「明るい課長講座」カテゴリーアーカイブ

生き様-明るい課長講座

危ないと子をしかるより手を引こう

交通安全標語に、「危ないと子をしかるより手を引こう」というのがあります。昭和51年の最優秀作品だそうです。これは子ども(親)向けの標語としてだけでなく、職場の上司にとって有効な標語だと気づきました。
部下が失敗を犯した場合、あるいは期待しただけのことを達成しなかった場合に、しかることは良くないです。詳しくは、『明るい係長講座』をお読みください。
まだ経験不足の部下や、少し荷が重いかなという仕事を命じた場合、目標を達成できなかったなら、それはほぼ上司の責任です。失敗してからしかるより、事前に適切な助言をすべきでしょう。「やっぱり、ダメだったか」は、部下が悪いのではなく、上司が悪い。できないことを期待した、あなたが悪いのです。
初めて、我が子をお使いに行かせる場合。あなたは、どうしますか。じっくりと教えて、場合によっては後ろから隠れてついて行きますよね。

職場の先輩の効用

古くなりましたが、1月31日の朝日新聞、オピニオン欄は「65歳会社員を考える」でした。小林智明・日本能率協会マネジメントセンター部長の発言から。
・・大半の会社は、高齢者に専門的な仕事を期待していません。営業でも生産技術でも、次々と新しいやり方が出てきます。高齢者が持っているノウハウは、すぐに役に立たなくなってしまう・・
高齢者に求められている資質は何かと問われると、ひとえに「愛嬌」に尽きます。その人がいるだけで場が和やかになり、若手の仕事がはかどって、生産性の向上につながる「潤滑油」の役目です。
例えば、若手が仕事に行き詰まったとき、適切なアドバイスができる、そういう人材です。食事と失敗の回数は負けないはずですから。自分の体験に引きつけて改善策を話すことがでるとか・・
ふだんは存在感が薄くていいんです。いざ、という時に、人間の大きさを感じ取ってもらえれば大成功です。
逆に「俺はあのとき、こうやって契約につなげたんだ」などと自信たっぷりに話したり、説教するのは禁物です・・自慢話や愚痴は、同輩としてください・・

気になる言葉・集約化

今朝(8日)の朝日新聞1面に、「7公立病院、復旧困難。岩手・宮城、集約化も議論」という見出しがありました。「集約化」って、おかしくありませんかねえ。記事の本文にも出てきます。
「集約」とは、国語辞典では「寄せ集めて、一つにまとめること。」とあります。この記事の場合は、7つの病院を統廃合するのでしょう。国語辞典では、「化」は「形や性質が別のものになる。かわる」とあります。しかし「集約」には、すでに動きの要素が入っています。それに「化」をつけると、どのような意味になるのでしょうか。
新聞の見出しは、できるだけ短くするために文字を削ります。それでも「化」を付けたのだから、何か意味があるのでしょうが。よく似た言葉に、統合があります。これも統合化とすると変でしょう。

社会の変化と公務員の役割変化

拙稿「安心国家での地方公務員の役割」が、月刊『地方公務員月報』2011年4月号(総務省自治行政局公務員課)に載りました。内容は、次のようなものです。
1 現代国家の変貌-福祉国家から安心国家へ
(1)福祉から安心へ-対象の変化
(2)提供から保障へ-手段の転換
2 地方公務員に求められるものの変化
(1)地域の課題解決-課題も対策も考える
(2)官民の垣根の低下-民間との競争
3 三つの反省
(1)「できません」
(2)視野が狭い
(3)文章が分かりにくい
4 自治大学校での研修

最近書いた「社会のリスクの変化と行政の役割」や「行政改革の現在位置」北海道大学公共政策大学院年報『公共政策学』で論じた社会の変化を取り入れて、公務員の役割の変化を書きました。
自治大学校にいる時に、書いて出しておいたものです。この月報は、国が出している月刊誌で、市販されていないようです。各市町村役場の人事課には、届いていると思います。ご関心ある方は、お読みください。

一義的

最近、気になる言葉使いに、「一義的」があります。例えば「一義的には××電力株式会社に責任がある」とか「一義的には市町村の仕事です」といった発言が、新聞に載ります。しかし、もしそれが「まずは××会社に責任があり、ダメな時は国が責任を持つ」といった意味なら、「一次的には」と言うべきでしょう。
本来「一義的」は、「それ以外に意味や解釈が考えられないこと」や「いちばん大切な意味。根本的」といった意味で、辞書にもそのような解説が載っています。「一義的には××会社の責任」と言うと、「××会社以外に責任はない。国は責任を持たない」という意味になるのではないでしょうか。