カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

答えの出ない事態に耐える力

1月3日の朝日新聞オピニオン欄、帚木蓬生さんの「答えを急がない力」から。

―帚木さんは「ネガティブ・ケイパビリティ」という著書で、負の能力の重要性を指摘していますが、どういう意味ですか。
「『答えの出ない事態に耐える力』のことです。世の中は明確な答えのある問題ばかりではありません。むしろ人間社会は、解決できない問題の方が何倍も多いのではないですか。先が見えず、どうしようもない不安に耐えながら、熟慮する。答えが出なくても問題に挑み続ける力こそ、ネガティブ・ケイパビリティです」

「これに対し、正の能力、ポジティブ・ケイパビリティは、答えをみつける問題解決能力をさします。学校教育もそうですよね。テレビでクイズ番組を見ても、記憶した答えを素早くはき出すことを競います。でも、多角的、長期的な視野でものを考えることも大事です。早く答えを出すと見落とすものがあるからです」

―どういうことですか。
「今ここに、理解できないものが出てきたとします。ヒトの脳はわからない状態に耐えられず、すぐにそれが何かを決めつけて、理解したつもりになろうとします。ノウハウ、マニュアル、ハウツーものが歓迎されるのは、悩まなくてもすむからです。だけど、そこには落とし穴がある。深い問題が浮かび上がらず、浅薄な理解にとどまってしまうのです」

近藤和彦先生「『歴史とは何か』の人びと」完結

近藤和彦先生の、連載「『歴史とは何か』の人びと」(岩波書店の『図書』)が、12月号で完結しました。先生のブログ
15回にわたって、カーをめぐる人物を取り上げ、カーの人生に迫るとともに、当時のイギリス歴史学界を紹介してくださいました。先に紹介したように、とても面白かったです。

研究の成果は客観的なものですが、それを生み出す研究者の人生は生身であり、さまざまな付き合い、悩みなど単線的ではありません。もちろん、「このような境遇で、このような人生を送れば、このような成果が出る」というものでもありません。しかし、境遇と付き合いと本人の苦悩が、成果を生むこと、成果に色づけすることも間違いないでしょう。
で、この項目は、「歴史」ではなく、「生き方」に分類しておきます。

大島理森先生の「私の履歴書」

日経新聞連載「私の履歴書」、9月は、大島理森・前衆議院議長です。昨年10月には、読売新聞連載「時代の証言者」にも載りました。
活字にはできない話も多いのでしょうが、楽しみです。

私が、総理秘書官と東日本大震災復興で大島先生にお世話になったことは、「自民党、大島理森復興加速化本部長」「大島理森先生の回顧談」に書きました。

自分をほめてやりたい

有森裕子さん「自分をほめたい」」の続きです。有森さんは、「自分をほめる」であって、「私は「自分で自分をほめてあげたい」とは言っていません」とおっしゃっています。

私は、有森さんの言葉を借用して「自分で自分をほめてやりたい」と使っています。なぜかと、考えました。理由は次の通り。
私は仕事で迷ったときに、しばしば「全勝A」の斜め後ろに「全勝B」を置いて、Aに向かって「本当にこれで良いのか?」と会話させます。冷静に自分を見るためです。これは、判断に悩んだときなどですが、ある仕事をやり遂げたときには、全勝AがBに向かって「自分で自分をほめてやりたい」と同意を求めるのです。
すると全勝BがAに「そうだな」と同意してくれます。自分に対するご褒美です。全勝Aは、「では、早くビールを飲みにいこう」と雑務を片付けます。
人間は弱い動物です。このようなご褒美も必要でしょう。

平櫛田中と30年分の材木

買っても読まない本が、増え続けています。生きている間にすべてを読むことは、できそうにありません。「なら、新しい本を買うなよ」との声が聞こえてきそうです。

全く関係ないのですが、彫刻家の平櫛田中さんを思い出しました。かつて、旧居を転用した美術館を見に行ったときに、たくさんの材木が残っていました。
「田中は百歳を超えても、30年かかっても使いきれないほどの材木を所有していた。これはいつでも制作に取り掛かれるようにと、金銭に余裕がある時に買いためていた材木がいつの間にかそれだけの分量になっていたためである」(ウィキペディア)とのことです。

そのひそみにならえば、「100歳まで生きて、まだ読むことができない本が残っていた」「まだまだ勉強する意欲を持っていた」とは、なりませんでしょうか。残された家族が、処分に苦労するだけでしょうか。