カテゴリー別アーカイブ: 体験談

生き様-体験談

40年間の手帳

思い立って、本棚に積んであった、これまでの手帳を引っ張り出しました。なんと、昭和58年(1983年)、鹿児島県庁に赴任した年からのものが、欠けることなく残っていました。合計40冊、40年分が残っていたのです。
それ以前は社会人になってから、ノートほどの大きさのものを使っていました。今回探しましたが、見つからないので、多分捨てたのでしょう。

かつては、背広の内ポケットに入れていたので、この大きさのものを使っていました。見開き2ページで、1週間分です。それに慣れたので、引き続きこの大きさです。いくつか例外がありますが、最初は鹿児島県の県民手帳、その後に富山県の県民手帳、最近は国会手帳です。昔の手帳は、1週間が、日曜日から始まっていました。

手帳は、毎日の予定と出来事を書いてあるので、半年や1年で何をしたか、何を考えていたかも書かれていません。ブローデルの言う短い出来事の時間であって、中期的、長期的時間が分からないのです。とはいえ、カンボジアPKO出張の行動記録は確認できました。さて、そのほかのページに目を通すことはあるでしょうか・・・。

本家の再活用

明日香村にある岡本の本家が、村の商工会の力で再活用されることになりました。この建物については、「建て替えられる建物、3」で、紹介したことがあります。

広くて立派だったのですが、住む人がいなくなり、荒れてきました。いくつかの建物は取り壊しました。私の弟が、管理をしています。
明日香村商工会が、手を入れて活用してくださることになりました。現状が、ユーチューブ「(明日香村商工会)岡本邸プロジェクトVol.1」で紹介されています。

ドローンによる空撮が、インターネットで見ることができます。便利になったものです。上空から見ると、草木が茂ったこともあって、狭く感じますね。
広い庭と水車を回すための水路は、子どものころの遊び場でした。そこも草木が生い茂り、水を流していないので荒れています。

カンボジアPKOから30年

5月3日の日経新聞が、「PKO犠牲30年で慰霊式 カンボジア殉職の高田警視」を伝えていました。
・・・国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の文民警察官として派遣され、国連平和維持活動(PKO)に従事した岡山県警警視の高田晴行さん(当時33)が1993年に殉職してから4日で30年になるのに合わせ、在カンボジア日本大使館関係者らによる「慰霊の集い」が2日、首都プノンペンで開かれた・・・

私にとっても、忘れることのできない出来事です。「柳井俊二さん、カンボジアPKO」「当時の写真
帰国したあとも、緊張が続きました。12日早朝、成田空港に到着して、村田大臣はパトカーの先導で首相官邸に急ぎ、宮沢総理と河野官房長官に報告しました。赤信号の交差点にサイレンを鳴らして入り、助手席の警護官が身を乗り出してほかの車を制止するという経験をしました。

12日には、地方交付税法質疑の参議院本会議が開かれました。本題ではないカンボジア出張の件が質問されました。これは、事前に質問通告があったので用意された答弁案に基づき、総理と村田大臣が答弁されました。ところが、野党の質問者は答弁に納得せず紛糾し、大臣はいったん退席して改めて答弁することになりました。本会議場の後ろの部屋で関係者が集まり、答弁ぶりを検討しました。

第126回国会参議院本会議 平成5年5月12日議事録
「議長(原文兵衛君) 自治大臣の答弁については、後刻協議することとし、次に進みます。」013
「武田節子君 ・・・自治大臣と文民警察官との会見で警察官の方々から、何人死ねば帰されるのですかとか、現地の実情が理解されていない等々の発言があったと伝えられておりますが、この点、正確な御報告を求めたいと思います・・・」036
「国務大臣(村田敬次郎君) 先ほど来の質問は、文民警察官の十三人の方から、何人死ねたら帰るのかという質問があったというお尋ねであろうかと思います。私は、その質問はなかったと申し上げます。(拍手)」041

四方田犬彦著『先生とわたし』

あるところに紹介されていたので思い出し、四方田犬彦著『先生とわたし』(2007年、新潮社)を読みました。アマゾンでは、次のように紹介されています。
「伝説の知性・由良君美が東大駒場で開いたゼミに参加した著者は、その学問への情熱に魅了される。そして厚い信任を得、やがて連載の代筆をするまでになる。至福の師弟関係はしかし、やがて悲劇の色彩を帯び始める……。「教育」という営み、そして「師弟」という人間関係の根源を十数年の時を経て検証する、恩師への思い溢れる評論」

由良君美先生は、確か東大駒場で英語を習った記憶があります(もっとも、私の記憶が不確かなことは先日証明済みです)。名前を覚えていたので、読んでみようと思いました。師弟の軋轢、といっても師の一方的な悩みからきていたようですが、それをあとになって理解する弟子の話は、胸にくるものがありました。

旧来「治外法権の」と訳されていたextraterritorialに「脱領域」という訳語を、deconstructionに「脱構築」という訳語を与えたのは、由良先生とのことです。在外経験がないことも意外でした。

著者の四方田さんが1972年に東大文Ⅲに入学し、由良ゼミに入ることから物語は始まります。私は1973年の入学なので、1年違いで駒場の空気を吸っていたことになります。当時の駒場の情景が書かれていて、懐かしさとともに、私とは全く違った高尚な議論がされていたことを教えられました。
文学、社会、自然ととんでもない範囲と数のゼミが開講されていて、田舎からきた18歳には「これが知か」と、まぶしかったです。いくつも参加しては、途中で挫折しました。今から思うと、もったいないことでした。住んでいた駒場寮が、学内にあるのに、勉強にはふさわしくない環境でした。と、言い訳をしておきます。

帯状疱疹の予防接種

帯状疱疹って、ご存じですか。そして、その予防接種があることを。知り合いに何人か帯状疱疹になった人がいて、とてもつらいと聞きました。
子どもの時にかかった水疱瘡のウイルスが、その後も体の中にいて、年をとってからストレスなどから発症するとのことです。4月9日の読売新聞も詳しく取り上げていました「帯状疱疹 接種しやすく…ワクチン 自治体が独自助成」。

杉並区から、予防接種に補助金が出るとのお知らせがあり、かかりつけの医者に行って打ってもらいました。1度ですむ(生ワクチン)のと、2度必要なもの(不活化ワクチン)があり、2度の方が効果が高いとのことで、そちらにしました。
お医者さんと看護婦さんが、「痛いですよ」「新型コロナワクチンのように副反応が出ることがありますよ」と予告してくれました。
その通りでした。コロナワクチンの時にはそんなに副反応が出なかったのですが、今回は翌日がとてもだるかったです。1日で治りました。
2ヶ月後に、もう一度打ちます。