「明るい課長講座」カテゴリーアーカイブ

生き様-明るい課長講座

従業員の性善説とは

6月16日の朝日新聞オピニオン欄「それって性善説?」、田澤由利さんの「在宅勤務 緩やかな柵で管理」から。

・・・「在宅勤務は性善説で」と言われることがあります。25年以上前から在宅勤務の推進に携わってきましたが、性善説での在宅勤務には行き詰まりがあると私は考えています。
「従業員を疑え」という意味ではありません。人は弱い生き物ですから、家にいれば気が緩み、さぼってしまったり長時間労働になってしまったりする従業員はどんな組織にもいます。また、どんなに良い上司でも、部下の様子が見えない状況が続くと「さぼっているのでは」と不安になっても仕方がありません。疑いや不安が蓄積されて起こるのは、出社への揺り戻しです。実際、コロナ禍で在宅勤務を導入したものの、今は「出社せよ」となっている企業は少なくありません。

在宅勤務は、うまく運用できれば素晴らしい制度です。企業は交通費やオフィス代などのコストを削減できる。就職で「在宅勤務ができるか」が重視される傾向があるため、いい人材も確保できる。従業員にとっても、育児や介護や病気の治療など、これまでだったら辞めるか、給料を減らして勤務時間を減らすか、無理のある働き方をするかしかなかった人も、柔軟に働き続けることができます。
問題は、生産性です。「在宅勤務で生産性が落ちた」とよく聞きます。組織は「2:6:2」で構成されているという話があります。自己管理ができてばりばり働く人が2割、普通に働く人が6割、ちょっと困った人が2割。多くの組織に当てはまるのではないでしょうか。ばりばり働く人だけでなく、残りの8割の人もしっかり働けるマネジメントが必要です。

そのために私は「ゆるやかな柵」という考え方を提案しています。「監視」は悪いことのように言われますが、社員の労働時間を把握して適切に管理するのは企業の責任です。在宅勤務でも、会社にいる時と同じような「働いている」「席についている」くらいの「柵」を用意することは、デジタルツールを利用すれば可能です。労働時間を把握して時間当たりの生産性を評価することができれば、だらだら働く人に多くの給料を支払う必要もなくなります。
「在宅勤務だから自由がいい」と思う人もいるかもしれませんが、成果を出そうと過重労働になったり、非効率な働き方になったりすると、企業は在宅勤務をやめてしまいます。企業はゆるやかな柵を用意し、従業員は柔軟でもきちんと働くことが、在宅勤務の正しい運用ではないでしょうか。
「従業員を信じましょう」「従業員に優しくしましょう」という考えでは、必ず甘えが生まれ、職場がぎくしゃくし、長続きしません。必要なのは優しさではなく、適切なマネジメント。性善説ではないのです・・・

タマネギの皮を増やす

立命館大学法学部「公務行政セミナー」講師2」の続きにもなります。
「人生とはタマネギの皮を増やすことだ」という話が、たくさんの学生から反応がありました。皮と言っても、外側にある茶色い薄い皮でなく、内側の食べる部分(鱗茎)です。あの1枚ずつも皮と呼ぶのでしょうが、茶色の皮と区別する際には、なんと呼ぶのでしょうか。

人は、自分が何者であるかを知りたくなります。特に若い人が「自分探し」をします。就職活動に当たって、自分は何にむいているかを考えるときなどです。私は、それは無駄だと助言しています。「ラッキョウの皮をむく」という、ことわざがあります。むいてもむいても皮ばかりで、実がでてきません。若いうちは、経験も少なく、自分が何者かを考えても、よい答は見つかりません。

私も若いときにそのようなことを考えたのですが、ある教育者から「人生とは自己実現だ。その過程だ」と教えられて納得しました。その趣旨を『明るい公務員講座』にも書きました。自己実現は自己発見の過程でもあります。ラッキョウの皮にたとえれば、むいていって芯に何があるのか探すのではなく、タマネギのようにいろんな経験の皮を加えていって太ることでしょう。
自己実現というと、少々難しいです。何が自己かは、人生の終盤にならないと分からないのです。

私の人生を振り返っても、学生時代はもちろん、就職した頃も、現在の私になるとはとても想像がつきませんでした。たぶん、神様もご存じなかったのかも。
神様がその時々にサイコロを振ってくださって、私もそれに応えるべく努力して、さまざまな経験を積んで、今の私ができたのでしょう。タマネギの皮を増やす人生でした。

職場での面談、2つの場合

公務員の業績評価に際し、期首と期末に上司との面談が行われます。私は、この仕組みはよいことだと評価しています。
導入当初は「面倒だ」と思いましたが、部下に今期の仕事の目標を確認する、そして達成度を確認する上で、必須です。「ふだん一緒に仕事をしているから大丈夫」ではないのです。

他方で、上司には言いにくいことがあります。上司と部下がうまくいっていない場合、その面談は形式的になります。
極端な例が、上司が原因となって部下が心を病む場合です。上司は、自分は正しく、部下ができが悪いと考えます。しかし実態は、上司が悪く、部下が被害者の場合もあります。
さて、このような場合に、面談をどのようにしたら機能するようになるのか。難しいですね。

「誤解を与えたとすれば申し訳ない」

5月31日の朝日新聞オピニオン欄、松田謙次郎・神戸松蔭女子学院大学教授の「「誤解を与えて申し訳ない」えっ、受け手の問題?」から。

・・・誤解を与えたとすれば申し訳ない――。もはや釈明の言として定着した感のある言葉ですが、耳にするたび、釈然としない思いがこみ上げます。えっ、それってこちらの誤解だったの!? 社会言語学者の松田謙次郎・神戸松蔭女子学院大教授(61)に、謝罪表現について聞きました・・・

・・・政治家や企業トップの謝罪会見で、相変わらず頻繁に登場する言い回しですね。「舌足らずだった」なども含めて、こうした表現を私は「フェイク謝罪」と呼んでいます。差別発言でも軽率な発言でも、問われているのは発言者の考えでありスタンスなのに、表現の稚拙さの問題にすり替えてしまっている。さらには、受け手の側が文字どおり「誤った理解」をしているのであって自分は非難されるいわれはない、という責任転嫁と加害の上塗りにすらなってしまっています。
ホンネをポロリと漏らしてしまったという意味での失言は、どの国の政治家にもあります。その場合、米国などでは、過ちを認めて撤回するか、認めず開き直るかのどちらかのようです。発言内容の問題性に向き合わぬまま、謝罪になっていない謝罪の言葉だけ述べて穏便に済ませようとするのは、極めて日本的な政治戦術だと思います・・・

・・・フェイク謝罪を謝罪表現として定着させないためには、このコミュニケーションを成り立たせない、共犯関係に陥らないことが大切。話し手が使ったら、国民もメディアも即座に「誤解とはどういう意味ですか?」「それなら発言の真意は?」と、ツッコミを入れることを忘れないでください・・・

人事評価の公平性と透明性

5月22日の日経新聞女性欄「昇進 周囲が納得の評価に 女性が活躍する会社資生堂1位」から。

・・・厚生労働省の21年度調査によると、企業における課長以上の女性管理職比率は12.3%。資生堂の37.6%(23年1月時点)は平均値を大幅に上回る。管理職となる女性本人の意識付けに加えて、同じ職場で働く周囲の社員への納得感を高める働きかけがカギのようだ。

23年1月、資生堂では30歳の女性管理職が誕生した。男性の管理職が多い部署での若手女性の抜てき。周りの社員はどう見るのか。上司にあたるストラテジープランニング室の大島洋視室長は「彼女の能力や成果が正当に評価された結果だ」と話す。
女性活躍は、女性だけの問題ではない。女性管理職を増やす際には同じ職場で働く社員たちの納得感が伴わなければ「数合わせ」「お飾り」などの評判が立ち、社員の士気も下がりかねない。

社員の納得感をつくるために肝となるのは人事評価の公平性と透明性だ。資生堂は16年から年に数回の「カリブレーション(基準合わせ)会議」を実施する。部内の管理職が15人ほど集まり、部下の評価と育成計画をすり合わせる。部下1人につき5分ほどの時間をかけて複数人で話し合うことで、個人の感情や人間関係といった属人的な要素が評価に入り込む余地を与えない。会議後には部下に直接フィードバックもする。
さらに、周囲の社員が肌感覚でも昇進に納得感を持てる仕組みも取り入れる。管理職候補には管理職試験と並行して、昇進後の業務負荷がかかる仕事を一定期間任せる。部署横断型のプロジェクトリーダーを務めるなど、難易度の高い仕事をこなす姿を周囲の社員にも見せる・・・

多くの組織で、管理職は部下を評価する訓練を受けていません。評価基準はあるのですが、具体に当てはめるとなると、難しいです。そして、ある人を、その上司一人で評価することが多いです。資生堂の複数人で議論すること、それを部下に直接伝えることは、よい方法です。