投稿者アーカイブ:岡本全勝

ストレスを数字化する

2019年12月4日   岡本全勝

12月3日の日経新聞、「強気デスク、上司に緊張  取材班、「心見える化」試す」から。あなたなら、どのような数字が出ますかね。

・・・テクノロジーで人間の心や精神の動きを浮き彫りにする「新しき理解者」が登場し始めた。個人の内面までをも数字で表すデータ化の波に、私たちはどう向き合っていくべきか。取材班は実際に最先端技術を試してみた・・・
・・・10月下旬、取材班は繊維メーカーのミツフジ(京都府精華町)から「ストレス値を計測できるシャツ」を貸してもらった。社内でも「気性が荒い」と評判の男性デスク(44)が真っ先に手を挙げ、そのままオフィス内で着用し始めてしまった。
シャツは胸部の裏地に「電極」となる銀繊維が縫い込まれている。これで心拍や心電データなどを測り、シャツに付けた小型送信機でスマートフォンにデータを送る。「ストレス値」は100点満点で見える化され、アプリでリアルタイムに確認できる・・・

・・・我らがデスクはどうか。計測し始めた途端、ストレス値は95と出た。会社が嫌いなのだろう。彼は気持ちを落ち着けるため、後輩記者と冗談を交わし始める。数値は38まで急降下した。
だがその10分後。直属の上司に声をかけられ、デスクのストレス値は再び89に急上昇した。上司がよほど苦手なのか、こわもてなのに案外かわいい。
デスクは「ストレスは自分では意識したことがなかった。数字で見えるのは面白い」とのこと・・・

・・・デスクの実験は1週間続いた。当初「家族といる時に数値が上がったらどうしよう」と心配していたが、休日は20~30台で安定。彼にとっても家は安息の場とわかりほっとした。
ただ実感と食い違うこともあったようだ。デスクが深夜、気分転換にマージャンゲームをやり始めると数値は95に跳ね上がった。勝負事に臨む緊張感がストレスと分析されたのだろう・・・

犯罪被害者基本法15年

2019年12月4日   岡本全勝

12月1日の読売新聞が、犯罪被害者基本法15年として「事件の傷ケア 早く長く」を大きく取り上げていました。。犯罪被害者給付金支給法ができたのは、その前の1980年でした。
・・・犯罪に巻き込まれた人や遺族ら犯罪被害者の「権利」を明記した犯罪被害者基本法は1日、成立から15年を迎えた。深く傷ついた心身のケアに、加害者側に賠償を請求するための方策……。被害者を取り巻く環境は改善されてきたが、いまだ十分といえない。被害者の現状と課題を考える。
死傷者が年間2万5000人を超える犯罪被害者への支援は、事件直後に始まり、裁判後も続く。その流れと実態とは・・・

まだ、できて15年です。多くの方は、詳しくは知らないと思います。また、この法律の適用がない方がよいのですが。記事と共に図で、支援制度が解説されています。
・まず必要になるのが、心身の傷の治療です。
・事件現場が自宅だと、ホテルなどに一時避難したり、転居する必要があります。
・家事や育児ができなくなることもあり、その際は生活支援が必要です。
・裁判になると、弁護士の支援が必要です。

かつての刑事事件は、加害者を罰することで終わりました。しかし、加害者の社会復帰を支援し、再犯防止をすることが必要です(刑期を終えても、また起こす人がいます。自立できない人も多いのです)。
そして、被害者は、加害者からの賠償以外は、何の手当もありませんでした。
いまから考えると、冷たい社会でした。たぶん、以前は、親族や地域社会で助けることと理解されていたのでしょう。
これらの制度は、前進です。もちろん、このような支援を受けても傷は治りませんが。

原発被災地での事業再開支援

2019年12月3日   岡本全勝

今日12月3日は、福島相双復興推進機構(官民合同チーム)の成果報告会に行ってきました。今年6月にも行きました。この支援事業の意義は、前回の記事を読んでください。新しい形での、産業支援だと思います。活動実績

今回は、病院の経営改善、村の居酒屋の営業支援、和菓子屋の新製品販売支援、金型工場の技術支援、運送業者が来ない地域での共同運送支援、大規模営農支援などです。
その多くは、日本や世界の最先端で戦っているような大企業ではありません。しかし、地域では重要な産業であり、賑わいの場です。

表現と主張の違い

2019年12月3日   岡本全勝

読売新聞12月2日一面コラム、山崎正和さんの「あいちトリエンナーレ 表現と主張 履き違え」を読んで、よくわかりました。
この夏、愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展が反対者の脅迫を受け、展示を中止した事件です。

・・・というのは私の見るところ、ことの発端には企画者の重大な思い違いがあって、それが問題の根本的な種を蒔いていたのに、その点を指摘する声は聞かないからである・・・
・・・とくに「不自由展」の目玉が現下の外交的な争点である、いわゆる従軍慰安婦の問題だと聞くにつけて、企画者は「表現」と「主張」という言葉を取り違えたのではないか、というのが第一印象であった。そもそも企画者は、言論人として、自己表現と自己主張の違いについて一度でも真剣に考えたことがあったのか。二つは似ているように見えるものの、本質はむしろ正反対であることに気づかなかったのだろうか・・・

・・・しかし、そのうえでなお遺憾とすべきは、今回の展示品が宣伝芸術としてすら粗略に扱われ、核となるはずの表現はほとんど無視されていることである。
もし、あのいわゆる従軍慰安婦を象徴する少女像が芸術上の作品として制作され、それとして評価されていたなら、その純造形的な側面について、これまで何らかの批評があってしかるべきだろう。彫刻としての色と形、素材の選択や技法について、少なくとも企画者による評価が語られてほしいところだが、それが全くない。これでは作品は宣伝「芸術」としてすら、正当に遇されたとはいえないのではないか。
同じことは「表現の不自由展」の他の展示品、昭和天皇の肖像を用いた作品を燃やす映像についても指摘できるから、残念ながら、この企画は表現といえないばかりか、主張の展示としても適格性を欠くといわざるをえない・・・

いつもながら、山崎先生の分析は鋭いです。