カテゴリーアーカイブ:生き方

「わたし」とは何か

2018年4月30日   岡本全勝

先日紹介した、加藤秀俊先生の『社会学』第6章「自我」に、「ラッキョウの皮」という項があります。p161

人は他者との関係において、さまざまな役割を使い分けます。子供を相手にする時は親であり、老親の相手をする時は子供です。妻の前では夫であり、会社では社員です。それも、部下の上司であり、上司の部下です。店頭に立つと店員であり、お店に行くと客になります。国民として投票に行きと、さまざまな役割があります。その度に、その役割にふさわしい演技をします。

加藤先生は、それをラッキョウの皮に例えます。他者との関係で「わたし」は存在する。「じぶんさがし」と言うが、それは、ラッキョウの皮を1枚1枚剥がしていくことである。最後に何が残るか。何も残らない。
アイデンティティというものがあるとすると、ラッキョウの皮の最後の1枚ではないか。「ほんとうのじぶん」は存在していないのではないか。

厳しいそして冷たい言い方ですが、先生のおっしゃるとおり「自分探し」をしても、何も出てこないでしょう。
オギャアと生まれた赤ん坊が、親に包まれて育ち、友達との付き合い、学校生活などを通して、大人になります。それは、原野で一人で育つものではありません。私たちは社会的動物であり、つねに他者との関係の中で生きています。
では、自分はないのか。「自分探し」ではなく、「自分つくり」だと思います。自我のない赤ん坊が、ラッキョウの皮を1枚1枚増やしていくのが、人生です。皮を剥いていくと、赤ん坊の自分が出てくるだけで、「じぶんらしさ」は出て来ません。

経験豊富な人は、その枚数が多いのでしょう。ある役割をうまくこなす(演じる)ことができる人は、皮の1枚1枚が大きく分厚いのでしょう。
痩せたたラッキョウになるのか、肥えたタマネギになるのか。干からびたタマネギになるのか、つややかなタマネギになるのか。
それぞれの局面での立ち居振る舞い、努力の過程、その結果が「わたし」であり、「わたしらしさ」です。私はそう考えています。

自分自身に恥じない生き方

2018年4月16日   岡本全勝

4月13日の日経新聞夕刊、故野中隆史さん・元みずほ信託銀行社長の追想録(佐藤大和編集委員執筆)から。
・・・「おい、今日1日俺は男らしかったか。ひきょうなまねはしてないか。毎晩風呂で自分自身に問いかけるんだ」・・・だったそうです。

日本人の夢

2018年4月9日   岡本全勝

宝くじが、日本人の夢を調査しました。
それによると、夢を持っている人は52%です。う~ん、半分の人は夢がないのですね。でも、神社や教会に行けば、何かは神様にお祈りすると思うのですが。
夢を持っている人は暮らしに満足している割合が69%で、夢を持っていない人の満足は53%。夢を持っている人の方が、満足度は高いのです。張り合いのある生活が、満足度を高めるのでしょう。

夢の内容は、1位:健康な生活を送りたい、2位:好きな趣味に打ち込みたい、3位:一戸建てに住みたい、です。意外と堅実です。
若い人ほど、夢を持っています。新社会人は69%が、夢を持っています。ぜひ、その夢を実現するように頑張ってほしいです。

1日1食

2018年3月6日   岡本全勝

3月4日の日経新聞The style欄、星野リゾートの星野佳路社長の生き方です。
そこに、1日1食と書かれています。コレステロールや血圧に注意し、40歳を過ぎて兆候が現れたので、朝食をやめたそうです。そこで数値は戻ったのですが。50歳を過ぎてから、コレステロール値が上がり始めたので、昼食の時間を遅くして夕食の量を減らしました。結局、夕食と一緒になって、1日1食になったそうです。
1日1食主義で思考がクリアに」という記事もあります。

私は、星野さんより5歳年上のようです。私も60歳を越えてから、食事量を減らしても、太るようになりました。基礎代謝量が減ったのでしょう。
なるべく車を使わないようにしています。最近は、キョーコさんの協力を得て、家での食事は軽くして、昼は健康弁当を持って行っています(これは結婚以来ずっと)。福島勤務の日は、ホテルの朝食は米とパンを食べない、スクランブルエッグとクロワッサンは好きだけど食べない。昼はヨーグルトだけとか。涙ぐましい努力をしているのですが。星野さんに比べれば、まだまだですね。
しかも、私は米の粒は食べないのですが、米の「絞り汁」を毎晩飲んでいるのです。福島産のお酒です。米の粒より、絞り汁の方がカロリーが高いようです。

茶の湯 藪内家

2018年3月3日   岡本全勝

NHK趣味どきっ、3月は、「茶の湯 藪内家」です。本屋でテキストを見つけて、買ってきました。
富山県庁勤務の時に、県庁茶道部に入って、お茶を教えてもらいました。それが、藪内です。西本願寺に連れて行ってもらって、お茶をいただくことも経験しました。その後、機会がなく、袱紗もしまったままです。お茶の点て方どころか、飲み方まで、作法をすっかり忘れてしまいました。

もっとも、お詫びの記者会見の際に、役に立ちました。日経新聞夕刊コラム「あすへの話題」2月1日「お詫びの訓練」にも書きました。