投稿者アーカイブ:岡本全勝

人工知能で浮いた時間は仕事に

2026年8月16日   岡本全勝

8月2日の日経新聞別刷り「文化時評」に、「怠け心が育むフランスのイノベーション 効率が生む余暇、創造の源に」が載っていました。「日本人はハイテク好きで、新しいもの好きの国民といわれる。だが、フランス人も負けず劣らず技術革新を受け入れる。ただ、その動機には少なからず違いがあるようだ」が主旨なのですが、ここでは、次の部分を紹介します。

・・・仏タイヤ大手ミシュランで研究開発を率い、日本法人トップなどを経て、日産自動車の筆頭独立社外取締役を務めるベルナール・デルマス氏は「フランス人はややこしいことを嫌う」と話す。イノベーションを「物事を簡単にし、自由な時間を得るための手段」と考える。
生まれた時間は自分のために使う。それは余暇となり、趣味や文化的な活動を楽しむ時間となる。では、日本はどうか。デルマス氏の目には「仕事の生産性と質を高めることに目的が絞られがち」と映る。勤勉さが尊ばれ、怠け者と思われたくないという意識もある。

人工知能(AI)の急速な普及も、本来は煩雑な仕事から人々を解放し、自分のために使える時間を増やすはずだった。だが現実は、必ずしもそうなっていない。
調査会社マクロミルの「生成AIの活用実態調査」の結果は興味深い。生成AIを導入した現場では、1日平均75分の業務削減効果が生まれている。ところがその時間の使い道を尋ねると、最も多かった回答は「以前は手が回らなかった別の業務・雑務」だった。「創造性や感性を伴う業務」は3割に満たず、「特に何もしていない」は1割程度にとどまる。忙しさは必ずしも軽減されていない実態が浮かび上がる。
「仕事からの切り替え困難に対する心理的支援」の著書である国学院大学の内村慶士助教は「日本人は時間があると仕事で埋めようとする傾向が強い」と指摘する。特に20〜40代は経済的な不安から「自由な時間より働いて収入を増やす」考え方が強いという・・・

余暇や自分のために働くフランス人と、時間があれば仕事で埋める日本人との違いが指摘されています。フランスに見習うべきとは言いません。それが日本人の勤勉性の基礎にあるのでしょう。しかし日本人は、昔から仕事人間だったわけではないようです。貧しい時代でも、農民も農閑期には遊んでいます。戦前の労働者も、真面目人間ばかりではなかったようです。仕事人間は、経済成長期につくられたのでしょう。
私も、余暇を楽しめない一人です。抱えている連載がすべて完結したら、余暇ができるかな。

追記
肝冷斎は、人工知能で浮いた時間はまずは居眠りすることに充てるそうです。

日本社会の平等を支えたもの2

2026年8月15日   岡本全勝

「日本社会の平等を支えたもの1」の続きです。「異論や逆張りの発想の重要性」の続きにもなります。
村の中では、みんなと変わったことをすると、批判されました。なるべく、みんなと同じことをすることがよいとされました。村の中の団結を保つためでしょう。

日本人論は流行らなくなりました。しかし、社会の通念は社会や家族を通して引き継がれ、「この国のかたち」を続けているようです。周囲に合わせる横並び意識、それを強制する同調圧力です。
例えば、雇用慣行です。日本はメンバーシップ型雇用で、新卒を一括採用し、組織内で配置転換し、年功序列の昇進を行います。そして、定年まで面倒を見ます。村の中で、共同で稲作をしたのと同じです。所属が、農村から企業に代わったのです。この雇用慣行は、経済発展の過程でできあがったようです。そして、工場生産のような職場では、効果的に機能したようです。
社員には能力の差、意欲の差、会社への貢献度の差があるのですが、極端な者を除いて、なるべく平等に扱うようにします。しかしそれは、部下の評価にも現れます。なるべく差をつけず、ほとんどの部下を真ん中くらいに評価するのです。

若者も起業せず、勤め人を選びました。私が大学時代に、アメリカの経営者が「なぜ日本の若者は、企業勤めを選ぶのか。しょせんは従業員ではないか。結構な事業をしている家の息子が、大学を出て、家を継がずに会社に入るのは理解できない」といった趣旨の発言をしました。そんなものかと思いました。ジョブ型とメンバーシップ型雇用の違い、そしてその背景に個人の能力を重視する社会と、集団への同一化を良しとする社会の違いがあるようです。
教育もまた、一定の水準の生徒を育てることを目標としました。画一的教育です。そこからは、突出した若者は生まれません。「平等ではトッププレーヤーは生まれない」

経済成長の過程で、多くの若者が会社勤めになったことも、平等を進めました。親から農業や事業を受け継ぐと、出発時点で差がついています。しかし、新卒採用では同じ出発点に立ち、会社での処遇も大きな差をつけませんでした。しかも、それは社員だけでなく家族の面倒を見ることで、社会が平等な豊かさと生活に向かったのです。「一億総中流」という言葉もありました。

新憲法が平等を謳ったこと、戦後改革で財閥や大地主をなくしたこと、教育制度や社会保険、相続税制などで平等を支えたことなど、政治や制度が日本の平等を支えました。「世界で最も成功した社会主義」とも言われました。他方で、上に書いたような、国民の「横並び志向」が平等を支えたのでしょう。仕組みだけでなく、経済成長と、意識が支えたのです。
その後の長期停滞での非正規労働者の増加は、平等を壊しました。ジョブ型雇用への転換は、平等志向を崩していくでしょう。
この項続く。

相変わらず文化予算の少ない日本

2026年8月15日   岡本全勝

7月27日の日経新聞オピニオン欄に、坂本英二・特別編集委員の「文化軽視の政治いつまで 「日本美術館」は不要ですか」が載っていました。詳しくは原文を読んでいただくとして。そこについている表に、各国の代表的な美術館の来館者数や大きさ、職員数が載っています。

職員数について。
フランスのルーブル美術館は2000人、オルセー美術館は880人。
アメリカのメトロポリタン美術館は2000人、ニューヨーク近代美術館は750人。
日本の国立近代美術館は職員数74人、東京国立博物館は114人。

う~ん。そんなにも差があるのですね。経済大国と言っていたのは、何だったのでしょうか。「エコノミックアニマル」という蔑称もありました。

「美術館、日本の特徴」で、博物館・美術館は、訪日外国人にとって観光名所となり、日本の文化の歴史や水準の高さを知ってもらうよい方法だと書きました。

東京都美術館、大英博物館日本美術コレクション展

2026年8月14日   岡本全勝

キョーコさんのお供をして、「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱〜海を越えた江戸絵画」を見に、東京都美術館に行ってきました。行列に並び、30分待ちでした。館内も混んでいました。それだけの価値のある内容でした。お勧めです。

これだけもの立派な絵画が、ロンドンで残されているのですね。国内にも、これだけそろえている美術館はないでしょう。イギリス人が、幕末維新のころに、これらを手に入れ、収蔵したのです。貧乏した社寺が売りに出し、当時はそんなに価値があると思われずに、海を渡ったのでしょう。でも、大英博物館にあるから、残ったのですよね。

「海を越えたふすま絵、約150年ぶりの再会」は、以前にニュースで見ました。元の所有者である談山神社は、明日香村(石舞台の横の道)を登った山の上にあります。立派な絵があったのですね。

教育の政治的中立性

2026年8月14日   岡本全勝

7月31日の朝日新聞オピニオン欄は、「「政治的中立」に潜む政治性」でした。
・・・沖縄・辺野古沖で平和学習中の生徒らが死亡した事故をめぐり、文部科学省が異例の「違法」認定を下した。「政治的中立」に反するとの判断だが、見落とされていることはないか・・・

手塚洋輔・大阪公立大学教授の「行政と現場、見解交わして」から。
・・・政治的中立は使い方や時期によっても異なり、たえず変化し、多義的です。
政権与党の考える中立、野党にとっての中立、教育現場にとっての中立と、それぞれの中身は違っていて、何が違反なのかは行政と教育現場の対話によって探り、「相場観」を作りあげるしかありません。
しかし、文部科学省の違法認定は、どう中立を判断するのかという枠組みを確立させないままであり、行政組織として拙速でした。自民党やメディアからの非難の高まりを回避するための判断だったようにみえます。学校側への聞き取りはしたものの、正式な見解が出る前に判断をし、対話を軽視してしまった。教員は、自ら省みる能力と責任を持つ専門家集団であり、その「自律性」をまずは重視すべきです。

もしも今回のことが辺野古でなかったら、政治的中立の問題ではなく、安全管理が中心に問われていたかもしれません。もしも当事者の学校法人が大学を運営していなければ、文科省ではなく、都道府県の私学担当部署に判断が委ねられていたと思います。森友学園で園児に教育勅語を暗唱させていたことなど、過去には政治的中立が問題視される事案がありましたが、文科省が是非を示すことはありませんでした。今回の判断は、様々な条件が重なった結果でもありました。

学校側の対応にも問題があったと思います。弁護士だけで第三者委員会を構成しましたが、民間企業の不祥事の対応ならば、それでいいのでしょうが、ここで問われているのは平和学習という正解が一つではない問いです。弁護士だけでなく、他校の教員や教育の専門家を入れるべきでした。
行政も学校も、教育の専門性に関する検証を放棄したことが問題で、今後の参考になりません。これは文科省と一学校法人だけの問題ではなく、広く教育に関わるからです・・・

教育基本法
(政治教育)
第十四条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。