「社会と政治」カテゴリーアーカイブ

社会と政治

人口推計

20日に、将来推計人口が発表されました。各紙が大きく報道しています(うーん、これも、厚生労働省のHPからはなかなか見つけられず、グーグルから探した方が早かったです)。出生率が1.39から1.26に下方修正されました。もっとも、2005年実績が1.26でしたから、そんなに驚く数字ではありません。このあと、1.21まで低下するそうです。しかも、これは中位推計で、低位では1.06です。これまでの推計が毎回外れて下方修正されたことは、このHPでも書きました。これまでの実績からすると、こちらの方が当たるかもしれません。
例えば、21日の読売新聞をご覧ください。大きく解説しています。人口ピラミッドは、提灯型から逆三角形になります。この図の他に、1970年頃、日本がまだ若かったころのピラミッドを並べてくれると、わかりやすいのですがね。次回はお願いします、石崎浩記者。
私は講演会で、今発行している国債は60年償還であること、今年私の給料や市役所職員(このHPを読んでいるあなたです)の給料に当たっている赤字国債の償還には60年かかること、すなわち2066年までかかることをお話ししています。そして、そのころには人口は8,000万人まで減り、高齢者は40%になるとも、しゃべっています(「新地方自治入門」p114)。講演ではおもしろおかしくしゃべっていますが、本当は怖い話なのです。このような状態で、年金をこれまで通りもらおうというのは、虫のいい話です。膨大な借金は残すわ、それを払う人口は減るわ、それで年金を支えよと。子どもや孫は怒るでしょう、「あのころの日本人は何をしていたんだ」と。(12月21日)
21日の日経新聞経済教室は、山口一男教授の「人口減少下の少子化対策。柔軟に働ける環境、主眼に。両立支援より効果」でした。
OECD諸国が1970年代に出生率低下を経験したが、その後は国によって違う。80年以前は女性の就業率が高い国ほど出生率が低かったが、80年代に逆転し、90年代以降は就業率の高い国ほど出生率も高くなっている。そして、女性就業率が高く出生率も回復した北欧諸国、就業率が増加し出生率は増加か低下が穏やかな英語圏諸国、就業率が上昇し出生率が低下した日本と南欧諸国に分類しています。
その要因は、柔軟に働ける社会が実現することであり、育児と就業の両立支援より効果があるとのことです。第2子を生むかどうかは、妻の結婚満足度に大きく影響を受け、それは平日の食事とくつろぎを夫婦で一緒にするかや、対話時間、夫の育児分担など日常生活の過ごし方によるのであって、夫の収入の多寡によるのではない、との分析結果が出たそうです。
納得します。かつてもてはやされたモーレツ社員や、残業時間を誇る官僚は、失格です。(12月24日)
27日の日経新聞は、「社会起業家、各地で芽吹く」を紹介していました。社会起業家とは、福祉や環境、まちづくりなど地域や社会の問題解決を、ボランティアでなく事業として目指すものです。NPOだけでなく、会社にして経営するのも増えているとのことです。それら企業・団体を表彰する「ソーシャル・ビジネス・アワード」も始まっています。

社会と政治8

読売新聞は13日から、「百貨店の挑戦」という連載を始めました。これまで有名ブランド店を入れることで客を集めていたのが、ブランド店が自前の店を開くことで、集客効果が薄れました。そこで、そのような「場所貸し業」から脱皮しようという動きです。
10年ほど前の小話に、近年もっとも地位を落とした業種として、一にデパート、二に銀行、三に官僚というのがありました。実は、この3つが取り上げられたのは、小話でも偶然でもないのです。共通点は、発展途上国・経済成長期に輝き、成熟すると(そのままでは)不要になることです。
銀行は企業に対しお金を貸すことで、産業を育成します。途上国では資金が足りず、銀行の役割は大きいのです。しかし、経済成長することで資金も豊富になり、また企業も株式や社債で直接資金を調達するようになります。企業にとっての銀行の役割は低下します。それが、先年の銀行の倒産です。
一方、デパートは豊かになる消費を見せてくれるところでした。お子様ランチのある食堂、電化製品・家具・食器・衣類・化粧品と、貧しい時代の人たちにはあこがれの品が並んでいました。しかし、日本が豊かになることで、デパートの品はそんなにあこがれではなくなりました。もっと高級な品は、専門店にあります。デパートの食堂より立派なレストランがたくさんできました。
官僚は、貧しい後進国を先進国に追いつかせるための設計士でした。これもまた、追いついたことで、従来の役割は終わります。発展途上国としてみると、銀行が生産側の代表、デパートが消費の代表、官僚が政治行政の代表だったのです。そして、経済成長に成功することで、それまでの輝きは失われたのです。生き残りのためには、別の道を探す必要があります。(12月13日)
17日の朝日新聞「補助線」で、辻陽明編集委員が「キーワードはCSO」を書いておられました。公民館が地元若者の団体運営に代わってから、がぜん活気が出て、貸し会議室から子ども達の遊びの場に変身したとのことです。そうですよね、公民館って使ってもらってなんぼのもので、大きさや立派さで勝負するものじゃないですよね。箱物行政の貧しさは、ここにあります。かといって、行政が人集めをするのも行き過ぎだし、税金の無駄遣いでしょう。
このような動きを生み出したのは、指定管理者制度です。しかし、辻記者も指摘しているように、企業に委託することで経費削減を目指すものと、市民団体に委託することで参加の輪を広げるものと、違った目的・ふさわしい施設があるようです。CSOとは、Civil Society Organization 市民社会組織で、NPOやNGOという括り方と違い、市民の自発的・公共的な活動を基準にした言葉とのことです。市役所と市民団体との関係は、「新地方自治入門」第8章で解説しました。

教育ーどのような人材を育成するのか

10日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅先生が「高等教育こそ取り上げを」として、教育改革について述べておられました。
「確かに、幼い子どもの教育は多くの国民の関心事であるが、これはいわば入り口の問題である。しかし、入り口ばかり問題にして出口がはっきりしないということは、議論の本位が定まらず、バランスを欠くことにならないだろうか。実際、万事につけ閉塞感というものの一因は、まさにこの出口の不透明さに起因するのではなかろうか」
「首相官邸が教育問題に乗り出す以上は、出口論こそは最大の関心事にふさわしいのではないか。なぜならば、それは将来の社会的ニーズの見定めとそれに必要な人材の供給、さらには国際的競争力の維持に直接に関係するからである・・グローバル化の時代にあっては、人材政策なくしてほとんど何も将来展望が開けないことは、今や各国共通の認識である。この点、日本政府は極めてのんきと言われても仕方がない」
「大学時代の話になると、『自分はいかに勉強しなかったか』を誇らしげに語ることが-テレくささに促されてのことであろうが-当たり前のような風土のところで、次の世代がとまどうのも無理はない。出口をはっきりさせずに、がんばれというのは、もはや通用しない昔の贅沢である」

日本社会の規範と革新

23日の日経新聞経済教室「イノベーション、本質と課題」は、薬師寺泰蔵教授の「競争的模倣で世界リード」「秩序の硬直性正せ、新たな社会規範の議論を」でした。ドイツとアメリカのイノベーションと社会規範との関係を紹介した後、日本について語っておられます。
「近代日本はキャッチアップ国家であり、国家が権威を作り運用した。大学制度しかり、官僚制度しかり、財閥系企業しかりである。この権威に対抗する社会規範はわが国にはない。そのかわり平等主義という社会的安全弁があった。権威の外縁にいても給与、待遇で大きな差別はなく、イノベーションで世界的な仕事をしようとしまいと待遇に大差はない・・」
「変革の契機は別のところで始まるだろう。すなわち、国家が決めた権威ではなく待遇を選ぶという世代が育ち、日本の権威に興味のない外国の研究者が日本で働きたいと思い、自分の挑戦する場所を自分で決めるために移動したいと思ったとき、現在の日本的社会規範は阻害要因になるということだ。そこで、組織に縛られない人の流動化の促進、権威主義から待遇主義への転換など、新しい社会規範の方向性の是非について国民的議論を高める必要がある・・」

政府の公益、市民の公益

19日の朝日新聞補助線に、辻陽明編集委員が「公益法人制度改革を読み解く」を書いておられました。これまでの公益法人制度は、各省が公益を認定してきました。新制度では、財団や社団は誰でも設立できるようになります。ただし、国や県の第三者機関に公益性を認定されないと、税制の優遇は受けられません。
「公益法人制度改革で問われるのは、政府の公益から市民の公益に転換するかどうかだ」
「英国オックスフォード大学で教えたラルフ・ダーレンドルフ氏は、市民の公益活動は『創意豊かで、ある程度特異な団体が乱立する創造的カオス(混沌)でなければならない』と論じた。創造的カオスとは、多様性と言い換えられるかもしれない。さまざまな市民が生き生きと多様な活動をする中から、新たな公益が生まれる。新制度でも怪しげな団体が紛れ込むのは、多様性のコストと考えるべきだろう。排除しようと規制を強めすぎると、肝心の多様性が失われる」