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連載「公共を創る」第58回

2020年10月3日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第58回「日本は大転換期―学校外の子育て機能の低下」が、発行されました。
高く評価された日本の教育制度が、成熟社会になって機能不全を起こしています。近代化手法の問題の一つは、理想をだけを教えることです。立派な国民を育てるために、理想的な生き方を教えます。これはよいことなのですが、理想から漏れ落ちる子どももいます。それへの対応、つまずいた際の安全網の教育が不十分なのです。かつては、それらは家庭や地域に任されていました。

成熟社会の教育問題の3つめは、学校外での教育機能の低下です。子どもの貧困、児童虐待、不登校、いじめ、非行など、これらの対応を教員に求めるのは無理があります。かつて、家族、地域社会が守り教えてくれたことが、できなくなったのです。

ここから見えることは、子どもを教育の対象としてみるのではなく、子育てとしてみることの必要性です。一人では生きていけない子どもを養育することと、一人前に育てることです。学校教育は、そのごく一部でしかありません。

デジタル化、日本企業の失敗

2020年10月3日   岡本全勝

10月1日の日経新聞経済教室、一條和生・一橋大学教授の「新たな知の探求を目指せ DX実現の課題」から

・・・しかしDXは単なるデジタル技術の活用ではない。究極的には従来の業務、ビジネスモデル、組織、人間、企業文化の変革まで求めるものであり、一朝一夕に実現はしない。スイスのビジネススクールIMDの調査によれば、年々DXのインパクトの大きさに対する認識が深まっているのに、積極的に対応できている企業が3割にすぎないのも、DXに伴う変革が容易ではないからである。

IMDの19年世界デジタル競争力ランキングでは、「企業の俊敏さ」で日本企業は世界最下位の63位である。日本が世界最下位になっている項目は他にもあり、人材の「国際経験」もそうだ。なぜ、人材の国際経験がDXに関連するのか。世界の経営者は「経営の定点観測点」を持っており、それは世界的な経営者の集まりであったり、自分が卒業したビジネススクールの卒業生のイベントやネットワークであったりする。そういう世界的な経営の定点観測点では、いま何が最重要経営アジェンダ(経営課題)なのかを、速やかに知ることができる。

DXが最重要課題だとわかれば、変化への対応は速い。しかし考えてみれば、日本企業における意思決定の遅さや人材の国際経験の不足は今に始まった話ではない。日本でDXの推進が加速されない一因は、実は以前から日本企業の問題として指摘されていたことが、未解決のままで放置されていたことにもある。

平成の時代、日本企業の多くが低迷した「失敗の本質」に学び、長年の日本企業の未解決の問題にメスを入れなくして、DXでの成功はあり得ないと認識すべきである。この30年、ビジネスの世界で日本は負け組であった。世界的な企業ランキングである「フォーチュン500」で、1995年にはトップ50社中21社を占めていた日本企業は、20年はわずか3社だ。以前からランクインしていた企業の競争力の衰退と、新興企業がランクインしないという企業界の新陳代謝の悪さが目立つ。

アフリカなどの新興市場での事業拡大といった、新しい事業機会を育むことができなかったし、製造業におけるモジュラー化の進展など、従来の日本企業の強みを発揮しにくい変化も起こった。特定の戦略原理に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず、自己革新能力を失ってしまったかつての日本軍と同じような状況に日本企業は陥った。

テレワークの推進にしても、ジョブ型雇用への移行、それに伴う新卒一括採用の廃止という人事制度の大変革まで覚悟して踏み切っている企業が、どれだけあるのか。組織活動の鍵は様々な仕組み、制度、組織が連動する(オーケストレーション)することにあり、その下でDX推進のために経営、事業部門、IT(情報技術)部門が一体とならなければ実行は難しい。

出島的に「デジタル戦略部門」を設ける企業も多いが、それが孤立して、他の組織のメンバーがDXを「自分ごと」にできなければ、組織の変革は実現しない。このままではDXは流行に終わり、そうなったならば、日本企業界が本当に破壊されてしまう・・・

 

事故後の対応検証

2020年10月2日   岡本全勝

原子力災害伝承館が伝えることと残っていること」の続きです。まず、事故対応の検証についてです。

原発事故の検証を分けると、事故が起きたことの検証と、事故後の対応についての検証の二つがあります。そして事故後の対応については、原発内での対応(原子炉を冷温停止させること)と、原発敷地外での対応(住民避難や避難者支援、国民への情報提供)の二つがあります。
このうち原発内については、事故が起きたことと事故後の対応について、政府、国会、民間による検証があります。しかし、原発敷地外の対応については、その検証はほとんどされていないようです。そして、いくつもの失敗があったのです。

ここでは、3つ事例を挙げましょう。
一つは、避難指示が出されましたが、「できるだけ遠くへ」とだけで、どこにという行き先の指示もありませんでした。そこで、ほとんどの人が、着の身着のまま、不安のなかで、何か所も転々としたのです。

もう一つは、放射線の飛散状況が示されなかったので、放射線量の高いところに避難した例があったのです。浪江町です。町の中心部から、原発とは反対側の東北の山間部(津島地区)へ避難しました。多くの町民が、そこで数日過ごしました。この判断は当然のことですが、津島地区は放射線量が高かったのです。結果として、放射線量の低い地域から、高い地域へ避難したことになりました。亡くなられた馬場有町長は、そのあとこの判断を悔やみ、責任を感じておられました。

そして、大月編集委員の記事に書かれているように、原発事故後に避難指示が出た際に、置き去りにされた人たちがいました。その双葉病院では、寝たきりの病人が行き先も決めず、バスで運ばれました。そして、死者が出ました。

これらについて、責任ある検証がされていません。しかるべき組織が検証することを期待します。その2へ続く。

双葉町産業交流センター開所

2020年10月2日   岡本全勝

10月1日に、福島県双葉町の産業交流センターが開所しました。県の東日本大震災・原子力災害伝承館に隣接しています。
この地区は産業拠点として開発を進めていて、周囲には企業団地もできています。この施設には、企業に貸し出す部屋とともに、町民が立ち寄って休憩する部屋や、食堂が併設されています。

双葉町は、原発避難指示が出た市町村の中で、唯一まだ住民が住めない町です。この食堂も、町で初めてできた食堂です。
町長の判断で、まず産業から再開する方針をとりました。この地区は放射線量は比較的低いのですが、海岸に近く、住宅は建てることができません。
概要は、読売新聞10月1日夕刊「双葉復興 拠点できた…町産業交流センター」がわかりやすいです。

復興特区制度

2020年10月1日   岡本全勝

東日本大震災から10年が近づいてきて、報道機関が特集を始めたり、準備を始めています。私にも、相談やら取材が来ています。先日、河北新報に、復興特区が載りました。

・・・「特区さえあれば何でもできるわけではない」「何をするかを明確にする必要がある」。政府の復興構想会議では、特区そのものの狙いや定義が議論になった。
具体的なテーマに挙がったのは、復興促進のため被災地を区切って各種特例を設ける手法や、医療介護など先進モデルを被災地で実現し、いち早く国内課題に対処する手法だ。
2011年12月に成立した復興特区法は、一定の被害があった北海道から長野県まで11道県227市町村を対象区域に設定。規制緩和や手続きの簡素化、復興交付金などの特例メニューを用意し、県や市町村の申請を認可する形式とした。
元復興庁事務次官の内閣官房参与岡本全勝(65)は「新しいことをするというより、幾つかの行政手法を組み合わせて自治体を支援するのが主な狙いだ」と解説する・・・

大震災で町が流され、復興の過程で、新しい町をつくろうという機運が高まりました。復興特区制度も、そのための手法の一つでした。制度作成の中心になってくれたのは、青木由行参事官(当時。現在、国土交通省不動産・建設経済局長)でした。

「白地に絵を描く」ことで、何でも自由にできると、私も当初は思いました。しかし、進めていくうちに、そんなことはできないと気づきました。
・まず、被災地は、膨大な数の被災者の生活支援で精一杯で、新しい町づくりを考える余裕はありませんでした。
・また、市町村には、新しい町づくりをするだけの経験も能力もなく、職員もいませんでした。
・制度や手法を、ゼロから考えることは理論的に可能ですが、とても時間がかかって、現実的ではありません。しかも、現地での具体的課題を取り上げないと、抽象論では話は進みません。

復興交付金も復興特区制度も、既存の制度を参考に、まず使えるものを集めました。そして、それを使いやすいようにしました。
まず、自治体からの申請を、一つの窓口(復興庁)で受けることにしたのです。そして、現地で課題が出てきたら修正する、穴を埋めることにしました。これまでにないことですから、やってみないと誰もわかりません。走りながら考えたのです。
そしてその際は、市町村にはそれを担う職員がいないので、国や他の自治体から職員を送り込みました。さらに、計画の青写真作りや、申請書の下書きも国の職員が行うことも多かったのです。