「明るい課長講座」カテゴリーアーカイブ

生き様-明るい課長講座

顧客からの迷惑行為

7月3日の日経新聞に「カスハラ封じ、企業も責任 都は「警察通報」指導も」が載っていました。

・・・顧客や取引先からの迷惑行為、「カスタマーハラスメント(カスハラ)」の被害を、法の力で防ごうとする動きが広がっている。東京都は中小企業向けの専門の支援窓口を置き、悪質事例は警察に通報するよう助言。裁判所では加害者の勤務先企業に使用者責任を認める判決も出ている。企業には、従業員をカスハラから守るために十分な措置をとる法的義務が今後重視されるとの見方も強まる。

「暴言を繰り返し、店頭に居座る客に困っている」。東京都は4月、都中小企業振興公社(東京・千代田)にカスハラ専門の相談窓口を設置。中小企業からの被害相談などを受け始めた。必要に応じて中小企業診断士や社会保険労務士の相談員を4回まで派遣して対応を支援する取り組みを中心とする。
都は被害に遭った従業員だけでなく、企業の事業活動への影響も懸念。左古将典・都振興公社総合支援課長は、相談員と企業が対応しても改善しないような悪質なケースについて「(刑事事案として)被害を警察に通報するよう企業に勧める」と言い切る。

飲食店などを中心に近年、カスハラの被害が目立っている。厚生労働省が20年秋に全国8000人を対象に実施した調査では、過去3年間でカスハラを経験した労働者は15%で、セクシュアルハラスメント(約10%)を上回った。「長時間の拘束や同じ内容を繰り返すクレーム」や「ひどい暴言」などの内容が多かった。飲食店情報サイト「飲食店ドットコム」の20年の調査では、約490人の飲食店経営者のうち64%がカスハラ被害の経験があると答えたという。

被害が増える一方、カスハラの法的な位置づけは曖昧だ。セクハラやパワーハラスメントの防止策は労働施策総合推進法などで次々に法制化されたが、社外の第三者が加害者となるカスハラを直接禁じる法律はまだない。どんな行為が該当するかの具体的な定義も定まっていない。
ただ悪質なカスハラは、暴行や強要、威力業務妨害など刑法上の罪に該当する行為を伴うことがある。都はここに着目し、刑事事案として警察に相談することで被害の歯止めを目指す指導につなげている・・・

行政にあっては、行政対象暴力があり、議員からの無理な要求も問題になっています。

従業員の性善説とは

6月16日の朝日新聞オピニオン欄「それって性善説?」、田澤由利さんの「在宅勤務 緩やかな柵で管理」から。

・・・「在宅勤務は性善説で」と言われることがあります。25年以上前から在宅勤務の推進に携わってきましたが、性善説での在宅勤務には行き詰まりがあると私は考えています。
「従業員を疑え」という意味ではありません。人は弱い生き物ですから、家にいれば気が緩み、さぼってしまったり長時間労働になってしまったりする従業員はどんな組織にもいます。また、どんなに良い上司でも、部下の様子が見えない状況が続くと「さぼっているのでは」と不安になっても仕方がありません。疑いや不安が蓄積されて起こるのは、出社への揺り戻しです。実際、コロナ禍で在宅勤務を導入したものの、今は「出社せよ」となっている企業は少なくありません。

在宅勤務は、うまく運用できれば素晴らしい制度です。企業は交通費やオフィス代などのコストを削減できる。就職で「在宅勤務ができるか」が重視される傾向があるため、いい人材も確保できる。従業員にとっても、育児や介護や病気の治療など、これまでだったら辞めるか、給料を減らして勤務時間を減らすか、無理のある働き方をするかしかなかった人も、柔軟に働き続けることができます。
問題は、生産性です。「在宅勤務で生産性が落ちた」とよく聞きます。組織は「2:6:2」で構成されているという話があります。自己管理ができてばりばり働く人が2割、普通に働く人が6割、ちょっと困った人が2割。多くの組織に当てはまるのではないでしょうか。ばりばり働く人だけでなく、残りの8割の人もしっかり働けるマネジメントが必要です。

そのために私は「ゆるやかな柵」という考え方を提案しています。「監視」は悪いことのように言われますが、社員の労働時間を把握して適切に管理するのは企業の責任です。在宅勤務でも、会社にいる時と同じような「働いている」「席についている」くらいの「柵」を用意することは、デジタルツールを利用すれば可能です。労働時間を把握して時間当たりの生産性を評価することができれば、だらだら働く人に多くの給料を支払う必要もなくなります。
「在宅勤務だから自由がいい」と思う人もいるかもしれませんが、成果を出そうと過重労働になったり、非効率な働き方になったりすると、企業は在宅勤務をやめてしまいます。企業はゆるやかな柵を用意し、従業員は柔軟でもきちんと働くことが、在宅勤務の正しい運用ではないでしょうか。
「従業員を信じましょう」「従業員に優しくしましょう」という考えでは、必ず甘えが生まれ、職場がぎくしゃくし、長続きしません。必要なのは優しさではなく、適切なマネジメント。性善説ではないのです・・・

タマネギの皮を増やす

立命館大学法学部「公務行政セミナー」講師2」の続きにもなります。
「人生とはタマネギの皮を増やすことだ」という話が、たくさんの学生から反応がありました。皮と言っても、外側にある茶色い薄い皮でなく、内側の食べる部分(鱗茎)です。あの1枚ずつも皮と呼ぶのでしょうが、茶色の皮と区別する際には、なんと呼ぶのでしょうか。

人は、自分が何者であるかを知りたくなります。特に若い人が「自分探し」をします。就職活動に当たって、自分は何にむいているかを考えるときなどです。私は、それは無駄だと助言しています。「ラッキョウの皮をむく」という、ことわざがあります。むいてもむいても皮ばかりで、実がでてきません。若いうちは、経験も少なく、自分が何者かを考えても、よい答は見つかりません。

私も若いときにそのようなことを考えたのですが、ある教育者から「人生とは自己実現だ。その過程だ」と教えられて納得しました。その趣旨を『明るい公務員講座』にも書きました。自己実現は自己発見の過程でもあります。ラッキョウの皮にたとえれば、むいていって芯に何があるのか探すのではなく、タマネギのようにいろんな経験の皮を加えていって太ることでしょう。
自己実現というと、少々難しいです。何が自己かは、人生の終盤にならないと分からないのです。

私の人生を振り返っても、学生時代はもちろん、就職した頃も、現在の私になるとはとても想像がつきませんでした。たぶん、神様もご存じなかったのかも。
神様がその時々にサイコロを振ってくださって、私もそれに応えるべく努力して、さまざまな経験を積んで、今の私ができたのでしょう。タマネギの皮を増やす人生でした。

職場での面談、2つの場合

公務員の業績評価に際し、期首と期末に上司との面談が行われます。私は、この仕組みはよいことだと評価しています。
導入当初は「面倒だ」と思いましたが、部下に今期の仕事の目標を確認する、そして達成度を確認する上で、必須です。「ふだん一緒に仕事をしているから大丈夫」ではないのです。

他方で、上司には言いにくいことがあります。上司と部下がうまくいっていない場合、その面談は形式的になります。
極端な例が、上司が原因となって部下が心を病む場合です。上司は、自分は正しく、部下ができが悪いと考えます。しかし実態は、上司が悪く、部下が被害者の場合もあります。
さて、このような場合に、面談をどのようにしたら機能するようになるのか。難しいですね。

「誤解を与えたとすれば申し訳ない」

5月31日の朝日新聞オピニオン欄、松田謙次郎・神戸松蔭女子学院大学教授の「「誤解を与えて申し訳ない」えっ、受け手の問題?」から。

・・・誤解を与えたとすれば申し訳ない――。もはや釈明の言として定着した感のある言葉ですが、耳にするたび、釈然としない思いがこみ上げます。えっ、それってこちらの誤解だったの!? 社会言語学者の松田謙次郎・神戸松蔭女子学院大教授(61)に、謝罪表現について聞きました・・・

・・・政治家や企業トップの謝罪会見で、相変わらず頻繁に登場する言い回しですね。「舌足らずだった」なども含めて、こうした表現を私は「フェイク謝罪」と呼んでいます。差別発言でも軽率な発言でも、問われているのは発言者の考えでありスタンスなのに、表現の稚拙さの問題にすり替えてしまっている。さらには、受け手の側が文字どおり「誤った理解」をしているのであって自分は非難されるいわれはない、という責任転嫁と加害の上塗りにすらなってしまっています。
ホンネをポロリと漏らしてしまったという意味での失言は、どの国の政治家にもあります。その場合、米国などでは、過ちを認めて撤回するか、認めず開き直るかのどちらかのようです。発言内容の問題性に向き合わぬまま、謝罪になっていない謝罪の言葉だけ述べて穏便に済ませようとするのは、極めて日本的な政治戦術だと思います・・・

・・・フェイク謝罪を謝罪表現として定着させないためには、このコミュニケーションを成り立たせない、共犯関係に陥らないことが大切。話し手が使ったら、国民もメディアも即座に「誤解とはどういう意味ですか?」「それなら発言の真意は?」と、ツッコミを入れることを忘れないでください・・・