カテゴリー別アーカイブ: 明るい課長講座

生き様-明るい課長講座

松井忠三さん、人を使う術

日経新聞私の履歴書、2月は、松井忠三・良品計画元会長です。15日は「新人時代 現場で培った極意」です。
西友ストアに入社3年目、25歳の頃です。
・・・1975年3月、高円寺店勤務の辞令が出る。前の店と同じように学ぶことばかりの日々が続く。特にパートさんら現場を支える人たちとの信頼関係の構築にはバレー部や大学時代の学生運動、建設現場の作業員のアルバイトなどの経験がいかせた。学生運動のように自分の主張をストレートに言っても伝わらないことが身に染みていたからだ。
現場の人たちはいろいろな経験をしていて今、ここで働いている。酸いも甘いもかみわけた人たちだ。理不尽な人生を送ってきた人もいる。そんな人生の先輩に30歳前後の店長や私のような若造が、正論で頭ごなしに指示を出していてもうまくいくはずがない。私も本来の目標と違う職業・職場で働くことになったので現場の人の感情がわかるような気がしていた・・・

若い管理職に読んで欲しい内容です。

難しい判断、比較不能なものの選択

表題を見ると、「どんな難しいことか」と思われた方もおられるでしょう。今日書くのは、もっと身近な話題です。
小さなことながら、私たちは毎日、決断を迫られています。
風邪気味で熱があるとき、職場に出勤するかどうか。体調の悪さと、その日の仕事の重要性とを比較しながら、判断するでしょう。
夜の飲み会が予定されているのに、夕方急に急ぎの仕事が入ったとき。飲み会を優先するのか、仕事を優先するのか。
同じ時間に、Aさんに誘われた会合と、Bさんの会合が、ぶつかったとき。どちらを断るか。
それぞれに、自分で判断しなければなりません。

親族が死んだときに、どの程度休みを取るかは、規則で休暇の基準が決まっています。これは、一つの標準があるので、それに従うかどうかになります。難しく考えないなら、規定通りに休めば良いです。

東京駅から新宿の会合場所まで、たくさんある経路のうち、どれを選べば早く着くか。これは、コンピュータが選んでくれます。しかし、上に書いたような問題は、どちらを優先するか、客観的な科学的な物差しがないのです。
それが「比較不能なものの選択」です。これは、高等数学でも、AIでも解けません。長谷部恭男先生に『比較不能な価値の迷路―リベラル・デモクラシーの憲法理論』(2000年、東大出版会)という著書があります。

コンピュータが解けない問題にも、2種類あります。
朝食を、ご飯にするかパンにするか。これは、気分で決めても問題ないでしょう。結婚相手に、Cさんを選ぶかDさんを選ぶか。これは大きな問題で、あなたの人生は大きく変わります。しかし、好き嫌いで選んでも、あなたが納得すれば良いことです。
しかし、Aさんの会を優先するのか、Bさんの会を優先するのかの場合、どちらにどのように説明して断るのか。あなたのこれからの、職場人生を左右するかもしれません(笑い)。結婚相手を選ぶより、難しい判断なのです。
この2つの差は、結果が本人限りですむ問題と、周りの人たちとの関係に影響を及ぼす問題との違いです。そして、選ぶより断る方が難しいのです。

雑談力

2月6日の日経新聞夕刊「Bizワザ」は、「雑談力磨き つかめ信頼 」でした。詳しくは本文を読んでいただくとして。そこに表になっていた、「雑談のコツ」が勉強になります。
・相手に関心を示すことが重要
・自分のことを話しすぎない。商談の冒頭から半分くらいまでは相手に話してもらう
・質問は「5W1H」で。相手が「はい」「いいえ」以外で答えられ、話題が広がる。
・相手と目を合わせる、相手の話にうなずくなどのボディランゲージで信頼関係を築く
・年上と話すときは「教えてください」というスタンスが基本
・年下と話すときは世代を意識した発言は避ける。背もたれにもたれないなど座り方にも注意

『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』3

世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』の続きです。

2 消費が、「生存欲求」から「帰属欲求」「承認欲求」へ、さらに「自己実現欲求」へと向かっている。安くて良いものから、承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要になっている。

なお、著者の「消費が生存欲求から帰属欲求、承認欲求、自己実現欲求へと変わっていく」主張は「マズローの欲求5段階説」に依拠していますが、「マズローの欲求5段階説は実証実験では証明されず、アカデミアの世界では眉唾と考えられていることを知らないのか」という反論が出てくるであろうと想定して、それへの答えも書かれています。
・・・科学においては「真偽」の判定が重要になりますが、「科学的に検証できない」ということは「真偽がはっきりしていない」ということを意味するだけで、その命題が「偽」であることを意味しません・・・筆者は「アート」と「サイエンス」の両方、つまり思考における「論理」と「直感」の双方を用いており、であるが故に筆者が個人的に「直感的に正しい」と考えたものについては、必ずしも科学的根拠が明確ではない場合においても、それを「正しい」(と思う)とする前提で論を進めていることを、ここに断っておきます・・・(p18)

なお、この本はもっといろいろなことが書かれています。ここで紹介したのは、その一部です。ご関心ある方は、本をお読みください。

本書に限らず、教養としての西洋美術も注目されているようです。
1月22日の日経新聞夕刊「西洋美術、背景知って鑑賞 欧米では必須の教養 歴史学ぶ講座盛況 企業の研修で採用

『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』2

山口周著『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』の続きです。

研究の世界でも、分析と論理で答えを出す場合ばかりではありません。自然科学の場合は、分析と論理を積み上げることも多いでしょう。しかし、「発見」は、まずは直感で当たりをつけ、それを分析、実験によって裏付ける作業になります。社会科学の場合は、もっとそうです。直感によって、論理を見いだすことが多いでしょう。アンケート調査結果の分析だけが、社会科学ではありません。

私たちの職場での仕事の場合は、さらにそうです。その場その場の判断は、経験と勘によって行われます。のんびり時間をかけて、分析しているようなものではないのです。
また、考慮すべき変数がたくさんあり、それらの各変数の重要度も、人によって違ってきます。しばしば判断結果を説明する際に、「総合的に勘案して」という言葉が使われるわけです。
役所の仕事の重要なものに、予算編成があります。かつて、PPBSやゼロベースなどの「科学的予算査定」が試みられましたが、成功していません。予算が使われたあとに、どのような効果があったかなどの分析は、意味がありますが。

中学生の時(昭和40年代)に、「直感サバンナ」という言葉が、はやったことを思い出しました。事の起こりは、因数分解の問題だと思います。xx-5x+6=(x-2)(x-3)と分解するとき、2とか3という数字を勘で数字を当ててみて、正解かどうかを試してみます。「数学はもっと論理的に積み重ねて正解を出すもの」と思っていたのです。先生に「どのようにして、答えにたどり着くのですか」聞いたら、「直感だ」と答えられました。
当時、マツダの乗用車にサバンナという車種があって、その宣伝文句が「直感サバンナ」でした。それをもじったのです。「へえ、数学でも、論理的積み重ねでないことがあるんだ」と妙に納得しました。
この項続く