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生き様-旅行記

2002年欧州探検記3写真(フランス編)

サン・タンニェス村
(左の家並みが旧村、右上頂上は中世の砦)
村の上から見ると
(写真下中央の屋根の固まりが旧村)
ここをクリックして開いたページの右上「360゜MAP」の文字をさらにクリックすると南仏の地図がでます。
地図の海岸線沿いの右端近くにMenton(マントン)があります。その左上(北西)にある、Ste Agnes(サン・タンニェス)の文字をクリックすると360度パノラマを見ることができます。
調査中。助役さん他。
「みんな引退しているから、月曜日の朝から君たちの相手をしていられる」
昼食中も、お互いに調査で質問責め
反対側から見ると。
青い服の女性が旧村担当助役さん、右下の男性が財政担当。
住民集会のお知らせ
「10月8日19時から」と読める
付録:マントン。後ろの方の山の頂上にサン・タンニェス村がある。
地中海コート・ダジュールの夜明け(マントンの海岸)

 

2002年欧州探検記3(フランス編)

フランス編
9月27日(金曜日)(パリのホテル)
昨日イッセブルグの調査を終え、デュッセルドルフで宿泊。今朝は、ケルンへ移動し、列車へ。列車は、静かにヨーロッパの平野を進み、1時間でベルギーへ入った。この後、3時間でパリ北駅に着く。ナポレオンもヒットラーも、すぐに国境を越えるはずだ。
2時すぎにパリ着。3時にクレア・パリ事務所について、山下所長自らの説明を聞く。よく働く調査団だ。1時間程度と始めたが、所長のお話がわかりやすく、いろんなことを教えてもらっているうちに、2時間が経過。どこに行っても、予定時間を遙かに超えてしまう。いくつも、ためになることをうかがったが、それはまた次に書くこととする。
9月28日(土曜日)(引き続きパリのホテル)
パリで思ったことその1
今日は、土曜日で、調査対象の相手がいない。というより、出張中でも休みでしょう。地下鉄で移動中、少女3人組のスリ団が「仕事をする場面」に遭った。「少女の3人組、4人組を見たら、スリと思うべし」とのこと。日本はなんと安全なことか。安全は、重要な社会資本だ(予告。この点は、『地方行政』に連載中の第8章2につながります)。
通貨が統一され、ユーロになっている。イギリスはポンドで、ドイツに入る際に両替が必要だが、その後、ドイツ、フランス、イタリアと両替の必要がない。これは便利。パスポートのチェックもほとんどない。ヨーロッパの実験を改めて感じる。これは、道路以上の社会資本だ。
パリで思ったことその2
休みの間に、ルーブル美術館などを見て回った。気になるのは、観客の7割が東洋人ということ(休みの日の朝ということもあるか)。パンフレットなども、各国語が用意してある。日本、韓国、中国。日本人と他の東洋人との違いは、立ち居振る舞いで、わかる。きっと10年ぐらい前までは、西洋人は、日本人の行動に顔をしかめていたのだろう。
ノートルダム寺院の入り口に「静粛に、ここは祈りの場」といった看板が立っているが、一番目が日本語、あと英語やドイツ語。韓国語と中国語はまだ書いていない。「フラッシュをたくな」とか、「他の人を考えずにめいめい記念撮影をするな」とか、これからいくつかの言葉でも必要になるだろう。
まあ、それにしてもたいしたもんだ。世界中から「お上りさん」を集め、100年前の建物を見せて金を稼ぐ。ホテルはもちろん、ワインを飲ませ、ショウを見せ、高級ブランドから絵はがきまでを土産に買わせる。その他いろいろな商売あり。タクシー、観光バスからガイドさん。かっぱらいから、・・・。
金を落とすのは、アメリカ人、日本人、ドイツ人が御三家のようだ。町を歩いていても圧倒的にこれらが多いし、トイレの表示からしてこの3カ国。それに、韓国、中国が増えてきている。町の中には、アフリカ系や中近東系、中国系(ベトナム?)も多い。旧植民地からであろう。
地下鉄の車両の中で、突然演奏が始まる。アコーデオン、中にはクラリネットを含む4人組がいた。終わると寄付を集める。いろんな商売があるもんだ。私も将来、丸の内線か御堂筋線で、フルートを吹くか。
9月29日(日曜日)(マントンのホテル)
今日は日曜日。朝、パリ・オルリー空港から南仏ニース空港へ。地中海沿いの当地は、雲があったものの、空気が違う。晴れてくると、空の青さに、地中海の青さ。北フランスから来たら、その明るさに驚く。多くの画家がここで絵を描いたことはわかる。当然気温も暖かく、半袖でいい感じ。
今晩の泊まりは、マントン。ここは、地中海沿いのイタリア国境の町。西隣はモナコ、もう一つ西はニース、さらにカンヌ、サントロペと続く、コート・ダジュールの町。これらは日本でも有名だが、その東端の町。
海にヨットが浮かぶ、きれいな海岸、ホテルが並ぶ。と言えば写真はいいが、山が海に迫っていて、その斜面に家が建っている。日本で言えば、熱海。もっとも、こちらは建物の色や形が整っていて、きれいではある。海からみた町の景色の絵はがきを売っているが、熱海の風景の絵はがきってあったかなあ。これは、日本のどの町にも通じる。
さて、どうして食っているか?町の真ん中は観光業で食ってる。でも、明日行くサン・タンニェス村は、ここから10キロ山の中。ニースから高速道路で来たが、途中は山ばっかり。その山は、禿げ山に近い岩山ばかり。何も獲れそうにない。
ちなみに、マントンは引退した老人の保養所。町や海岸は老人ばかり。フランスでも一番に高齢な町とのこと。それで治安はいいらしい。この人たちは、金を持って歩いていない。「窃盗団」も仕事にならないのだろう。70歳とか80歳のご夫婦=うちの両親ぐらいが、手を繋いで歩いている。時間がゆっくりと流れている。
9月30日(月曜日)(引き続きマントンのホテル)
今日は、朝から、サン・タンニェス村(Sainte-Agnes)での調査。マントンからは10キロ山に入る。もっとも、半端な山ではない。海岸から4キロほど奥だが、標高650メートル。絶壁の岩山をつづら折りの道を上っていく。岩山なので、まばらにしか木が生えていない。でも、道は絶壁を削るだけで、土砂崩れはしない。セザンヌの絵に、サン・ビクトワール山というのがあったが、あれ。
岩山の頂上近くに100戸ほどの家がかたまってへばりついている。これが村。正確には、ここは旧村で、80人ほどしかすんでいない。周りの山々にへばりついている家をあわせて、1000人とのこと。まあすごい。平たい土地は猫の額もない。さらに50メートルほど上が山の頂上で、そこに砦、中世の城跡がある。眼下にマントンの町と地中海が広がる。
ローマ時代からの砦。中世には海賊の見張り台。昔は、海賊をおそれ、そこに住んでいたが、14世紀に今の場所に「降りた」。そこは、水がでる。今は、下からポンプ・アップしているが。
「フランスの美しい村100選」に載っているだけあって、それは美しい。でも、十津川や祖谷も、これ比べればかわいいもんだ。
住人は、マントンや隣のモナコに働きに行っている。小学校もないので、毎朝、家族がマントンまで車で送っていく。都会を離れ静かさを求める人と、家が安いのでここで買う人が住んでいるとのこと。
フランスの村(写真3へ)
1 議員
15人。ほとんどが退職した人たち。私たちを相手してくれた助役や財政担当も、みんな退職者。「だから、月曜の朝からおまえたちの相手をしていられるんだ」とおっしゃる。納得。退職者ではない人も、就任することがあるが、時間通りに来なかったり、全然出席しなかったりで、評判が悪いとのこと。
議会は、8月を除く毎月1回。18時30分から。終わりは24時とか、それよりも遅くなることがあるらしい。「翌朝までやったこともあるじゃないか」「市長が話し好きでねえ」と笑っていたが、それを説明する人もなかなかの長広舌。
傍聴者は、ほとんどいないとのこと。その代わり、10月に3地区に分けて、住民集会をする。市長以下議員がでて、話を聞くとのこと。教会の前に、今度のお知らせが張ってあった。
市長(村長)は互選。助役は、第1助役、経済担当、旧村担当、下村担当の4人。市長、助役の給料は、法律か何かで決まっているとのこと。人口1千人から3千人の村だと、村長は月額1,315ユーロ。1ユーロは125円だから、16万円ぐらいか。助役は388ユーロ、5万円ぐらい。議員は、交通費などの実費支給だけ。議会に出席する職員は1人。職員数は、パートを入れて14人。常勤は3人。
選挙は6年ごと。フランスは、難しい比例選挙。村で聞いたら、2つのグループが、候補者リストを出す。有権者は、投票用紙に印刷してある候補者名のうち、いやな人の名前を線で消して、15人を選ぶ。上位15人が当選。村長はその15人の中から互選。
ここ続けて3回、同じグループ同士の戦いで、今のグループが勝ち続けている。敵方は15人リストを揃えられず、1人も当選しない。党派の名前を聞いたら、みんなで、「何という名前だっけ」と考えていたが、結局、自分たちの党の名前を思い出せなかった!
服装の話になった。こちらも気を利かせて、紺のスーツはやめて、ネクタイと派手目の上着で行った。向こうはノーネクタイ。恐縮していた。「ネクタイは持ってきたがね」とポケットから見せてくれた。「議会もノーネクタイか」と聞いたら、当たり前だと言う顔をしていた。
ここに限らず、紺のスーツはやめた方がいい。それが群をなして歩いていると、それだけで「異様」だ。まず、男が10人も群をなしているのが異様。紺のスーツは異様。カメラを掛けているのも異様。東洋人の固まりは・・。
2 行政内容
幼稚園と小学校は村の仕事。しかし、小さすぎるので隣近所の町に委託している。親がどこの町の学校に行くか決める。委託先の町が、総経費を全部の生徒で割って、生徒一人あたりの経費を計算する。そして人数分だけ、分担金をサン・タンニェス村に請求する。
村には1960年代まで学校はあった。旧村の村役場に、「学校」との標識がかかっていた。役場が学校だったということ。ここは、教師は国家公務員。新しく道ができて、車が通るようになったから、町の学校に通うようになったのだろう。それまでは、町に行くにはロバに乗って上り下りしていた。
経常会計の収入は、541,000ユーロ。うち税金は160,000ユーロ。ほとんどが人件費。
税額・税率は、近年上がっているとのこと。住居税は5年間で6.2%から、7.55%まで上がった。住民はかなり反対しているらしい。この国は、課税標準は法定、税率は自治体が決める。徴収は国がやってくれる。
投資会計は、380,000ユーロ。大きいのは道路の補修。
今の市長になってから13年間、起債をしていない。過去の残高が大きく、今返しているとのこと。3年前に大災害を受け、道路がかなりやられたが、起債はしなかった。後3年で返し終わる。「子供たちに借金を残すのはよくないので」とおっしゃる。うーん。
3 課題
今一番の課題は、合併とのこと。といっても、市町村(議会)はそのままで、業務を組合でするとのこと。促進のための法律ができ、国の地方長官(かつての知事)が熱心に進めているらしい。でも、ここは100年前から、水道は組合でやっている。民間委託も、イギリスよりずっと進んでいるようだ。
社会保障は県の仕事なので、村は仕事はない。「若者も騒がないので、議会の社会問題委員会は暇だ」と言っていた。
次はゴミの収集。これはニース市に委託している。後3年でいっぱいになり、ニース市から断られそうだという。今度分別を始めるというので、日本の分別のすごさを教えたら、びっくりしていた。ゴミ集めは民間会社に委託。使用料で経費を賄っている。
4 町の活性化
祭りを開いたり、お城を修復したり、山歩き会を開いたりして、町の活性化と観光客の呼び込みをしている。これが、村の中で一番の課題らしい。ちょうど昨日は、「キノコ祭り」だった。
活性化は、ボランタリーな会(会というほどのものでもないか)が中心になっている。議会でも議論する。でも、普段顔なじみなので、議会の前に決まってしまう。
お城の修復費用は、国が80%の補助。ボランタリーの会が20%。といっても金はないので、入り口の「ご寄付」が財源。国の雇用交付金(週30時間)を使って「障害者や社会でうまくいかない人」を使ってやっているといっていた。
城の下の岩盤の中に、1930年代のマジノ線の地下要塞があり、村が払い下げを受けて観光用に解放している。これも、ボランタリーの会がやっている。
私たちがいる間も、かなりの人が村に来ていた。観光バス、といっても小さいのしか上がってこれないが、2台。村のレストランは30人ぐらいは入っていた。国外からの人も多そう。南仏を旅行していてここに立ち寄った、という人が多いらしい。
ここから5キロほど西、列車で10数分で隣の国「モナコ」に行ける。もっとも、東へ5キロ行けば今度はイタリアだ。夕ご飯の後でも行けたが、やめておいた。何せ、今日は、朝の9時から4時半まで、昼食中もずっと調査。しかも向こうからの質問付き。「聞きたいことがあった」と。
「日本に帰ったら、サン・タンニェスをみんなに紹介してくれ」「今回の調査を、どう生かすのか」「報告書は、日本語でいいから送ってくれ」旧村担当助役(女性)は、今度の村の広報に載せるからと、写真を撮ってくれた。広報は3ヶ月に1回、村長と助役で書いて、印刷だけ会社に発注している。
向こうも疲れただろう。最後までつきあってくれた財政担当は、78歳のおじさん(おじいさん)。山の砦もつきあってくれた。感謝。「僕のホームページに、村のホームページのリンクを張る」と言ったら喜んでくれた。「大学の授業でも紹介するよ」とも言っておいた。
そこで、これがサン・タンニェス村(Sainte-Agnes) http://sainteagnes06.free.fr/index.htmlです。(ここをクリックして下さい。村の風景を見ることができます。ぜひ一度ご覧下さい。これで約束が果たせました。)
英語の観光案内は、次をクリックして下さい。
360度パノラマを、写真3から見ることができます。

 

地元の新聞

地元新聞3紙に載った記事です。
切り抜いてから読みとったので、見にくいですが、辛抱して下さい。
その1
その2
記事は次の通り
(新聞社のHPから転載しました。一部文字化けしています。)
Hochrangige Delegation aus Japan zu Besuch in Isselburg
Osaka und die Autokralle
ISSELBURG (wit). In England besuchte die 16-kfige, hochrangige Delegation aus Japan eine Stadt mit100000 Einwohnern, in Frankreich will sie ein Dorf mit einigen Hundert B・gern besichtigen, und inDeutschland suchte sie sich eine Kleinstadt mit rund 10000 Einwohnern aus: Isselburg. Gestern waren dieJapaner ・Abteilungsleiter von verschiedenen St臈ten und Mitarbeiter von Pr臟ekturen ・da. Ihr Ziel: DasSammeln von Anregungen, um die kommunale Verwaltung in Japan zu reformieren.
Und was haben sie in Isselburg gelernt? Die Bem・ungen der Stadt um eine Kostensenkung habe ihnbeeindruckt, sagte Delegationsleiter Masakatsu Okamoto. Durch die Auftragsvergabe an privateUnternehmen, durch gemeinsame Projekte mit Nachbarst臈ten und das freiwillige Engagement der B・ger,das es in Japan kaum gebe.
Vor allem aber zeigte sich Okamoto von den Ma゚nahmen begeistert, die die Stadt ergreift, umzahlungsunwillige B・ger zur Begleichung ihrer Steuerschuld zu zwingen: Der Einsatz der Autokralle, damit sieihr Gef臧rt nicht mehr benutzen knen. Die Stadt Osaka solle jetzt 臧nliche Instrumente einsetzen, k・digteOkamoto an. Denn in Japan gebe es viele Menschen, die ihre Steuern nicht zahlen wollten.
c Bocholter-Borkener Volksblatt Im BBV veroffentlicht am: 27.09.2002 im Ressort: Isselburg
その3

2002年欧州探検記2(ドイツ編)

ドイツ編
25日(水曜日)(ドイツ、イッセブルグの古城ホテル
今日は、ロンドンへ移動し、飛行機でデュッセルドルフへ。そこからバスでイッセブルグ市へ。この町はデュッセルドルフの北80キロにある町。もう、オランダに近い。イギリスとの時差が1時間、ということで日本とは7時間の時差になる。
今日到着したイッセブルグは、田舎町。今日の宿舎のホテルは、お城を改装したもの。堀に囲まれた立派な城。中はきれいになっている。調査対象都市と一緒に、大阪市のデュッセルドルフ駐在の中平氏が選んでくれた。これなら、フルートを持って来るんだった。中庭で「荒城の月」を吹けば、気持ちよかっただろうなあ。(聞かされる人は迷惑だが)
町を散歩した。小さな町だが、一つ一つはきれいな住宅。庭もきれいにしている。四角に区画されている訳ではないが、各家が整然としていて、町全体もきれい。でも、何の職業で食っているんだろう。核家族とのことだが、家はどう相続されるんだろう。
26日(木曜日)(ドイツ、デュッセルドルフ)
今日は、イッセブルグ(Isselburg)で調査。人口1万人の町。3つの町が1975年に合併してできた。で、集落が3つあり、農地と林の中にこの3つの町が離れて存在している。
10時から13時30分まで。市長さん以下幹部が4人総出で対応してくださる。しかも熱心。日本から来た初めての調査団、と言うより初めての日本人だろう。ついつい時間が超過する。写真2
途中で、地元新聞3社の取材を受けた。翌日の新聞に大きく写真入りで掲載された。
ドイツの町
1 外部委託
財源難とのことで、委託を進めている。
民間会社へ:ゴミ集め、スポーツ施設の管理。
隣町へ:高校(これは昔から)
ボランタリーグループへ:幼稚園(これは、教会とグループと)、託児所、スポーツ施設の管理。
人口が少ないので(1万人)、高校はない。隣町の高校に通っている。経費について、委託料は今までは払ってないが、隣町も財源難で、払えと言われている。
幼稚園の経費は、10%を町が負担するルールとのこと。何かの規定で決まっているらしいが、イッセブルグは10%以上支出しているという。
「日本では、ボランタリーグループへの委託がまだ少ない」と言ったら、市長が「グループに継続してもらうためには、それなりの努力が必要である。常に啓発しなければならない。この方が経費も少なくてすむことを住民に理解してもらわなければならない」と、力説していた。
2 滞納対策
市税の滞納率は15%もある。滞納整理に車の「使用差し止め」をしている。すなわち、催告してだめなときは、車に赤いステッカーを貼る。それでもだめなときは、タイヤにタイヤ止め(金属の棒を組み合わせたもの)をして走れなくする。近所の手前、恥ずかしさが一番効果があるとのこと。交通違反の取り締まりの時に、罰金の未納に使っているのを、使っているんだという。私たちが興味を示したので、わざわざやって見せてくれた。
3 議会
イッセブルグでも、議員は名誉職。年間、議会は本会議6回、委員会16回。午後5時から、2時間半から3時間。議会費(手当)の総額を議員総数で割ると、1人あたり36万円だった。日本の市町村では、議員さんは報酬年間5百万円とか1千万円のはず。
4 まちづくり
町並みの美しさ、風景の美しさは、どこからくるのだろう。日本と何が違うんだろう。
まずは、土地が広い。農地が広くてきれい。しかし、狭い日本の方が、集落が集中していない。田圃の真ん中に家があったりする。
都会の集中度はこちらの方が大きい。ロンドンは別格としても、東京は山手線の中が平均2階建てに達しないと聞いたことがある。こちらは、都会では、3階4階建ては当たり前。庭もない。しかし、公園や緑地と街路樹の緑の空間が大きい。建築物が密集しているからこそ、そのような空間を確保しているのだろう。
電柱と電線が無いことも、風景がきれいな理由の一つだろう。
イッセブルグのような田舎町でも、都市計画は重要、かつみんなの関心が高く、厳格らしい。家は、屋根の傾斜角度や外壁の色が規制されている。セント・アルバンでも、都市計画の認可が、議会(市)の重要な議題であった。一つ一つの許可を、議会で審議し、傍聴者も多いとのこと。