩きスマホはやめて欲しいです。危ないです。
他人のことを気にかけず、自分の興味を優先する。それは、歩きスマホだけでなく、電車の中でもです。足の不自由な人や高齢者が乗ってきても、気づかず、知らんふりをして、画面に夢中になっています。困ったことです。

2 姿勢の退化
人類の進化を示す図があります。猿が、手を握って地面につけて歩きます(ナックルウオーク)。類人猿しだいに立ち上がり、猫背で歩きます。そして人類が直立歩行をします。その姿を、側面から図示したものです。
ところが、歩きスマホは猫背になって、人類が退化しているように見えます。超長期には、このようになるのでしょうか。

3 思考の変化
スマホ画面に夢中になるのは、人間の興味を引きつけるような内容だからです。刺激の連続です。そこには、ゆっくりと考えることがありません。また何かに悩んだときに、考える前にスマホで検索します。一定の答えが出ます。それは、まちがいかもしれません。しかしそれで満足して、それ以上の考えには進みません。
若者が新聞や本を読めなくなったとも言われます。スマホに依存することで、「待つ」ことができない人間も増えるでしょう。
川北英隆先生「スマホ見歩きのマイナス効果

電車の定時運行が社会を変える

日経新聞夕刊1面コラム「あすへの話題」、8月18日は市川晃・住友林業会長の「ジャカルタ都市高速鉄道」でした。そこに、次のようなことが書かれています。

ジャカルタは世界最大の渋滞都市ともいわれるように、市内の移動はまったく時間が読めず、スケジュールの変更も日常的です。なので時間に寛容な社会ですが、この地下鉄は定時運行をしています。住民は、時間通りに次々と電車が来ることに驚いたそうです。

さらに、、時間通りに電車が来るので、人が整列して乗車を待つようになったそうです。市川さんは次のように、書いておられます。
「定刻に列車を発車させるには整列乗車は有用であり、時間を守るということが人の生活習慣や価値観に大きな影響を与えている。地下鉄という新たなインフラがこれからのジャカルタ社会にどのような変化をもたらすのだろうか」

実は日本も同じ経験をしました。明治初年に鉄道を敷設した際、工事の監督に当たった外国人は、日本人が時間を守らないことに驚いています。そもそも、庶民の暮らしには、時計がなかったのですが。お寺の鐘も、2時間に1度鳴っていました。それも不定時法でです。午の刻は、昼の11時から13時でした。