カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

世界に広がる日本語「いきがい」

4月23日の朝日新聞に「地球の反対側のにほんご:上 IKIGAI 海越えて、世界に広がる日本の心」が載っていました。

・・・「あなたの生きがいは?」
そう問われると、何を思い浮かべるだろうか。
「生きがいということばは、日本語だけにあるらしい」。ハンセン病治療で知られる精神科医の神谷美恵子は、1966年の著書「生きがいについて」(みすず書房)でそう語る。続けて、「こういうことばがあるということは日本人の心の生活のなかで、生きる目的や意味や価値が問題にされて来たことを示すものであろう」と考察する。
ただ、生きる意味が問題になるのは、日本人の心のなかだけではない。いま、この「生きがい」という日本語は、世界でそのまま“IKIGAI”として広く使われるようになった・・・

・・・ “IKIGAI”の言葉が伝えられたのは、ブラジルだけではない。東京在住のスペイン人作家、エクトル・ガルシアさん(43)が16年に出版した自己啓発本“IKIGAI”は、米国など70カ国で、500万冊以上売れている。
ガルシアさんは04年に来日し、12年に日本人女性と結婚した。日本語を学ぶ中で、「わびさび」「もののあわれ」「生きがい」など、気になる言葉が次々と出てきた。スペイン語にはない言葉だった。

本の構想が生まれたのは13年ごろ。旅行に来た友人のスペイン人作家と神奈川県に行った。江の島を歩きながら「生きがい」について話すと、友人も同様に関心を持っていることが分かり、一緒に本を書くことになる。長寿の村として世界的に知られる沖縄の大宜味村にヒントがあると考え、2人は村に住み込んで住人ら100人に話を聞いた。
村の人々の「生きがい」の秘訣は、毎朝畑に出て自然に触れること、友人と会うこと、笑うこと、腹八分でいること――。難しく捉えることなく、「畑仕事」や「家族」など、ささやかな日々の暮らしに「生きがい」を見いだしていた。
村人の生き方を本で紹介すると、米国やインド、トルコといった国々で爆発的に売れた。ガルシアさんはこう話す。「政治や経済の状況が悪くなると、人生に悩む人も増える。だから今、『生きがい』が注目されているのだと思う。ぜひ、それぞれの『朝起きる理由』を見つけて欲しい」・・・

500万冊とはすごい。キリスト教文化圏では、生きる意味はキリスト教が教えてくれたからでしょうか。

アメリカ議会で妻を褒める

岸田首相が4月11日に、米議会両院会議で演説しました。「未来に向けて~我々のグローバル・パートナーシップ~」(For the Future: Our Global Partnership)(演説は英語で行われ、和文は日本政府が翻訳したもの)。その第3段落です。

”And let me introduce my wife, Yuko, who is in the gallery. The fact that I married Yuko should give you great confidence in all my decisions. ”

「そして、ギャラリーにいる妻の裕子をご紹介します。私が裕子と結婚したという一事をもって、私の決断全てが正しいものであると、皆様に信用いただけるのではないでしょうか。」

私も、日経新聞夕刊1面コラムにキョーコさんを3回も登場させてあきれられたり、他人様の前で妻のキョーコさんを褒めるのですが・・・

山本庸幸・元内閣法制局長官回想録

山本庸幸著『元内閣法制局長官・元最高裁判所判事回想録』( 2024年、弘文堂)を、著者からいただきました。400ページもの大部ですが、読みやすいです。

1973年に通産省に入省、その後、内閣法制局長官、最高裁判所判事も務められました。安倍内閣での法制局長官交代劇も、書かれています。
仕事だけでなく、子どもの頃の話や、家族など私生活についても書かれています。官僚の回想録はしばしば仕事での武勇伝になりがちですが、この回想録は仕事で考えたことだけでなく、子育てなども書かれていて、後輩に参考になります。お勧めです。

私の履歴書の限界2

私の履歴書の限界」の続きです。
ある人と話していたら、「私の履歴書には、面白い人と、そうでない人がいるね」とのこと。その話を要約すると、初めてのことに挑戦した人と、既存組織で出世した人との違いのようです。

企業家だと、自ら会社を興した人や、潰れそうになった会社を立て直した人が、興味深いです。2月に掲載された女性登山家の今井通子さんは、女性として初めての困難な登山をいくつも切り開いてこられました。それぞれに苦労をしておられます。かつてなら偉人伝に載るような人で、社会一般の人が読んでも勉強になります。

既存企業や役所で出世した人も、大変な努力をしておられ、後輩たちの参考になります。しかし、それは同輩中の競争の場合が多いです。新しいことに挑戦して組織を変えたとか、こんな苦労を乗り越えて組織を立て直したたという話なら、興味深いのですが。良いと言われる学校を出て、有名企業や官庁に就職し、出世しましただけでは、面白くないです。会社員や公務員には参考になりますが、社会一般の人が読んでもつまらないでしょう。

40年前に「私の履歴書」を読んだ頃は、戦中と戦後を生きてきた人たちの記録が多かったです。その方々は、とてつもない苦労を経験し、新しい事業や仕事を切り開いてきた人たちです。社会が安定すると、そのような人は少なくなるのでしょうか。

私の履歴書の限界

日経新聞朝刊の最後のページに、連載「私の履歴書」があります。毎月、お一人の人生を取り上げています。経済界だけでなく、文化・芸術・スポーツ関係の方、政治家、官僚もあります。
先達がどのようにして生きてきたか、仕事をしてきたかの教科書として、若いときから読んでいます。

若いときは、登場される方すべてが、勉強になりました。私の知らない世界ばかりでしたから。その後に経験を積んだことで、より客観的に読むことができるようになりました。時に感じるのは、「そんな、うまくいったことばかりだったのですか」という疑問です。
自叙伝ですから、都合の悪いことは書かないのでしょうね。忘れているのか、覚えていても書かないのか。私もこのホームページに、笑い話ですむことは書きますが、不都合なこと(特にほかの人に迷惑がかかるような話)は書きませんから同じです。

その人の評価は、本人ではなく、別の人が行うことなのでしょう。聞き書き(オーラルヒストリー)もありますが、都合の悪いことは質問しにくいし、本人も話さないでしょう。これも限界があります。
本人が話さない「都合の悪いこと」のほかに、その人が周囲からどのような評価を受けていたかも、本人はわかりません。特に悪い評判です。
そして、本人が社会や組織でどのような役割を果たしたのか、果たさなかったのかもです。
この項続く。