「社会と政治」カテゴリーアーカイブ

社会と政治

努力が報われない日本社会?

7月8日の日経新聞「やさしい経済学」、米田幸弘・和光大学准教授の「「働く」意識の変化」第5回は、「努力が報われない日本社会」でした。
このような社会の変化や国民の意識の変化に、政府はどのように対応すれば良いのでしょうか。政府内に、このような問題を専門的に扱う部署は見当たりません。それも、問題です。社会の問題を政治・政府の問題と捉え、それを行政の課題とする。その意識と仕組みが必要です。

・・・経済が成長しない、賃金が上がらないといった理由から、努力が報われにくい時代になったといわれます。人々の意識はどう捉えているのでしょうか。

統計数理研究所の「日本人の国民性調査」で、1988年調査と2013年調査を比べると、「まじめに努力していれば、いつかは必ず報われる」と考える人が減り、「努力しても報われない」と考える人が17%から26%に増えています。とりわけ、「この10年で生活水準が悪くなった」と感じる人ほど、「努力しても報われない」と回答する傾向が見られました。
世界価値観調査によると、00年代に入った日本では「(成功するには)勤勉に働くことよりも、運やコネによる部分が大きい」と考える人が増えました。調査年で多少の変動はありますが、運やコネのほうが重要だと思う人の割合は、1990年代と比較して2000年代と10年代では10ポイントほど高くなっています。
努力が等しく報われなくなったというより、人によって報われなさの度合いが異なる、つまり、競争社会のフェアネス(公平性)に対する疑念が高まったといえそうです。

日本生産性本部が1969年に開始した「新入社員の意識調査」からは、若者の「野心の低下」ともいえそうな意識変化がうかがえます。
働く目的として「自分の能力を試す生き方がしたい」を挙げる人の割合は、1990年代は25〜30%で推移していましたが、2000年ごろから低下し始め、10年代後半には10%程度に下がりました。代わって上昇したのが「楽しい生活をしたい」という回答です。1990年代の回答率は20%台後半でしたが、2010年代後半には40%前後になっています。回答率は高くないものの「社会のために役立ちたい」も上昇傾向です。一方で「人並み以上に働きたいか」という質問では、10年あたりから「人並みで十分」という回答率が上昇しています。

努力が報われにくくなったと感じる若者の間で、未来を見すえたチャレンジより、「今」のやりがいや楽しさを求める現在志向が広がっているといえます・・・

トランプ氏はエリートへの不満を積んだ「乗り物」

6月29日の日経新聞、 アメリカノの政治思想学者パトリック・デニーン氏「トランプ氏はただの「乗り物」」から。

・・・トランプ米大統領が掲げる「MAGA(米国を再び偉大に)」運動は戦後の国際秩序を支えてきた「リベラリズム」を壊そうとしている。その理論的支柱とされるのが米政治思想学者のパトリック・デニーン氏だ。トランプ氏は世界で広がるエリートへの不満を積んだ「乗り物」に過ぎないと主張する・・・

――戦後の民主主義国家の繁栄を支えてきたのがリベラリズムだった。あなたはそこには欠陥があると著書で論じた。どういうことか。
「個人の選択を重視し、政治的にも社会的にも人間関係でも人々をあらゆる束縛から解放しようとする哲学がリベラリズムだ。ところが私たちは自らを統治する自由を失い、経済面でも政治の影響が及ばぬ市場原理に支配されるようになった」
「皮肉なことにリベラリズムは『成功』するほど失敗していった。例えばかつての共同生活には助け合いがあったが、人々は隣人に助けを求めなくなった。米国には長い間、自己犠牲を尊ぶ古い伝統があったがそれらは失われていった」
「経済的なリベラリズム、米国流で言えばグローバル化した市場を重んじる新自由主義が批判を浴び、個人の自由や権利を極端な形で追求する左派リベラルも批判にさられている。リベラリズムの危機が分断を生んでいる」

――個人の自由な選択を追求するリベラリズムこそが人間の幸福や繁栄につながったのではないのか。
「選択の自由は幸福の本質ではない。正しい選択をすることが幸福の本質だ」
「確かに私たちはかつてないほど自由だ。消費者としても一人の人間としても多くの選択肢を持っている。にもかかわらず欧米社会ではメンタルヘルスの危機が著しく高まり、自殺する人が増え、平均寿命も低下している」
「極めて少数の人々に資本主義の恩恵がもたらされ、政治的な不安定を生んでいる。古今東西の政治思想家が一致するように、社会の繁栄を人々が分かち合えているという感覚が行き渡らなければ政治的な安定は得られない」

――この変化はいつごろ始まったと考えるか。
「フランシス・フクヤマ氏が(自由民主主義が政治制度の最終形態と記した)『歴史の終わり』を発表し、ベルリンの壁が崩壊したのが1989年。90年代にリベラリズムは『最高潮』を迎えたが、その頃からリベラリズムが伝統的な慣習や制度の良い部分を壊し始めた」
「米国は政治再編のまっただ中にある。ポストリベラリズム派というべき低学歴の人々や労働者階級、あるいは過度な自由市場や社会的な解放主義に疑念を抱く人々と、エリート層や高学歴といったリベラリズム派の人々の対立だ」

――トランプ氏は2016年の大統領選で当選し、返り咲きも果たした。リベラリズムに対する疑念が彼を誕生させたのだろうか。
「彼は不満の受け皿になっただけだ。無視されてきた数多くの人々が存在していることを本能的に見抜く才覚に優れていた。ビジネスマンとして、ワシントンのエリートが気づかぬ政治的な市場がそこにあることに気づいた」
「右派であれ左派であれ、ワシントンのエリートたちは彼の『成功』にショックを受けたことだろう。ただ、トランプ氏が不満を生んだのではない。前からずっとそこにあったのだ。彼は(その不満の)乗り物になったに過ぎない」

財務省前デモ

5月20日の朝日新聞オピニオン欄「財務省デモの渦で」、伊藤昌亮・成蹊大学教授の「減税叫ぶ、今苦しい人見て」から。

・・・財務省前で起きているものは、近年の日本でほぼ例のなかった「経済デモ」です。参加者は貧困層というより、自営業者や中小企業従業員など、普通に仕事をしながら生活不安を抱える人々で、支持政党はバラバラ。既存の政治デモの文脈では捉えきれない、苦境にある中間層の不満のマグマが噴出した運動として、重視する必要があります。

彼らの主な訴えは減税。再分配の縮小や歳出削減、構造改革を求めるネオリベラリズム(新自由主義)的主張に見えますが、片や積極財政も強く訴えています。「外国人に税金を使うな」という福祉排外主義の主張も。これはむしろ「大きな政府」型イデオロギーです。つまり社会保障を充実して「自分たちを守って」と望んでいるわけで、「自力で稼いで生きろ」という自己責任社会を支持するネオリベとは正反対です。このことは、堀江貴文氏や西村博之氏がデモを批判している点からも明らかです・・・

・・・デモでは、自国通貨建て政府債務の不履行は生じないと説くMMT(現代貨幣理論)も叫ばれています。反論は可能ですが、今現在が苦しい人にとって、将来の財政破綻の可能性を諭されても響かないでしょう。
「財務省解体」というスローガンに対しても、批判する側は「実は財務省に権力などない」とか「解体しても歳出入をつかさどる別の機関ができるだけ」などと論証しようとします。でもそんなことは、デモ参加者のリアリティーにとって何の関係もない。彼らだって、本気で財務省が消えればよいと思っているわけじゃない。「財務省」はあくまでシンボル。メディアも含めてキャッチフレーズに過剰反応しすぎです。
デモでの主張には荒唐無稽な陰謀論や矛盾が含まれています。でもシンボリックな言葉だけ見て「アホらしい主張」「トンデモ」と頭ごなしに切り捨ててしまっては、この現象の背後にあるものを見誤ることになります。問題は、私たち社会の側が彼らのリアリティーにどう対峙するかです。表面的な減税論合戦に終わらず、訴えの根底にあるものをすくい取れるかどうか……・・・

尾身茂さん、感染症規制と社会活動

日経新聞「私の履歴書」、尾身茂さんの第26回(3月27日)「オミクロン株」から。
・・・2021年12月、これまでと比べて致死率は低いものの伝播力の強いオミクロン株が出現した。22年に入ると瞬く間に広がり、私たちはこれまでとは異なる感染症だと感じるようになった。
感染症対策重視の「強い対策」から、オミクロン株に合った「弾力的対応」にどう移行すべきか、議論を始めた。
ちょうどその頃、まん延防止等重点措置の適用を巡って分科会メンバーの一人で経済学者の大竹文雄氏から異論がでるようになった。
コロナの致死率がかなり低くなってきているので「まん延防止」の発出条件を満たしていないのではないかとの意見だった。これ自体、的を射た指摘だった・・・

・・・社会生活を少しずつ元に戻すという議論は、社会活動再開に伴う死亡者などの犠牲をどこまで許容するかという価値観の問題につながる。科学的分析ではその問いには答えられない。最後は選挙で選ばれた政治家が決めるべきだとの考えが分科会の総意だった。
このため、4月27日の分科会では、感染症対策と社会経済活動の重点の置き方によって、4つの選択肢を政府に示し、その後の分科会でさらに議論を深め、最終的に政府が決定することを求めた。
ところが政府は、選択肢だけを示されても困る、専門家で1つに絞り込んでほしい、と言ってきた。
私たち専門家は、感染症法上の位置づけを「2類相当」から「5類」に移行する、社会全体にとって極めて大事な「出口戦略」こそ、経済専門家、自治体などが参加する分科会でしっかり議論すべきだと思っていた。

1カ月かけて練り上げた「オミクロン株に合った弾力的な対応」とスムーズな「平時への移行」について、7月14日に開かれた分科会で議論しようと考えたが、政府は応じなかった。
どうしてこのような「距離感」が出てきたのか。オミクロン株以前は、感染症対策に軸足が置かれていたため、専門家が政策作成において中心的な役割を担ってきたが、社会・経済を回す時期になってきたので、これからは政治家がリーダーシップを取るべきだと政府は考えたと思う。
しかし同時に、参議院選挙が間近になっていたこの時期、社会全体が高い関心を示すこのテーマに、政府主導で決断した場合の影響も考えたのかもしれない・・・
・・・政府は23年1月27日、大型連休明けの5月8日から「5類」に移行することをようやく決定した・・・

尾身茂さん、専門家と政府

日経新聞「私の履歴書」、尾身茂さんの第25回(3月26日)「東京五輪」から。
・・・感染対策と社会経済のバランスをどううまくとるか。政府と専門家の考えは度々、微妙に違った。特に感染状況が厳しくなると、その差は明らかになり、マスコミでも大きく取り上げられた。代表的なのが「Go To キャンぺーン」と東京五輪だ。
政府は、コロナにより打撃を受けた観光関連産業などを支援するため、2020年7月ごろ、東京などで感染拡大が起きていたにもかかわらず、「Go To」の開始を検討していた。
7月16日、感染症対策分科会が開かれた。当初、「Go To」が議論されるはずだったのだが、会議開始直前、報道を通じて22日から「Go To」が始まるとの決定を知らされた。
「分科会は何のためにあるのか、ただ政府の決定事項を追認するためだけなのか」。私を含め専門家は大いに不満だったが、22日開始を覆すことなどできなかった。

11月に入ると再び感染が急拡大し、医療の逼迫の懸念が高まってきた。20日には、こうした地域を対象として「Go To」を中止するよう政府に求めた。
もちろん中止によってダメージを受ける事業者には財政支援も同時に検討するよう提言には付け加えたが、残念ながら政府はすぐには動かなかった。
12月になると再び緊急事態宣言を発出せざるを得ないほど状況は悪化してきた。14日、菅義偉首相は全国一律で「Go To」休止を宣言した・・・

・・・1年延期になった東京五輪への対応はさらに厳しいものだった。
当初、世界最大のスポーツイベントについて発言するつもりはなかった。実際、21年3月、国会に呼ばれ野党の議員から「(感染状況が)どの程度になればオリンピックは開催可能か」と質問され「開催について判断、決断する立場にない」と答えていた。専門家として矩(のり)を踰(こ)えるべきではないと思っていた。
しかし開催まで2カ月を切った6月に入ると、そうした姿勢を転換せざるを得なくなった。7月の4連休、夏休み、お盆が重なり、その上、感染力の強いデルタ株の出現を考えると、開催の前後には緊急事態宣言を出さざるを得なくなると判断したからだ・・・

・・・私たちは毎夕、都内の大学の会議室に集まり、どこまで踏み込むのか、どのようなデータを出すか、どんな言葉を使うか、など深夜まで議論を重ねた。
我々の責任だということは頭ではわかっていた。しかし、導き出す結論に対する国内外からの反応も予測できた。私自身、最後まで迷う気持ちがどこかにあった。
その時、メンバーの一人からメールが届いた。「ここで(五輪に対する見解を)出さないなら、みな委員を辞めたほうがいい」。この言葉で私は覚悟を決めた。
6月18日、専門家有志26人により「無観客五輪」を提案した。何度か「ルビコン川」を渡った。振り返れば東京五輪開催を巡って渡った川が最も深く、激流だった・・・