カテゴリー別アーカイブ: 歴史

流行語が作る時代の雰囲気


流行語やキャッチフレーズは、時代の雰囲気を反映したものですが、その言葉が逆に、時代の雰囲気を作る場合があります。
例えば「失われた10年」という言葉がありました。1990年代に、日本が改革に遅れ、国力を低下させたことを指し示していました。ところが、この言葉を繰り返し聞いていると、あるいは自分でも発言していると、それが正しいことであり、当たり前のことと思えてしまうのです。国民の間の共通認識になってしまいます。
この言葉に反発をして、「では改革をやろう」となれば良いのですが、この言葉に納得してしまうと、引き続き「失われた20年」「失われた30年」になってしまいます。時代がラベルを生み、ラベルが時代を作ってしまうのです。キャッチフレーズの、意図しない効果です。
「日本の産業が空洞化した」という「空洞化論」が実際に空洞化を呼ぶ危険性を、藤本隆宏先生が1月7日の日経新聞経済教室で論じておられます。

そして、次のようなこともあります。流行語やキャッチフレーズは、短い言葉で時代を映し出すので、便利です。しかし、それは現実の多様性を隠してしまいます。「1億総中流」という言葉も、実際はそうではなく、1つの理想でした。しかし、多くの人が「自分も中流になった」「働けば中流になることができる」と信じたのです。これは、日本人を勤勉にし、また社会の安定をもたらしました。
ところが、1990年代以降、その言葉の陰で格差は広がっていたのです。あるときは国民を元気づける言葉であったものが、あるときから現実を覆い隠す言葉に転化していました。

進歩は、多くの失敗の上に成り立つ

400トンの金属の塊が、時速1,000キロメートルの早さで、空を飛ぶ(ジャンボジェット機の場合)。私には、理解しがたいことです。
加藤寛一郎著『飛ぶ力学』(2012年、東大出版会)が数式なしで解説してあるとのことで、本屋に行ったら、関連する書籍がたくさん並んでいました。ふだんは立ち寄ることのないコーナーです。悪い癖で、何冊か買いました。
その中で、鈴木真二著『飛行機物語 航空技術の歴史』(2012年、ちくま学芸文庫。2003年中公新書を収録したもの)を、先に読みました。
リリエンタールのグライダー、ライト兄弟の初飛行、エンジンや翼の改良、ジェットエンジンの開発、ジェット旅客機と、この100年あまりの歴史が、テーマごとに易しく述べられています。ライト兄弟の初飛行は、1903年、たった110年前です。
これだけだと、一直線に開発改良が進んだと思えます。でも、この本を読むと、失敗の連続ですね。ここに至るまでに、どれだけの失敗や事故が重ねられたか。驚きます。それと同時に、不可能と思われたことに挑戦した先人たちの努力に、頭が下がります。鈴木先生も、あとがきで、次のように書かれています。
・・空を自由に飛びたいとする人類のロマンが、飛行機として結晶するまで、技術と科学の長い発展があったことを改めて知った。それは、段階を追った積み上げと、突然の飛躍が繰り返されることで達成されたが、いずれも人間のドラマがそこにはあった。過去の因習にとらわれることなく、空の飛行を成し遂げようとする人間のロマンが原動力になっていた。
近代の科学技術がいきなり導入されたわが国では、それらが簡単に手に入ってしまったために、新しい科学や技術が長い歴史の流れのなかで、人間の意志によってなかば必然的に作り出されてきたという認識が欠けているのではないかと思ってしまう・・

日本サッカー成長の理由、現実が漫画を追い越した

10月10日の読売新聞論点スペシャルが、日本のサッカーが力をつけたことを取り上げていました。ワールドカップやオリンピックでの活躍、世界の頂点に立つ欧州名門クラブへの日本選手の移籍や活躍、「どれも一昔前には想像すらできなかった。成長の理由は何か・・」。

岡野俊一郎元日本サッカー協会会長は、
・・世界のサッカー界は、今の日本を驚異と感じている。50年ほど前、日本代表コーチだった頃、世界のサッカーを見て回った。欧州はもちろん、アジアの強豪国との差も大きかった。マレーシア、インドネシアなどには、勝てる気がしなかった。
アジアで勝ちたい、という方針で選手の強化に力を注いだ。東北など各地域に選抜チームを作り、若い世代にエリート教育を実施した。Jリーグが誕生すると、日本サッカーは実力を開花させた・・
現段階では、欧州や南米から認められたとはまだ言えない・・

サッカー漫画「キャプテン翼」の作者、高橋陽一さんは、
・・サッカーを好きになったきっかけは、高校生の時に見た1978年のW杯アルゼンチン大会。こんな大会に日本が出場して、優勝争いができれば良いな、と願って1980年から「キャプテン翼」を描き始めた・・
でも現実を見ると・・漫画が現実に少し追い越されたかなという感じもする。日本サッカーは徐々に、順調に成長していると思う。
日本の若い世代の考え方も変わってきた。Jリーグができた頃は、そこでヒーローになりたいという子が多かったと思う。でも今は、小学生も中学生もJリーグを飛び越して、世界に行くんだという気持ちでやっているように感じる。
「キャプテン翼」に影響を受けたという海外の選手も多い。イタリアのデルピエロ選手、スペインのラウル選手、バルセロナのメッシ選手やイニエスタ選手などだ。フランスのアンリ選手は僕に会いたかったようで、サインも求められた。
海外でも人気が出たのは、初めからW杯を意識して世界基準で描いたことが良かったのかなと思う・・

現実が漫画を追い越すとは、すごいことですよね。もちろん、夢だけでは実現しませんし、子どもや若者があこがれるだけでも実現しません。ここまでには、関係者の大変な努力がありました。メキシコオリンピック(1968年)での銅メダル獲得以来、長く低迷の時代が続きました。その後、トップ選手の育成だけでなく、裾野を広げ、さらにはJリーグという「ビジネスモデル」を立ち上げ、と。
弱小な競技が、日本でも最大級のスポーツ(競技人口も観客動員やテレビ放映でも)になるとともに、国際大会ですばらしい成績を残し、さらに世界で戦う若者を育てるまでになりました。この過程を、一つのビジネス、あるいは国家戦略として見ると、日本が世界で戦う際の一つのモデルがあると思います。
高校時代にサッカーボールに触れましたが、才能がないことを直ちに自覚した、元サッカー少年より。今や誰も信じてくれませんが、ゴールキーパーをしていました。

日中韓の間の摩擦

朝日新聞、9月28日オピニオン欄、橋本治さんの「『みんな』の時代」から。
・・「国民」という括りが、日本人の中から遠くなっているように思う。竹島や尖閣諸島の問題で、韓国や中国は「国民的な怒り」を爆発させているが、今の日本にそういうものはない。韓国や中国のやり方に対して怒る人はもちろんいるだろうけれど、多くの人は彼の国の反日行動を見て、「あの人たちは、なんであんなに怒っているんだろう?」と、そのメンタリティを不思議に思うのではないだろうか。どうしてかと言えば、そのような行動をとる習慣も、そのようなことをしてしまうメンタリティも、日本人はいつの間にかなくしているからだ・・
「平和ぼけ」と言われてしまえば確かにそうだが、それを言う前に考えるべきことがある。それは、いつの間にか日本人が「自分たちは日本国の国民だ」という考えをしなくなっていることである。日本人が日本人であることを意識するのは、外国に行って帰って来てラーメンを食った瞬間くらいのものになっているのかもしれない。日本人の多くは、「日本国民の一人」と思うよりも、「自分はみんなの中の一人だ」と思いたいのだろう・・

同じく28日の朝日新聞、村上春樹さんの「魂の行き来する道筋」から。
・・尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている・・
この20年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済的発展があげられるだろう。各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。共通のルールが定められ、かつてこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。
僕自身の経験に基づいて言わせていただければ、「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。以前の状況はそれほど劣悪だった。どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実には触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。これはまことに素晴らしい成果というべきだ。
たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我々の間には多くの語り合うべきことがあった。
このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かって行くに違いないと期待を抱いていた・・
一部だけを紹介しているので、原文をお読みください。

ウイルスの感染が人類を進化させた

すごくおもしろかったので、シャロン・モレアム著『迷惑な進化-病気の遺伝子はどこから来たのか』(2007年、日本放送出版協会)、フランク・ライアン著『破壊する創造者-ウイルスがヒトを進化させた』(2011年、早川書房)、山内一也著『ウイルスと地球生命』(2012年、岩波科学ライブラリー)を、立て続けに読みました。といっても、寝る前の布団の中で、他の本に道草を食ったりしているので、1か月くらいかかりました。
一つ目の本は、ある種類の病気になる遺伝子を持った家系・民族がいます。なぜ、そんな家系が続いてきたのか。それは、その病気の遺伝子が、別の病気を防いでいるという説です。
そして3冊とも、ウイルスが生物を、人類を含めて進化させてきたことを論じています。ヒトの遺伝子の多くの部分が、ウイルスが感染して残ったものであること。突然変異だけでなく、ウイルスが感染することで、遺伝子が合体し変化して、種が進化するのだそうです。へ~。
私の解説では、これらの本の内容を十分に伝えられないので、ご関心ある方は本をお読みください。

すると、進化の系統樹は、太い幹が順に枝分かれしたのではなく、いろんなところで「交差」することになります。
進化によって、いろいろな種ができ、置かれた環境で生き残ったものだけが、存在することになります。そのほかの多くが発育できないか、死に絶えます。こんな話を聞いていると、人類があるのは偶然であり、生き残っていることが奇跡であること、ウイルスにとって宿主(ヒトもその一つ)が死に絶えようが、病気になろうが「知ったことではない」こと、健康な状態は「希な」ことなどなど。考えさせられます。