カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

日本語ワードプロセッサ「一太郎」

日経新聞「私の履歴書」3月は、コンピューターソフト会社、MetaMoJi(メタモジ)社長の浮川和宣さん。ワープロソフト「一太郎」を生んだ、ジャストシステムの創業者です。

私は「一太郎」派です。日本語を書くには、一太郎の方が「ワード」より圧倒的に使いやすいです。縦書きの日本語を使う人が作ったソフトと、横書きのアメリカでできたソフトを日本用に改造したものとの違いです。さらに、ワードは余計なことをしてくれて、困ったものです。

一太郎は1990年代まで、圧倒的に受け入れられていました。その後、マイクロソフトの抱き合わせ販売戦略に負けてしまいました。独禁法違反ではないかと、私は思いました。24日の記事で、浮川社長も「アンフェアな商法だと」憤っておられます。
それでも、日本語で文章を書く人たちが、ウインドウズを買ったときに一緒についてくるワードを使わず、一太郎を別に買って使っていました。

マイクロソフトが、個別ソフトで勝負せず、ウインドウズをプラットフォームにして他のソフトと協業する戦略をとっていたら、違った世界ができたでしょう。
近年は、ワードしか受け付けてくれない会社が多く、一太郎で書いて、ワードに変換して送っています。「文房具へのこだわり」「日本語は縦書き

つながっていない電話に話す「風の電話」

3月11日の朝日新聞オピニオン欄、佐々木格さんへのインタビュー「心の復興と共に」から。
・・・東日本大震災から11年が経った。甚大な被害を受けた岩手県大槌町の鯨山(くじらやま)のふもとにある、電話線のつながっていない「風の電話」。今も様々な喪失感を抱いて、受話器を握る人が全国から訪れる。自宅の庭園にこの電話を置いたガーデンデザイナーの佐々木格さんに、「心の復興」とそこから広がるまなざしについて聞いた・・・

――「風の電話」を庭に置いたのは、震災の前でした。
「電話ボックスの中には、『あなたは誰と話しますか』で始まる筆書きの詩を掲げています。これは、電話を置くきっかけとなった、いとこが書きました。震災の2年前の10月、彼は末期がんの床にありました。私は以前、親類の女性が息子を交通事故死で失い、失意で心の病になって亡くなったことを思い出しました。いとこと家族がつながり続けるすべが何かないかと、この電話を思いつきました」

――いとこと残される家族をつなぐための電話だったのですね。
「そういうきっかけですが、彼の遺族のためだけを考えたわけではなかったのです。何らかの理由で誰かに会えなくなって、喪失感を抱えている人が思いを伝える場所になればいいな、と思ってつくり始めました。『風の電話』と名付けたのは、風を『見えるもの』『聞こえるもの』『つながるもの』の象徴として考えたからです。英語で精神や霊魂を意味する『スピリット』は、風や空気を表すヘブライ語に由来しているそうですね」
「春になれば、周囲の植栽などを整えて仕上げようとしていた2011年3月11日、震災が起きました」

――ここ大槌町でも、多くの方が亡くなりました。
「風の電話は4月に完成した後、新聞に取り上げられたのをきっかけに、震災犠牲者の家族や友人らが次々と訪れるようになりました。亡くなった人につながる。天国につながる。そんなことはあり得ないんだと、みんなわかっていてやって来るんです。けれど、かけ終わると『気持ちが伝わったようだ』『電話の向こうで聞いていると感じ取れた』とおっしゃいます」
「妻を亡くしたある男性は、3回目に訪れてやっと、受話器に向かって思いを語ることができたそうです。電話ボックスの中で、大声で泣きながら話していました。あの中は守られた空間なので、感情を爆発させることができます。その後も男性は何度か訪れました。今は前を向いて、故郷の復興のために力を尽くしています」

――風の電話には、思いを引き出す力があるのですね。
「電話をかければ神がかり的なことが起きるわけでもないし、ここには医者も心理療法士もいません。いとこの書には『風の電話は心でします』とあります。ここを訪れた人は、自ら内面を出して、何に悲しんでいるのか、怒っているのかを話すことで、心と向き合っている。そして自分を納得させるため、前に踏み出そうとしているのでしょう。心理学者のユングによると人の心には欠けたものを補おうとする働きがあるそうですが、電話ボックスに身を置いて受話器を取ることで、自分自身の心が持っている治癒力を呼び覚ますのかもしれません」
「被災して、家族や大切な人を亡くした心の傷を抱える人はたくさんいます。苦しみや悲しみはずっと残り続けるかもしれません。それでも電話ボックスに置いてあるノートには、その悲痛な思いより、『あなたの分まで生きる』というような記述が目につくようになりました。自分の方へ意識を向けかえているような言葉が、年々増えているように感じます」

――この11年間で、風の電話の受話器を取った人はのべ4万5千人にのぼります。

安藤宏『「私」をつくる 近代小説の試み』

安藤宏『「私」をつくる 近代小説の試み』(2015年、岩波新書)が、分かりやすかったです。宣伝には、次のように書いてあります。
「小説とは言葉で世界をつくること.その仕掛けの鍵は,「私」──.言文一致体の登場とともに生まれた日本近代小説の歴史は,作品世界に〈私〉をどうつくりだすかという,作家たちの試行錯誤の連続であった.漱石や太宰などの有名な作品を題材に,近代小説が生んだ日本語の世界を読み解く,まったく新しい小説入門」

文学評論というより、明治以降の小説を「私=書く主体と書かれる主体」を切り口にした、日本社会分析です。

第4章「「私」が「私」をつくるー回想の読み方、つくり方」72ページに、次のような文章があります。
・・・自分で自分の書いた日記を読み返し、そこに描かれている「私」の姿にとまどいや自己嫌悪を感じた経験はないだろうか。
描かれている「私」はたしかに自分であるはずなのだけれども、まるで別人のようにも感じられる。いっそ赤の他人ならよいのだろうが、一見異なる人物が実はほかならぬこの自分自身でもある、という二重感覚がわれわれをとまどわせ、羞恥や嫌悪の引き金になるのである。
いや、こうした言い方はあまり正確ではないかもしれない。たとえば写真で過去の自分の姿を見た時、われわれが感じるのは羞恥や嫌悪よりも、むしろ「こんな自分もいたのだ」というおかしみや懐かしさである。画像が外面的、形態的な客観性を保持しているのに対し、日記は言葉で書かれているために、本来外にさらされることのないはずの「内面」を露呈してしまっている。そのためにわれわれは勝手な「内面」づくりにいそしんでいた、まさにその行為にいたたまれなさを感じるのだ。
日記に登場する「私」は実にさまざまだ。友人と喧嘩したときの記述は自分に都合よく正当化されてしまっているかもしれないし、失恋したときの記述はこの世の悲劇を一身に背負ったヒーロー、あるいはヒロインになってしまっていることだろう。その時々の要請に従ってフィクショナルに仮構された「内面」が、今、読み返している「私」と同一であることを強いられるがゆえに、われわれはいわく言いがたい羞恥と嫌悪を感じてしまうのである・・・

民間人が発明した点字ブロック

歩道や駅などで見かける点字ブロック、これって日本の発明、しかも在野の発明家が作ったのです。知っていましたか。「点字ブロック、岡山が発祥 まちの発明家が貫いた信念」2月21日日経新聞夕刊。

・・・「黄色い線の内側でお待ちください」。毎朝の電車通勤で耳慣れたアナウンス。この黄色い線、「点字ブロック」は半世紀前に岡山県で誕生した。目の不自由な人たちの命綱となるブロックの歴史をたどると、半生を開発と普及にささげた、まちの発明家の姿が浮かんできた。
視覚障害者の安全な歩行を手助けする点字ブロックは正式名称を「視覚障害者誘導用ブロック」という。駅のホームや交差点で見ない日はない。あまり知られていないが、この身近な存在は55年前、岡山県で世界で初めて設置された・・・

三宅精一さんという方が、旅館業の傍ら、発明家として作ったそうです。お金儲けにならず、事業が緒に就いたら病で亡くなられたそうです。詳しくは本文をお読みください。

寝る前に良かったことを思い出す

2月8日の日経新聞の医療健康面「心の健康学」は、大野裕さんの「スリー・グッド・シングス」でした。

・・・ある会合で、夜寝る前に子どもと一緒にスリー・グッド・シングスを実践しているという女性に会った。おそらく就学前か小学校低学年の子どもだろう。子どもを寝かせつけるときに、その日に起きた良かったことや楽しかったことを話してもらっているのだという。
スリー・グッド・シングスについては、以前に本欄でも紹介したが、その日に起きた良かったことを3つ思い出して書き出すことでこころを元気にする方法だ。良かったことと言っても大げさなことでなくてもよい。日常生活のなかで起きた、こころが少し和らぐような出来事を具体的に思い出す・・・

大人が一人で行うことも効果があるでしょうが、子どもと親が一緒にやると、子どもは気持ちよく寝ることができるでしょう。そしてよい子になると思います。