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安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で。その2

2020年10月1日   岡本全勝

佐伯啓思先生「安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で」の続きです。では、この大変動の中で、どうすればよいか。

・・・100年ほど前、文明論者のオルテガは、既存の価値観が崩壊し、しかも次の新たな価値観が見えず、人々は信じるにたる価値を見失って、社会が右へ左へと動揺する時代を「歴史の危機」もしくは「危機の時代」と呼んだが、まさしく、2010年代は、小規模な「危機の時代」である。グローバリズム、リベラルな民主主義、市場中心主義、米国流の世界秩序といった「冷戦後」の価値が失墜し、しかもその先はまったく見通せないのである。
安倍政権が誕生したのは、まさにこの「危機の時代」であった。この不安定な時代には、次々と問題が発生する。人々の不満は高まる。民主主義は政治家に過度なまでの要求を突きつける。安倍政権は、確かに、次々と生じる問題にその都度、対処しようとした。「仕事」に忙殺される。しかし何をやっても経済はさしてうまくゆかず、いくら外交舞台で地球上を飛び回っても、国際関係は安定しない。外交で、安倍氏個人への信頼は高まっても、今日の複雑に入り組んだ国家間の軋轢や経済競争は容易には改善されないのである・・・
・・・安倍政権が、大きな課題を掲げることができなかったのは当然であり、またその「仕事」が大きな成果を生み出せないのも当然である。もはや、この時代には、経済成長主義も日米同盟による安全保障も自明ではなくなってしまったからである。焼け跡の復興から始まった日本の戦後が、まだまだ上昇機運にある時代には、大きな課題、つまり将来へつながる国家目標を掲げることができる。しかし、世界状況がこれほど混沌(こんとん)とし、人口減少によって経済成長も困難となり、おまけに自然災害や疫病までが襲ってくる時代には、何を掲げればよいのであろうか・・・

・・・最高の地位にある政治家は、また行政のトップでもある。最高の行政官は、国民の要求に応えなければならず、また国家の直面する目前の問題に対して現実に対処しなければならない。まさに身を粉にして「仕事」をしなければならない。「仕事」をすれば支持率はあがる。だが、政治家とは、世界状況を読み、その中で国家の長期的な方向を示すべき存在でもある。「旗」をたて、その旗のもとに結集すべく人々を説得する「指揮官」でもある。
今日、「国民の要求に応えるべく必死で仕事をする」というのが政治家の決まり文句になり、人々もそれを求める。だがそれはあくまで行政官としてであって、政治家とは、人々にその向かう方向を指し示す指揮官でもなければならない。時代の困難さはあれ、安倍氏がこの意味での政治家であったとは思えないのである。その同じ課題は次の指導者にも求められるだろう。この不透明な時代にあって、たとえそれがどんなに困難なことだとしても、である・・・

ローマ帝国末期、コンスタンチノープルの建設

2020年9月30日   岡本全勝

田中創著『ローマ史再考 なぜ首都コンスタンチノープルは生まれたのか』(2010年、NHKブックス)を(だいぶ前に)読みました。
本の帯にあるように、古典古代でも、ビザンツでもないローマ世界です。副題にあるように、コンスタンチノープルの誕生からローマ帝国の首都になる過程を描いています。元祖首都であるローマに、取って代わるのです。どのようにして、それが実現するのか。

古代ローマ史といえば、私などはやはり、首都ローマで考えてしまいます。この本は、西ローマ帝国でなく、東と西に分裂する過程、そして東が優位に立つ過程です。
ビザンツ帝国になる前の歴史で、なるほどそうだったんだと、納得しました。
コンスタンチノープルを中心に、そしてそこを首都に仕立て上げた皇帝たちが中心に描かれます。皇帝も絶対君主でなく、推戴されないといけません。その際には、有力者たちの争いに巻き込まれます。皇帝一族に産まれると、幸せになれる場合と、とんでもない運命になる場合があります。

ジョエル・シュミット著『ローマ帝国の衰退』 (2020年、文庫クセジュ)が、書評欄で、訳者の解説が面白いと書いてあったので、読みました。その通り表題に偽りありで、物足りなかったのです。

中央政治の歴史です。人民(と呼べばよいでしょうか)や経済、社会は出てきません。もちろん1000年以上も前のことですから、資料が残っていないという制約もあるのでしょう。歴史学が、政治史から社会史や文化史に範囲を広げているので、そのような分野も期待したいです。

安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で

2020年9月30日   岡本全勝

9月25日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生が「この7年8カ月の意味」で、安倍政権の世界史的位置づけをしておられました。世界の状況が大きく変わる時期に、総理は何ができるか、何をしなければならないかです。
私は、連載「公共を創る」で、日本社会の激変を背景に、行政が変わらなければならないこと、日本人の意識も社会のしくみも変えなければいけないことを議論しています。佐伯先生の論考は、さらに世界の変化の中で、日本の進むべき道を議論しておられます。ここでは一部を紹介します。ぜひ全文をお読みください。

・・・間違いなく安倍氏は、次々と出現する問題に現実的に対処し、行政府の長として、近年にない指導力を発揮したといってよい。浮気性の世論を相手に、8年近くもそれなりに高い支持率を維持すること自体が驚くべきことである。
にもかかわらず、それが成し遂げたものとは何かと問えば、明瞭な答えはでてこない。すべてが、何か中途半端であり、その成果はというと確定しづらく、評価も難しいのである。いったいどうしたことであろうか。
私には、その理由は、この10年ほどの世界状況と、その中における日本の立場そのものに由来するように思われる。しばしば安倍政権には遺産(レガシー)がないといわれるが、それこそがまさに、今日の時代を映し出している・・・

・・・こう見てくると、戦後から冷戦終結あたりまで、日本の各政権にとっては大きな課題設定が比較的容易であった。その理由は簡単である。戦後日本の国家体制の基軸は、「平和憲法」と「米国による日本の安全保障」とそのもとでの「経済成長」の3点セットだったからである。いわゆる「吉田ドクトリン」である。
それを前提にしつつ、日本の国家的自立を少しでも高めるというのが、岸にせよ佐藤にせよ中曽根にせよ、戦後の日本の政治的課題であった。また、池田のように、その枠組みのもとで経済成長を追求すればよかった。それが可能だったのは、あくまで日本もまた、自由主義陣営のなかで冷戦体制に組み込まれていたからである。これが日本の「戦後体制」である。
だが、世界状況は、冷戦後、まず一つの歴史的屈折点を迎える。冷戦体制の崩壊は、自由主義陣営の勝利を意味し、それは米国流の価値観の世界的拡大を意味していた。グローバリズム、市場中心主義、リベラルな民主主義、といった価値観の世界化である。もちろんその中心に座るのは米国である。

では日本は、冷戦後の世界状況にどのように対処したのか。皮肉なことに、冷戦の勝者であったはずの日本は、バブル崩壊後、長期の経済低迷に陥っていった。そこで、平成日本の課題は、経済再建となり、そこに、グローバリズムと市場中心主義を唱える構造改革が出現する。だがこれはまた、米国流の価値観による日本社会の大変革であり、その最終段階が小泉改革であった。
ところが、この「冷戦後」の時代は、20年ももたずにうまくいかなくなる。2001年のアルカイダによる米国中枢部へのテロは、米国流の世界秩序への攻撃であり、イスラム主義と欧米的価値観の対立であった。08年のリーマン・ショックから09年以降のギリシャ財政危機へ、そしてその後のEU(欧州連合)の危機は、リベラルな民主主義や市場中心主義を決定的に揺さぶるものであった。
さらに、あろうことか、冷戦の敗者であったはずの共産主義の中国が、米国の地位を脅かす大国となったのだ。先進国は軒並み、大規模な金融緩和と財政政策にもかかわらず、低成長にあえぎ、また経済格差の拡大に苦しむ。その結果がトランプ大統領を生み出したのである・・・

この項続く

会社組織の中で成長する

2020年9月28日   岡本全勝

9月17日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」、山田邦雄・ロート製薬会長の「責任と自覚 学び続ける」から。

・・・成長を妨げる一番の障害は、その人自身の心理的な壁だと思っています・・・自分自身に蓋をして無理だ、自分にはできない、という思考になってしまう人が多いのです。
最近の日本の若い世代を見ていると、世界で活躍している人がぞろぞろいます。ただ、日本人は集団になると途端にダメになるような気が個人的にはしますね。大きな組織に入ると、部品になってしまうのです・・・

・・・ビジネスパーソンの多くは会社の仕組みの中に埋もれてしまっています。大きな組織になるほど、それぞれの役割は小さくなるのは当然のことです。会社の部品になって生きるということは、本当につまらないだろうし、不幸ではないかと感じています。
日本では年功序列の風習が色濃く残り、ずっと駒としての生活を続け、少しずつのし上がってやっと上に立つ、という仕組みです。この仕組みはあまり面白くないし、いい学校を出た優秀な人を会社の部品にしてしまいます。
自由にやらせないどころか、囲い込んで枠にはめて、会社がして欲しいことだけやってくれ、という仕組みです。これでは世の中はうまく回りません。それによって、日本企業の多くが、自己革新力を失ってしまったように感じます・・・

同感です。特に前段について、できると私が評価している人が「私には無理です」と言うと、がっかりします。
出る杭は打たれる、なるべく目立たないという習慣が、身についているのでしょうか。多くの人は、それでよいです。しかし、組織を背負って立つ人には、もっと積極的であって欲しいです。謙遜は、仕事の世界において、もはや美徳ではありません。
世の中には、「みんなと一緒という人」がたくさんいて、「私は違うことをするという人」が少数でもいてくれると、進みます。
後段については、連載「公共を創る」で主張している、日本型雇用慣行の弊害、管理職が仕事をしていない、ということに通じます。企業だけでなく、行政もです。