カテゴリー別アーカイブ: 明るい課長講座

生き様-明るい課長講座

飲めない人もいる

12月25日の朝日新聞投書欄「男のひといき」、73歳の方の「下戸にはいい時代」から。

・・・コロナ禍でなければ忘年会たけなわであったろうこの季節、酒を飲めない私にとっては苦痛でしかなかった。ゼネコンに入社して数年目、四国支店にいたときの出来事だ。
現場トップのあいさつに続く乾杯を、グラスに口をつけるだけで済ませた私は食べることに専念していた。しばらくすると、右隣の先輩がビールを勧めてきた。
私が「すみません、飲めないんですよ」と断ると、昔からの恒例のフレーズ、「俺の酒が飲めんのか」と怒り出した。
するとそれを見ていた左隣の先輩が、「飲めん者に無理に飲ますことはないやろう」と意見したことで、先輩同士の衝突に発展してしまった。幸い殴り合いにこそならなかったものの、口論は5分以上続いただろうか。
原因となった私は10歳ほど年上の先輩2人に挟まれなすすべもなく、ただおろおろするしかなかった。

今から半世紀も前、会社の飲み会を拒むことなどとてもできなかった。しかし今はできるらしい。酒席への参加を強要する上司はパワハラで訴えられる可能性さえあるとか。
私みたいな下戸にとっては実にいい時代になったものである・・・

独占禁止法違反の自主申告

12月16日の日経新聞に「カルテル「申告制」の威力 処分減免、関電は課徴金ゼロ」が載っていました。
・・・企業向けの電力供給を巡り、公正取引委員会が大手電力3社に独占禁止法違反(不当な取引制限)で計約1000億円の課徴金案を通知した。関西電力が全額免除の一方で、売り上げ規模が最も小さい中国電力は課徴金で過去最大の707億円。結果的に明暗を分けたのが、違反を自主申告して課徴金の減免を受ける「リーニエンシー」制度だった。

「うちは荒っぽいことをやめるので、お互いに荒らさずやりましょう」。関係者によると、関電のトップ級の役員らが2018年秋ごろ、中国電、中部電力、九州電力の3社の役員らと順次協議。それぞれに「相互不可侵」を持ちかけたことが発端となった。
各社と個別に合意を結んだ関電は、違反申告への対応も素早かった。19年に金品受領問題が発覚し、コンプライアンス(法令順守)の徹底が求められていた時期、自社が主導したカルテルを公取委に打ち明けた。申請順位は1位で、課徴金は全額免除となる。
「納得がいかない」。他の電力会社の幹部からは自らのカルテルを棚に上げた恨み節も漏れる。関電の売上高は2兆8000億円を超え、4社中で最大。独禁法に詳しい弁護士は「リーニエンシーが認められなければ課徴金は関電1社で1000億円を超えた可能性がある」とみる。・・・

・・・リーニエンシーの導入は06年。当初は「日本になじまない密告」といわれたが、22年3月までに適用は延べ401社に上った。
協力度合いの評価基準が不透明などの課題はあるが、制度の浸透により、違反を覚知した経営陣は早期の対応を迫られることとなった。過去にカルテルを認定された企業の経営陣が、制度を利用しなかったとして株主代表訴訟を起こされ、役員らが5億円超を会社に支払うことで和解した例もある。対応を怠れば行政処分に訴訟リスクが加わる・・・

カルテルを持ちかけた関西電力が課徴金を免除され、応じた中国電力が707億円もの課徴金をかけられるのは、何かしら変な気がしますが。

私は、規範遵守(コンプライアンス)の講義に、この話題(違反の自主申告、内部通報)を使っています。違反を起こさないことと、それを見つけた場合の対処です。
法令違反はやってはいけないことですが、根絶は無理でしょう。それを見つけたとき、気がついたときに、どのように振る舞うべきか。誰しも「ばれなければよい」と思うのではないでしょうか。ところが、ばれるのですよね。すると、傷口はもっと広がります。そして、管理職の責任はさらに重く問われることになります。「受動的な責任と能動的な責任」「責任をとる方法

鳴かぬならその気にさせようほととぎす

「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ほととぎす」「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」は、それぞれ織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の句、人柄を表したものとして有名です。もっとも出典は明らかではなく、後世の人がつくったのでしょう。それにしても、よくできた話です。

これを、現在の管理職に当てはめてみましょう。職員を動かし、仕事を仕上げる場合にです。
「殺してしまえ」は、通用しません。「鳴くまでまとう」も、期限が決められている業務には当てはまりません。ただし、家康はただ待っていただけではなく、さまざまな仕掛けをして、時期を待っていたのですが。
「鳴かせて見せよう」は、頼もしい発言です。相手が物なら、この言葉も効果があるのですが。相手が部下なら、なかなか思うようには動いてくれないのですよね。

どうしたら、職員にやる気になってもらえるか。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」は、山本五十六元帥の名文句です。
すると、私流に変えると「鳴かぬなら その気にさせよう ほととぎす」です。そのコツは、明確な指示を出すことと、褒めることです。

会社の業績低迷と士気の低下

中條高徳著『陸軍士官学校の人間学 戦争で磨かれたリーダーシップ・人材教育・マーケティング』(2010年、講談社+α新書) を読みました。あるところで紹介されていたので。
中條さんは、陸軍士官学校で終戦を迎え、アサヒビールに入社。戦前は75%の市場占有率を持っていた会社が、戦後の解体、キリンビールとの戦いに負けて、キリンが6割・アサヒが1割にまで落ちます。スーパードライをヒットさせて、大逆転した立役者です。そのいきさつは本を読んでいただくとして、次のようなくだりがあります。

キリンの拡大、アサヒの凋落に対し、中條さんたちは危機感を持ちます。ところが、中には「給料はそこそこもらえているし、アサヒは老舗の会社なのだから、変わらなくてもいいでしょう」と言ったり、中條さんが生ビールで勝負しようとしたら「そんな簡単にいくわけがないよ」と反対する人がいます。
会社の上層部には戦前からの社員がいますが、彼らは大卒のエリートで、「人生を比較的スムーズに歩んできた恵まれた人々のせいか、少しでも壁にぶち当たると意気消沈してしまい、陰口をたたいたり、弱音を吐いたりするようになる。
私が恐れたのは、やる気がある他の社員が彼らの影響を受けてしまい、ネガティブな意識が会社全体に広がってしまうことでした。かの有名な「グレシャムの法則」は「悪貨は良貨を駆逐する」と説いていますが、そんな状況に陥ってしまったら、本当にアサヒは死んでしまうと思ったのです」90ページ。

1982年、アサヒビールは業績不振の極みでした。当然、社内には鬱屈したムードが流れていた。
私のように「このままではアサヒは駄目だ。なんとかしなくてはいけない!」という急進派と、「下手に動いて元も子もなくなるより、現状を維持できるよう努めよう」という穏健派、そして「アサヒは老舗の大企業だ。今日明日、会社が潰れるわけじゃない・・・」という無気力派に別れていたのでした。143ページ。
参考「社風をつくる、社風を変える」「組織運営の要諦2

迷ったときの判断基準、2つ

先日の記事「二つの『正解』」に、かつての同僚から意見がありました。

末尾に、迷ったときの判断基準は「後世の人の批判に耐えうるか。説明できるか」「閻魔様の前で説明できるかどうか」ですと書きました。それに対し、寄せられた意見は、「富山県にいた頃は、『富山駅前で大きい声で言えるか』『中学生にもわかってもらえるか』と言っておられましたよね」とです。

そうでした。「大和デパートの前で、通行人に説明できるか」とか「両親や連れ合いに説明できるか」とも言っていました。この考えは、いまも変わりません。私がこの発言をしたのは、「それで正しいか」とともに、「そのような説明で、県民に納得してもらえるか」という観点からです。

東日本大震災の際に「閻魔様の前で説明できるか」と考えたのは、宗旨替えをしたのではありません。そのときに置かれた状況から、それぞれの判断が被災者の生活に大きな影響があること、後世への影響も大きいことから、「駅前で通行人に説明できるか」という基準では「悠長で」ふさわしくないと思ったのです。
通常の場合の判断基準は、いまでも「駅前で通行人に説明できるか」「家族に説明できるか」「中学生でも分かるか」です。