月刊『地方財政』8月号(地方財務協会)に、拙稿「平成15年度普通交付税の算定結果等」が載りました。今年の特徴は、総額の7.5%減少、県分留保財源引き上げなどの改革です。また、普通交付税のほか、交付税を補完する財源についても解説してあります。すなわち、交付税の算定に併せて、臨時財政対策債・第1種と第2種の地方特例交付金・恒久的減税補てん債・先行減税補てん債の5種類も計算しています。地方交付税総額は18.1兆円、これら補完的財源は7.6兆円になっています。地方交付税を語るときには、これら「補完的財源」(交付税の類似財源)も説明する必要があるのです。
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来年の交付税総額
来年度に向けての各省の概算要求が、報道されています。その中に交付税総額も、出ています。しかし、この数字が、来年度の交付税総額になるわけではありません。予算に出てくる交付税総額には、2つのものがあります。一つ目は、国の一般会計に計上される額で、二つ目は、(特別会計から)地方団体に配られる額です。今回出ているのは、この一つ目の数字(のたたき台)です。
実際には、年末の地方財政対策によって、地方団体が必要とする総額が決定されます。今回出ている数字は、議論の過程の数字です。さらに、交付税の代わりに発行している赤字地方債(臨時財政対策債)の額も、あります。もっとも、この数字だけを見ていると、「交付税は増えるのか」と誤解されそうです。常々申し上げているように、交付税総額は、減少すると見込まれます。
米国まめ日記9
ブラックアウト
8月14日の午後4時過ぎ、アメリカ北東部とカナダ東部が大停電に襲われました。影響を受けたのは、米国の8つの州(ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニア、コネチカット、マサチューセッツ、バーモント、オハイオ及びミシガン)とカナダのトロントなどで、両国合わせて5000万人に影響をもたらしたと言われています。
CNNでこの大停電の第一報を見た時には、「新手のテロか?」と少し心配になりましたが、その後すぐにブッシュ大統領、ブルームバーグNY市長が、記者会見において、今回の大停電とテロとの関係を否定しました。ただし、現時点(8月末時点)でその大停電の詳しい原因は不明です。
幸いにもワシントンは今回発生した大停電に巻き込まれることはなかったのですが、今年の夏、ワシントン周辺地区においても停電が頻発しています。その原因は、サンダー・ストームです。
アメリカのサンダー・ストームは、非常に強力であるとともに、1週間に2回、3回と頻繁にやって来ます。近くで大きな雷が鳴ったなあと思ったら停電といったことが、この8月だけで3回も発生しています。そしてその停電が4時間、5時間と続くのです。
私の自宅は、決してアイダホ州(アイダホ州のみなさんごめんさない)とかにあるのではなく、アメリカの首都ワシントンDC中心街から車で30分以内のところにあります。現在、ロウソクは必需品です。
もちろん信号機なども停電の影響を受けるため、渋滞が起こったりするのですが、いつもは運転マナーの悪いアメリカ人も、このときばかりはさすがに譲り合いの心を見せており、少し微笑ましく感じたりしています。
考えてみると、東京に住んでいたころに停電というものを経験したことはほとんどなかったように記憶しています(今年の夏は皆さん心配していたそうですが。東京電力さん、どうもありがとうございます。)。また、仮に停電が発生したとしてもすぐに復旧という場合がほとんどだったと記憶しています。
しかしながら、もう少し記憶を遡ってみると、愛知県の山間地域に住んでいたころ(15年以上前)には、夏になると雷の影響で停電するといったことはそれほどめずらしいことではありませんでしたし、復旧に3,4時間を要すといったこともよくありました。そんなときには、決まってロウソクが登場していたものです。
ワシントンDCという愛知県の山間地域とは全く違う土地に暮らすにも関わらず、少し長い停電を経験し、なぜか田舎暮らしをしていた昔を思い出しました。
2003年韓国訪問記2
(3)韓国人と日本人の違い
日本人と韓国人は、約6千年前に分化したという説があります。何年前かはわかりませんが、どうもそう古い昔ではないような気がします。
これまで、私は、「韓国と日本はこんなに近くにいながら、どうしてこうも違うのだろう」と思っていました。しかし今回、「そんなに違ってないぞ」と思うようになりました。
日本人と韓国人の違いを考えるとき、生物の面と文化の面があります。まず生物の面です。顔を見ると、多くの韓国人と日本人の顔は区別がつきません。ソウルの街角と東京の街角で、通行人の写真を撮ると、たぶん多くの人は区別が付かないと思います。
確かに「この顔は韓国の顔だ」と思う顔もあります。でも、その多くは、文化による顔の違いではないでしょうか。私たちは、髪型の違い、化粧の違い、服装の違いで区別しているのではないでしょうか。
(若いころ、「おまえの顔は韓国系だ」と言われたことがありました。まあ、私は飛鳥の出身なので、「1300年前に朝鮮半島から渡ってきた帰化人の子孫かもしれないなあ」と思っていました。その後、韓国に行くたびに、「私は1300年前に・・」なんて言ってたら、韓国の人に、「あなたの顔は、韓国にはありません。大陸系(中国系)です」と、きっぱり言われました。)
(4)文化という化粧
今回、訪問してそれに気付きました。かつて私が感じた韓国人と日本人との違い(また、中国人との違い)ほどには、今回はわからないのです。ということは、私が韓国人と日本人とを識別していたのは、生物的な顔の違いではなく、「付属した文化の違い」をもって識別してのでしょう。
そこで問題は、生物的人間がまとっている文化という衣です。それは、服装や化粧や言葉でしょう。さらに、住まいや食事でしょう。
近年の両国の経済発展の接近と、両国の国際化でこれら文化のうちのいくつかは、かなり近接しました。たとえば、服装と化粧はほとんど区別がつかなくなりました。住まいと食事も、近くなりました(いくつかの違いについては別述べます)。残る一番の問題は、言葉です。
もっとも、韓国人に美人が多いこと、足がきれいなことについては、このほかの説明が必要です。
3 文明と文化
(1)差の強調か共通点の強調か
「文明」を国境や民族の違いを越えて伝わる生活様式と定義し、「文化」を国境や民族の違いを越えない生活様式と定義しておきましょう。すると現代人の生活を規定する生活様式から見て、次のようなことが言えるのではないでしょうか。
日本と韓国の違いを大きな観点から見てみましょう。すると、両国・両国民の違いはそんなに大きなものではありません。6千年の歴史で見ると、高々2~3千年の期間につくられたものです。その差をつくったのは、国家です。そして、特にこの200年ほどの期間に、特にその差を強調したのです。
日本と韓国の違いは、次々と消えつつあります。自由主義・民主主義・資本主義については、同じ理念を共有し、世界の中でともに生きています。行政制度は政治の選択ですから、違いは残りますが、これもそんなに大きな違いではありません。政治・行政の面で両国は違いを強調するのではなく、する必要もなくなりました。
(2)縮まる違い
経済状況も、ほぼ同じようになりました。私は、これが両国の差をなくすると考えています。他方をうらやむこともなく、また他方を蔑視することもなくなります。
また、生活の様式も近接します。服装・食事・住まいも違いがなくなります。もっとも、スーツ・ジーパンや女性の服装が共通化しても、チマ・チョゴリと着物が結婚式に用いられるように、伝統文化はそう簡単にはなくなりませんが。食事も、キムチと伝統的和食はなくならないでしょう。でも、パン、ハンバーグ、ビールといった共通に食べる食品が増えました。日本でも、キムチや焼き肉といった韓国料理がはやっています。お互いに、相手の伝統的な食事を食べることに抵抗がなくなりました。
伝統的服装も伝統的食事も、高々この2千年の間につくられたものでしょう。この20~30年の間に起きた「接近」を空想の世界で延長すると、これから50年たつと、どれだけ日本と韓国の差は残っているのでしょうか。
さて、残るのは「言葉」の違いです。いろんなものが標準化される現代の世の中で、もっとも標準化が遅れているのが言葉でしょう。
しかし、日本語と韓国語はかなり似た言葉のようです。中国語や英語との距離とは違います。言語学者に聞いてみなければなりませんが、何千年前に二つの言葉は分かれたのでしょうか。そして、これから何百年経てば「方言」くらいの違いになるのでしょうか。
(3)楽しみな未来
今回、韓国に行くに当たって、司馬遼太郎さんの「街道を行く」シリーズのうち、「韓のくに紀行」と「耽羅」を持って行き、ホテルのベッドで読み返しました。耽羅とは済州島の古名です。司馬さんは、6千年あるいは2千年という歴史の中で、二つの国の関係を論じておられます。いつもながら、その分析の鋭さに感心します。
しかし、この2著が書かれてから、20ないし30年が経っています。韓国は民主化し、また経済発展しました。ソウルはかつての大阪より「近代化」し、街には日本からの女性観光客があふれています。司馬さんが、貧しさとみかんの島と描いた済州島も、年間15万人の日本人が訪れるリゾートになりました。
今、司馬さんが韓国を訪れたら、どのような本を書かれたでしょうか。私が、以上のような感想を考えたのは、司馬さんの本の影響が大きいです。それは二つの国が歴史的にそんなには離れた国でないということを、再度思い返してくれました。そして、司馬さんの本のいくつかの部分が、今や「時代遅れ」になっていること、そして、急速に両国が接近していることを感じさせてくれたからです。さらに、楽観的すぎるかもしれませんが、このままいったら、もっと両国は近くなると感じたからです。
このような話をしていたら、ある人が、「違いがなくなったら、旅行に行く魅力がなくなるじゃないか」とおっしゃいました。
そうですね、きっと国内旅行並になるのでしょう。すると、EU内で、隣の国に行くような感じになるのでしょう。
参考文献
岡崎久彦著「隣の国で考えたこと」(1983年、中公文庫)
木宮正史著「韓国-民主化と経済発展のダイナミズム」(2003年、ちくま新書)
森山茂徳著「韓国現代政治」(1998年、東京大学出版会)
2003年韓国訪問記
2003.8.30記、 2004.11.13補訂
【韓国との交流】
2003年8月25日から29日まで5日間、韓国へ行ってきました。韓国行政自治部と日本の総務省との内政関係定期交流セミナーです。韓国の内務部(内務省)と自治省との間で始まったこの会議は、今年で12回目です。双方の幹部が、交互に訪問し議論します。今年は、日本側が韓国を訪問する番です。西村事務次官を代表として、自治行政局・財政局・税務局の幹部が行ってきました。行政・財政・税制について、それぞれの現状と問題点の説明、質問と討論を行うほか、自治体現場で議論もしてきました。お互い、熱心な国民性(?)なので、日程は強行で、へとへとになりました。
2003年8月25日から29日まで5日間、韓国へ行ってきました。韓国行政自治部と日本の総務省との内政関係定期交流セミナーです。韓国の内務部(内務省)と自治省との間で始まったこの会議は、今年で12回目です。双方の幹部が、交互に訪問し議論します。今年は、日本側が韓国を訪問する番です。西村事務次官を代表として、自治行政局・財政局・税務局の幹部が行ってきました。行政・財政・税制について、それぞれの現状と問題点の説明、質問と討論を行うほか、自治体現場で議論もしてきました。お互い、熱心な国民性(?)なので、日程は強行で、へとへとになりました。
「隣の国で考えたこと」(中公文庫)は、岡崎久彦さんの名著ですが、私も私なりに、いくつかのことを考えました。短い滞在でしたが、韓国行政自治部のお計らいで、いろいろと見せてもらえました。少しの滞在で考えを述べることは「危険である」ことは、十分承知しています。その上で、「隣の国で考えたこと」を書き留めておきます。(2003年8月30日)
1 韓国の地方行政
(1)韓国の民主化
韓国は、1987年の民主化抗争を経て、それまでの権威主義体制(独裁的政治体制)から民主主義体制(自由主義政治体制)に変換しました。第二次世界大戦後の韓国の政治・経済・社会の変化については、木宮正史著「韓国-民主化と経済発展のダイナミズム」(2003年、筑摩新書)がわかりやすいです。私も参考にさせていただきました。
韓国での民主化は、簡単に言えば、反政府デモが軍隊に鎮圧されないこと、大統領の交代が選挙で行われることと言っていいでしょう。地方行政についても、劇的な変化がもたらされました。中断されていた地方首長と議員の選挙が再開され、地方自治が復活したのです。あわせて、地方自治体への権限移譲が行われました。
(2)韓国の行政
韓国は大統領制で、日本は議院内閣制です。その違いはありますが、各省の仕組みは似ています。日本の省に当たるのは「部」です。また、日本に先立ち省庁合併を行いました。かつて、内務部が、日本の自治省と警察庁に当たりました。それが、日本と同じように行政管理部局と合併し、「行政自治部」になりました。日本の総務省(郵政部門を除く)に相当します。
この他、財政経済部、外交通商部、教育人的資源部、法務部、国防部等18の部があり、部の下に、国税庁や統計庁、警察庁といった16の庁があります。
(3)韓国と日本の地方行政
韓国の地方行政については、自治体国際化協会刊「韓国の地方自治」が新しくわかりやすいです。かつて、日本が「併合」していたこともあり、韓国の地方制度の基には、日本の地方行政制度があるようです。例えば機関委任事務制度もあります。ただし、韓国でも見直しが始まっています。
韓国の地方自治制度は、日本と同様に議会と団体の長が両立する大統領制をとっています。
1991年に地方議会の議員選挙が、1995年に地方団体の首長選挙が実施されました。それまでは、首長は内務部が派遣する内務部官僚でした。戦前の日本の知事と同じです。ただし、道(県)には副知事が二人いて、一人は知事が選ぶ政務副知事で、もう一人は中央政府(行政自治部)が派遣する事務副知事です。
2 日本と韓国
(1)韓国の発展
韓国の発展ぶりには、目を見張るものがあります。前回訪問したのは、1995年頃だったと思います。前回の訪問と比べても、その前の韓国が「貧しかった頃」と比べても、比較になりません。ソウルの街は高層ビルが建ち並び、街もきれいになっています。街行く人も、おしゃれになっています。日本の街角と変わらないのです。
ここで経済を述べるのは、今回の旅で「政治と社会を規定する大きな要素はやはり経済である」ということを感じたからです。
政治体制が権威主義的体制から民主主義に変わったことは、先に述べました。そして、これに併せて、韓国の経済発展がありました。朴正熙大統領(1961~79)の下、いわゆる開発独裁によって、韓国は経済発展に成功しました。しかしそれはまだ、軽工業を中心とした後発型経済でした。それが、1988年にオリンピックを開催するまでになりました。
さらに、この15年間に日本に追いつき、一部では追い越したのではないでしょうか。新聞などでも報道されているように、インターネットの普及などは、日本を抜いています。例えば、韓国では新聞の記事そのものをインターネットで無料で読むことができます。日本では記事のさわりしか読めませんが。
韓国は1997年の通貨危機を経験し、ドル換算でのGDPは6割にまで減少したと伝えられています。最近の国民一人当たりGDPは、日本の27.5%(日本32,160ドル、韓国8,982ドル。2001年)になっています。
(2)韓国との交流
韓国は日本にとって「近くて遠い国」と言われてきました。私も、そう感じていました。しかし、今回の訪問を通じて、いよいよ「近くて近い国」になれるのではないか、と思いました。
まず、行きの飛行機です。8月下旬ということもあるのか、乗客のほとんどが若い女性でした。男性は数えるほどです。女性の服装も、ちょっとそこまで、という感じのラフさです。かつて韓国旅行といえば、日本の男性が「批判を受けるような」観光に行っていたことに比べ、まったく違っています。
これが、「交流」「相互理解」なんだと思いました。要人が訪問したり、経済関係が太くなることも交流でしょうが、市民レベルでの相互理解は、それらとは大きく異なると思います。
特に日本と韓国の間には、不幸な歴史がありました。正直言って、私は若いころ、「いつになったら日本と韓国は相互理解ができるのか」について、自信がありませんでした。アメリカとは戦争をしながら憧れる国になり、一方、韓国にはあれだけの被害を与えておきながら、そう親しくなったとは言えませんでした。
それを克服するのは、政治の仕事だと思っていました。しかしそれは、なかなか難しいことです。国民感情ですから。それが、いわば「草の根」で、達成されようとしているのです。その基礎には、韓国の経済発展があります。これについては、後に述べます。
(その後、韓国のテレビドラマが日本でヒットしたことは、ご承知のとおりです。この場合も、主力は女性です。)
また、歴史をさかのぼれば、古代では朝鮮半島から進んだ文化を輸入しました。江戸時代も、朝鮮通信使を尊敬したのです。案外忘れられていますが。