投稿者アーカイブ:岡本全勝

最低支店長から社長に

2021年9月19日   岡本全勝

9月15日の日経新聞「失敗のススメ」は、「悔しかった「最低支店長」の烙印 井村屋G社長の挫折」でした。肉まんやあずきバーで有名な井村屋の中島伸子社長が、職員から最低の評価を受けながら、そこから立ち直り、社長になる話です。

・・・社会人にとって自分のマイナス評価につながる「失敗」はなるべくしたくないもの。しかし会社人生で致命的ともいえる失敗をしながら、それを糧に成長した経営者がいる。部下の離反、海外事業の撤退、巨額損失……。失敗から何を学び、どう立ち直ったのか。6人の失敗経験を振り返りながら、逆境をバネに成長するヒントを探る。
「会社にいない方がいい」。支店長時代に部下の大半からそのような烙印を押された・・・

関東支店長の時、約50人の部下に匿名でアンケートをした際のことです。自分への評価を5段階で聞いたら、約40人が1点「いないほうがよい」か2点の「たいしたことない」をつけました。落ち込んだ中島さんは、上司に辞表を提出します。しかし専務は「社員に聞いてどうする。評価はお客さんに聞くもんや。そんな辞表は受け取れない」と一蹴されます。
中島さんは、自分のやり方を見なおします。それまでは前任者のトップダウン式を踏襲していましたが、現場に社員と一緒に赴いて取引先の話を聞くようにしました。
自分視点の考え方を捨てると、見える風景が変わりました。関東支店を建て直し、その後は出世を続けて、社長になります。
ぜひ、原文をお読みください。

肝冷斎に学ぶ、権力争いと部下の道

2021年9月18日   岡本全勝

中国古典の名詩や歴史を取り上げ、解説してくれる「肝冷斎日誌」。専門的で、門外漢には難解なことも多いのですが。9月17日の宋の宰相・秦檜の最後の場面は、わかりやすく勉強になります。

この話を深く理解するには、南宋と金との戦い、秦檜と岳飛との抗争を知らなければならないのですが。この場面だけでも、勉強になります。
政治は、政策(の提示と実現)と権力(の追求と争い)の二つの要素から成り立っていますが、権力(争い)が前面に出てくると、このようになるのですね。
シェークスピアをはじめ小説や劇としては権力争いが面白いのですが、国民にとっては政策実現が重要です。

あなたなら、どうしますか。
第3案、一度は辞退して、再度勧められた受け取る。日本でのお勧め。
第4案、「では、ひとまずお預かりして、秦檜さまがお元気になられたらお返しします」と言う。
第5案、それくらい親しくなっていたら、2人も秦檜のやり口や考えはわかっていただろう。また、秦檜の方も部下の気質を知っていただろう。よって、こんな方法で2人の部下を試すことはない。

ところで、肝冷斎は落とし穴にはまりつつ、元気がないと言いながら、元気よく野球観戦も続けています。

オンラインでの謝罪

2021年9月18日   岡本全勝

9月14日の日経新聞夕刊Bizワザは「誠意伝わる服装や場所で オンラインで謝罪」でした。お詫びは対面でするのが基本ですが、コロナ下では、ビデオ会議システムでお詫びする機会も増えているようです。
といっても、私が経験したお詫びも、目の前には記者たちがたくさんいましたが、その向こうには県民がいました。カメラを見て話すのは同じです。オンラインでの謝罪は、相手の顔が見えるということです。

記事には、参考になる点が書かれています。和田裕美・ビジネスコンサルタントの「原因や対策、説明を明確に」も勉強になります。
お詫びの機会はない方がよいのですが、今やどの組織でも管理職に必須科目になりました。読んで勉強しておいてください。

連載「公共を創る」第93回

2021年9月17日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第93回「社会の課題の変化―「弱者発見」とその対応の拡大」が、発行されました。

今回から、「第4章1(3)個人の責任と政府の責任」に入ります。
第4章(連載第71回から)では、日本が成熟社会に入ったことで、社会の問題と行政の課題が変化したことを説明しています。新しく生まれた格差と孤立という不安は、これまでの行政の方法では対応が難しいものでした。
新しい弱者が発見され、行政がその救済を引き受けることになりました。これまで個人や家庭の責任だったリスクが、政府の責任になりました。それが、行政の在り方に大きな変更を求めています。この変更は、国の在り方や憲法の議論にも及ぶ、大きなものだと、私は考えています。

今回は、新しい弱者が発見され、その対応を拡充してきた歴史を振り返ります。
極めて簡単にまとめると、19世紀には労働者を発見し、次に働けない人たちを、20世紀後半に消費者を、21世紀には社会生活において自立できない人を発見したと言えるでしょう。
近代の行政の歴史は、弱者を発見し、それに対する救済の方法をつくってきた歴史です。国民みんなが必ずしも「自立した市民」ではないことを発見し、その人たちを支える手法をつくり出してきました。
そして今また、新しい種類の弱者が発見されました。その人たちを支援する手法は、これまでの社会保障を超えるものです。

世界に遅れる日本の大学教育

2021年9月17日   岡本全勝

9月14日の日経新聞教育欄、田中愛治・早稲田大学総長の「コロナ禍の大学教育改革 データ科学で未知の問題解決を」から。

・・・問題は高校までの教育にもある。多くの高校はより知名度と偏差値が高い大学への入学を目的にしたため、常に正解が一つだけの問題を早く解く教育に力を注いできた。
それでも、1990年代初頭までは日本の高校3年生の学力は数学でも理科でも社会でも世界一だった。その結果、日本の多くの大学、特に文系学部では、大学4年間で真剣に学問を学ぶよりも、サークル活動や体育会の部活動でチームワークを学び、人間関係の調整能力を育んでおけば、社会に出てもコミュニケーション能力とガッツで成功できると考えられてきた。事実、90年代初頭までは、日本の産業競争力は世界一であった。

一方、多くの企業の人事採用担当者も数年前までは「職場内訓練(OJT)で鍛えるから、大学で余計な学問を教えず地頭の良い学生を送ってほしい」と考えていたのではないか。だが、世界中でDXが加速する中、この考え方で大学生活を送っていたら日本の大卒者は国際競争力を失う。
経団連加盟企業との意見交換でこんな話を聞いた。入社後のOJTで議論の根拠となるデータを示しながら新しい提案をする「エビデンス・ベースト」な思考法を教えても、通常の業務をこなしながら学ぶので時間がかかり、習得するのは30歳代後半になってしまう。欧米ではその年齢で企業のトップとして活躍する人材が多数いる。
このことは、大学時代にデータ科学の考え方を学び、エビデンス・ベーストな議論の仕方を理解していないと、日本の大学の文系学部卒業生は世界に15年以上遅れてしまうことを示唆している。
では、理工系の学部を増やせばよいのかというと、それはあまりにも短絡的な議論である。
データサイエンス学部を卒業してデータ科学を学んだからといって、人間の行動(消費者行動、社会的行動)に有効な施策を打ち出せるとは限らないからだ。社会科学系もしくは人文学系の学部で人間の社会での営みをしっかり学び理解しておかないと、データ科学は活用できない。文系学部でデータ科学の賢い利用者(wise user)になる学生を育てないと、日本の国際競争力はますます衰退していく。

コロナ禍が日本社会に突きつけたもう一つの根本的な問題は、日本の教育のあり方が人類が直面する問題にうまく対応できないことである。コロナ禍は人類の誰もが答えを知らない未知の問題の典型だが、日本の教育で育った者は、未知の問題に挑戦するのが苦手なことが明らかになった・・・

詳しくは、原文をお読みください。