事故後の対応検証

原子力災害伝承館が伝えることと残っていること」の続きです。まず、事故対応の検証についてです。

原発事故の検証を分けると、事故が起きたことの検証と、事故後の対応についての検証の二つがあります。そして事故後の対応については、原発内での対応(原子炉を冷温停止させること)と、原発敷地外での対応(住民避難や避難者支援、国民への情報提供)の二つがあります。
このうち原発内については、事故が起きたことと事故後の対応について、政府、国会、民間による検証があります。しかし、原発敷地外の対応については、その検証はほとんどされていないようです。そして、いくつもの失敗があったのです。

ここでは、3つ事例を挙げましょう。
一つは、避難指示が出されましたが、「できるだけ遠くへ」とだけで、どこにという行き先の指示もありませんでした。そこで、ほとんどの人が、着の身着のまま、不安のなかで、何か所も転々としたのです。

もう一つは、放射線の飛散状況が示されなかったので、放射線量の高いところに避難した例があったのです。浪江町です。町の中心部から、原発とは反対側の東北の山間部(津島地区)へ避難しました。多くの町民が、そこで数日過ごしました。この判断は当然のことですが、津島地区は放射線量が高かったのです。結果として、放射線量の低い地域から、高い地域へ避難したことになりました。亡くなられた馬場有町長は、そのあとこの判断を悔やみ、責任を感じておられました。

そして、大月編集委員の記事に書かれているように、原発事故後に避難指示が出た際に、置き去りにされた人たちがいました。その双葉病院では、寝たきりの病人が行き先も決めず、バスで運ばれました。そして、死者が出ました。

これらについて、責任ある検証がされていません。しかるべき組織が検証することを期待します。その2へ続く。