カテゴリーアーカイブ:生き様

福島の産物

2022年2月19日   岡本全勝

先日、配達された新聞に、近所のスーパーマーケットのチラシが入っていました。ふだんは見ずに捨てるのですが、色とりどりで目を引くチラシなので見ると、福島産品の特別販売でした。キョーコさんに聞くと、「福島の品物はよいわよ。農家の人が丁寧に作っているからじゃないの」との評価です。
17日の福島での催し会場で、内堀知事に会ったので、持って行って渡しました。

17日の催し物では、出席者の方から、お土産ももらいました。
一つは、あさか開成高校の卵スープです。高校生が発案し、マルちゃんで有名な東洋水産が商品化しました。
もう一つは、加藤ファームのビールです。加藤さんご夫婦とは、久しぶりにお会いしました。

一般道を走る日本一長い路線バス

2022年2月13日   岡本全勝

2月11日の朝日新聞1面子供用クイズ「しつもん!ドラえもん:なら編」は「奈良県と和歌山県を結ぶ一般道では日本一長い路線バスがあるよ。何時間かかるかな」でした。

答は、6時間半。「奈良県橿原市から和歌山県新宮市にかけての169・8キロを走る奈良交通の「八木新宮線」だよ。停留所は168カ所もあるんだ」

私はこの路線に、始点から終点まで乗ったことがあります。高校1年生の15歳の時、52年前のことです。高校総体のサッカー全国大会に、補欠で連れて行ってもらったのです。その帰りに、利用しました。2010年に「十津川村で講演」で書いたことがあります。
当時は、今より道路は悪路だったでしょう。山道にさしかかると、「頭上の棚の荷物を座席に降ろすように」と言われたことを覚えています。
路線図」の一番下の朱色です。「時刻表

通学と通勤の思い出4

2022年2月3日   岡本全勝

通学と通勤の思い出3」の続きです。今回は勤めてからです。これも、さして面白い話はありません。記録のために書いておきます。

まずは、地方勤務時代について。
自治省に入って最初の赴任地は徳島県庁で、県庁から100メートルほどのアパートでした。二度目の地方勤務は鹿児島県庁で、天保山の宿舎からバスで通いました。3キロほどだったでしょうか。三度目の地方勤務は富山県庁で、この時は車がつきました。
福島復興再生総局勤めの時は、週の半分は福島勤務でした。毎週新幹線で通い、福島では事務所近くのホテル暮らしでした。この時は2時間かかりました。これが一番時間がかかったことになりますが、毎日ではなく新幹線で旅行気分でした。東北新幹線は揺れが少なく、混雑していないので、動く書斎でした。原稿書きや読書をしてました(東海道新幹線は揺れるので、最近はパソコンを使うと、車酔いになります)。

東京勤務の際の勤め先は、霞が関、永田町、虎ノ門、広尾でした。さほど遠くない宿舎や住宅から、地下鉄などで通いました。
職場で泊まり込んで、通勤時間なしの日々もありました。局長室の床で寝ていると、職員に起こされるので、遅刻することはありませんでした。
今の家も、キョーコさんが霞が関に通勤するのに便利な土地を探してくれました。地下鉄で25分です。もっとも、その後の勤め先は霞が関駅周辺でなく、一つ手前の国会議事堂前駅が多かったです。

消防大学校(三鷹市)と自治大学校(立川市)には、高円寺駅から中央線を使いました。高円寺は東京の西側にあるので、三鷹駅までは近く、立川駅までは中央線快速で30分ほどでした。市町村アカデミーが千葉市にあり、わが家から東京を横断していくので、時間がかかるのです。

勤務した場所については「建て替えられる建物」、住んだ家については「建て替えられる建物、3」。この項終わり。

通学と通勤の思い出3

2022年2月2日   岡本全勝

通学と通勤の思い出2」の続き、その他の通学についてです。これは、さほど変わった話ではありません。

幼稚園と小学校は隣の集落にあり、歩いて通いました。地図で見ると、300メートルほどです。小学校の昼食は、走って帰って、家で食べました。
中学校は、隣町の八木中学校に通いました。当時の校舎は近鉄八木駅の隣にあって、バスで30分ほどでした。
高校は、先に書いたとおり。毎日が遠足です。

大学に入って、東大駒場寮に入りました。学校の敷地内にあるので、通学時間は零分です。高校時代と、両極端です。
ところが、目覚まし時計が鳴っても「もう少し寝ていても大丈夫」と思って起きません。2時間目の授業も同じ。で、しばしば授業を欠席しました。反省。本を読むことがうれしくって、夜更かしをしたことも原因です。知らない本や読みたい本が、たくさんありました。
高校時代にあれだけやせていたのに、大学に入ると1年で10キロも太りました。通学時間が減った、勉強時間が減った、寮生活で食生活が偏ったことなどによるのでしょう。まことに不健康な、だらしない2年でした。さらに反省。

法学部に進学し本郷に移ったときは、正門前に下宿しました。学校から100メートルも離れていませんでした。ただし、勉強しないと授業についていけない、公務員試験を受けるつもりだったので、授業にも出て勉強するようになりました。特に3年生は、岡義達先生のゼミに入り、1930年代の英語の本と格闘し、しばしば徹夜もしました。「思い出の本、原書講読
食事も気をつけました。4年生の春に伝染病にかかり、さらに健康に注意するようになりました。学校の周りを走ったり、プールで泳いだりも。で、それ以上は太りませんでした。
通った学校については「建て替えられる建物、2」。

すわ、逃げろ

2022年2月1日   岡本全勝

もう2週間以上前の出来事です。
夕方の丸ノ内線、座席は埋まっていて、立っている人もいます。立っている私の前の席が空いて、座りました。
隣の女性は、しきりにスマートフォンを操作しています。そこに、電話がかかってきたようで、耳に当てて話を始めました。
「かなわんなあ・・・電車中で電話して」と思いましたが、最初は小さな声なので無視しました。

そのうちに声が大きくなり「えー、地下鉄の中なので聞こえないのです・・・」と発言。
途切れ途切れに、発言が聞こえます。
「検査が必要?」
「病院に行くのですか・・・」
「私が?」と言っています。
私は「健康診断で引っかかって再検査をするのかな」と想像しました。

しかし「PCR検査を受けるのですか?」と聞こえた瞬間に、私は席から立ち上がって、隣の車両に移動しました。
その間、5分間ほどだったでしょうか。この方も、家族や職場に感染者が出たのでしょうね。感染しておられないことを祈ります。
その後、2週間以上経過したので、私は感染しなかったようです。