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発展途上国の終了

なぜこれまで、ここに述べたような仕組みで、日本の官僚制はうまくやってこれたのでしょうか。そして今、機能不全になったのでしょうか。それは、日本がこれまで、発展途上国だったからです。その時代は、それぞれの組織が、仕事と組織を拡大すれば、それが日本の幸せにつながりました。予算や人員の増加が、そのまま成果につながったのです。予算と人員、作った法律の数という「入力」で評価しても、そんなに間違いではなかったのです。しかし、もはや無邪気な拡大・膨張で、社会が良くなる時代は終わりました。限られた予算と人員で、どれだけの成果を出すか。これが大きな課題なのです。
入力の評価から成果の評価へ、変えなければなりません。しかし、それができていない、できない仕組みなのです。これまでは、拘束時間で給料を払う仕組みでした。しかし、成果で給料を払う仕組みに、変える必要があります。
先に、組織に目標がなかったと、書きました。これも、ここに関連しています。目標がなくても良かったのは、発展途上国の時代は、それぞれの組織の向かうべき方向がはっきりしていたからです。欧米に追いつくように、事業を拡大すれば良かったからです。よって、目標は要らなかったのです。しかし、経済成長が止まり、限られた予算と人員をどこに投入するか、これが大きな課題になりました。部門別の配分見直しを、しなければなりません。すべての部門が拡大すればいい時代は、終わったのです。縮小すべき分野を、決めなければなりません。部門間の評価は、政策評価ではできません(「新地方自治入門」p252)。

官僚の技能

人事が閉鎖型なので、職員はいろんなポストを経験します。もちろん、分野ごとに人事単位は分かれていますが、その中ではいろんなことを経験します。技官は専門分野がかなり細かく分かれていますが、事務官は幅広く経験を積みます。しかも、1年や2年で異動することが多いです。
それで、専門家になるのでしょうか。官僚の専門技能とは何なのでしょうか。官僚は政治家と違い、専門技術を持っていると期待されています。しかし、この技術とは何なんだろうか、という疑問です。
これまでは、法律を作ることから法学部、外国の文献を理解するために語学が主だったと思います。しかし、欧米に追いついたことから、官僚も「輸入業」では済まなくなりました。今後、国内の課題を拾い上げ解決する際には、課題発見・解決策検討といった政策能力が必要だと思います。そして、政策能力一般だけでなく、それぞれの分野の知識も必要でしょう。教育、福祉などといった分野です。専門知識は何も、道路や河川といった工学だけではないのです。
さて、公務員の評価に話を戻しましょう。公務員は、どれだけその専門技能で評価されているのでしょうか。これも私の疑問です。例えば、公務員の再就職のための「人材バンク」があります。課長以上の職員が登録し、引き合いを待つのです。しかし、これまでに、実績はわずか1名だそうです。これをもって、官僚には技能はないとは言いませんが、私を含め、自分の持つ技能で転職できる官僚は、そんなにいないでしょう(参照2006年12月5日の記述)。部下の管理能力や政治家との交渉能力が優れているといってもねえ。
これも、閉鎖型人事システムと、関連があります。開放型だと、そのポストに必要な技能を示し、その能力があるかどうかを試験して採用するでしょう。しかし、閉鎖型だと、そんな試験をしなくても済むのです。閉鎖組織の中で出世していく、外部との競争はない。すると、職員側にも、甘えが出るのだと思います。出世競争は技術能力でなく、人物競争ですから。自らの技術を磨かなくても、面倒を見てもらえると期待を持つのでしょう。
ここで言いたかったのは、職員に何を期待しているか。職員に期待されていることは何か。どんな能力・技術が期待されているか、という問題です。

採用・昇進の仕組み

もう一度、公務員の評価の問題に戻りましょう。職務内容書がなく、職員の業績評価がなくても、なぜ回っているか。人物評価だけで、選別はなぜできるか。それは、採用・昇進の仕組みにあります。
日本の官庁や多くの企業は、職(ポスト)に空きができると、組織内部から登用する仕組みです。人事異動の時期に、「××さんが退職するので、次は誰が上がって、その次は・・」と予想がされ、異動が発令されます。業界用語では「人事の列車」と呼びます。各人を客車にたとえ、先頭の人が動くと、その後が順繰りに動くからです。各人の間は、線で結んだり矢印でつなぎます。わかりやすいでしょ。この形を、閉鎖型(クローズド・システム)と呼びましょう。これと対照的なのが、開放型(オープン・システム)です。職(ポスト)に空きができた場合、組織の内部外部を問わず募集し、採用する仕組みです。
閉鎖型の場合、中途採用はありません。新卒一括採用し、年功序列で昇進し、退職金があります。開放型の場合は、これら3点セットはありません。閉鎖型は、職員が、組織に丸抱えされる仕組みです。組織に忠誠を誓えば、「悪いようにはしない」のです。採用時も、個人の持つ技術には着目しません。技術は、職場で、昇進の過程で身につけさせます。業績評価をしなくても、人物評価で選別し、昇進させればいいのです。これは、採用年次が幅を利かす社会になりがちです。しかし、開放型だと、そのようなことはあり得ません。閉鎖型は、外部の人との競争のない社会で、中にいる人には居心地の良い仕組みです。もっとも、内部では競争があります。
閉鎖型は、会社が職員を拘束する代わりに、生活を保障する仕組みです。よって、早期退職の際の、天下り斡旋もしてくれます。
大部屋主義は、個人の職務内容書がないので、閉鎖型になりがちです。開放型の場合、職務内容書がないと、外部からの登用は難しいです。やれなくはありませんが、細かいところは決めてないので、「委細面談」になります。仕事を商品と考え、労働を対価として、応募者は仕事を買いに行くと考えてみましょう。労働の売買契約書と考えるのです。その際に何をするか分からない職場は、内容を表示していない商品で、買う方にとっては危なくてたまりません。しかし、閉鎖型の場合は、仕事の内容は不明でも、会社は面倒を見てくれるので、安心できるのです。職員の自由がない代わり、自己責任がない仕組みです。文句を言ってはいけません。
少し議論が発散しますが、閉鎖型はみんなで仲良くのムラ社会であり、開放型はそれぞれの能力で生きていく狩猟民族といったらよいでしょうか。

成果の少ない長時間労働

次に、課や職員の仕事の目標が設定されていないことが、長時間残業につながります。課としての達成すべき目標があいまいなので、いつまでに何をしたらいいのか不明なのです。課としての目標が明確なら、みんなでそれを達成すれば、帰宅できます。また、その場合は、仕事の遅い人がいても、誰が達成して誰が遅いかは、ある程度見えます。仕事の速い人は、さっさと片付けて帰宅してよいのです。しかし、それができないとなると、だらだら仕事を続けることになります。
また、課としての目標があいまいだと、部下の達成すべき仕事は、課長の考え・仕事の仕方に左右されます。部下は、「うちの課長は、次は何をするのだろうか」と心配するのです。
自分の課の仕事に自信のない課長が座ったら、部下は悲惨です。目標が不明確ですから、いろんなことに手を出し、ありとあらゆる想定問答をつくらせます。課長自らが書けばいいですが、そんな課長は、たいがい自分では書きません。また、目標と期限を示さず、部下に作らせるのです。
このような状況下での良い課長は、逆をすればいいのです。課の目標と期限を決め、部下に明確に指示する人です。その際、設定した目標と期限は、その上司(局長など)の了解を得ていること、外部の人にも分かってもらうものであると、なお良いです。そうでないと、後で仕事が増えます。
(霞ヶ関の場合、国会待機、翌日の国会質問が判明するまで待機することが、これに輪をかけます。これは、政治家と公務員の仕事の分担が、うまくなされていないからだと思います。)

組織単位でも目標はない

それなら、「大部屋ごとに業績を評価すれば良いではないか」という指摘が出るでしょう。「課や係で仕事が決められている」なら、それごとに評価をすればいいのです。しかし、課や係ごとに仕事は決められていますが、課や係で達成すべき目標は、たいてい決められていません。年度の初めに、あるいは人事異動で着任した際に、課長が上司から「今年度はこれだけを達成するように」と指示を受けることはまずないと思います。局長が就任に当たって、大臣から「これこれを達成するように」との指示書を受け取ることもないと思います。
「××の企画に関すること」「○○の運用及び改善に関すること」といった定め方では、仕事を決めていても、目標は決まっていません。何となれば、これでは達成したかどうか判定できないからです。
すなわち、課や局としてのさらには省としての、目標は設定されず評価はされていないのです。「あの課は良くやったから今年はボーナスをはずもう」ということはありません。
実は、職員に職務内容書が示されないのは、この組織にも目標がないこととも連動しています。課や係に業務の目標がなければ、個々の職員に目標を設定できないのです。もちろん、企画業務や内部管理業務の場合、目標設定は難しいです(民間企業の場合、どうしているんでしょうか)。数値にならない目標もあります。でも、「××プランを、9月までにつくり、市民に公開する」といったように、数値でない目標はあります。この場合、当然、プランをつくるだけでは達成でなく、内容が実のあるものでなければなりません。
それより問題なのは、「あの組織はもう目標を達成したから廃止しよう」ということが、ほとんどないことです。官庁では、これまで予算や定数・法律の数といった「入力」で評価されたので、「成果」では評価してこなかったからです。
近年、政策評価や行政評価が議論になり、取り組まれています。そして、これまでの入力評価でなく、効率や顧客満足度による評価に変わりつつあります。これは良いことです。しかし、これらも目標達成度という観点からは、まだ十分には機能しません。組織定数の査定も、せいぜい「忙しいから増やそう、暇そうだから減らそう」です。次回に続く。