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自衛隊海外派遣・国際協力

今日の日経新聞夕刊に、「自衛隊派遣、揺れた20年」が、特集されていました。1991年第一次湾岸戦争の時に、巨額の資金支援をしながら、人的貢献をしないことで、海外から大きな非難を浴びました。それがきっかけになり、1991年ペルシャ湾への掃海艇派遣、1992年のPKO協力法制定、それに基づくカンボジアPOKと、自衛隊の海外派遣を進めました。記事には、わかりやすい簡単な年表もついています。
当時は、大問題でした。しかし、もう20年前のことですから、今の大学生や若い人たちは、知らないのですね。
私は、連載「行政構造改革」第1章第2節3見えてきた日本の成功の問題点(2)「国際貢献を考えない」などで、国際貢献をしなかったことを、日本の失敗として取り上げました。
憲法において「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と宣言しながら、そのための努力や貢献をしなかったことです。
授業では、次のようなたとえ話をしています。
村の共同井戸に、ならず者が来て、火をつけた。村人が総出で、消火に当たった。その時に、岡本の息子だけが、消火に加わらなかった。「うちには、『息子を危険なところに出してはいけない』という家訓があるから」と。村の人は言った、「でも、共同井戸から一番たくさん水をくんでいるのは、岡本さんですよ」と。
消火が終わって、村人が慰労会をした。岡本家は「慰労会の費用を、みんなの分も出します」と、たくさん寄付をした。そして、「わが家の息子も、慰労会に参加します」と言ったけれど、村人は「一緒に汗をかいた者の打ち上げですから、岡本さんは結構です」と言って、参加させてもらえなかった。学生諸君は、どう考えますか、と。

上級幹部科卒業式

今日は、消防大学校で、上級幹部科の卒業式がありました。消防長(各市町村消防本部の長)や部課長、署長といった最高幹部級の課程です。平均年齢54歳。期間は12日間と、短めです。科目も、人事管理・危機管理・危機管理広報・惨事ストレスといった管理職ならではの科目と、状況創出型図上訓練・消防応援受援といった運用訓練などからなっています。
消防の応援・受援というのは、近年クローズアップされてきました。消防が自らの市町村の区域を越えて応援に行くことは昔からありましたが、遠くまで出かける、広域で応援することは、阪神淡路大震災が、一つのきっかけです。
ところで、応援と受援(応援を受ける)では、受援が難しいようです。各消防本部は、応援の経験はあるのですが、受援の経験はまずはありません。しかも、大災害の時には、たくさんの部隊が、各地から集まってくるのです。被災地ですから、自らの部隊を運用するだけでも大変です。その上に、受け入れるのですから。おわかりいただけると思います。
近年では、各地で、そのような事態を想定した訓練を、行っています。

東京の雪

東京は、昨夜から雪が降り、今朝には積もっていました。気象庁は1センチメートルと発表していましたが、わが家の回りは、2~3センチ程度積もっていました。
この程度の積雪なら、雪国の人にとっては雪のうちに入らないでしょう。でも、笑わないでください。ふだん積もらないところに雪が積もると、それは大変なんです。備えができていませんから。
家の前の道路は、踏み固められて、シャーベット状に。これが一番やっかいなのですよね。こうなると、なかなか溶けなくて、翌朝には凍ってしまい、すべりやすくなります。で、早起きして、雪かきをしました。2年ぶりのことです。
次のような俗説を、聞いたことがあります。東京では、中央線で西に向かうに従って、気温が下がる。「寺」がつくと、1度ずつ下がる。高円寺で1度、吉祥寺で1度、国分寺でさらに1度。そして八王子で1度。もっとも、八王子は、「じ」がつきますが、寺ではありません。

二足のわらじ、大山さん

1日の読売新聞夕刊連載「2地域居住」に、大山慎介さんが、大きな写真入りで出ていました。大山さんは、記事にもあるように、北海道庁の職員です。かつて、自治省交付税課で、一緒に仕事をしました。その後、私が、内閣官房再チャレンジ室長をしたときも、助けてもらいました。このHPでも、何回か登場しています。
今やすっかり、北海道移住の伝道師になっています。元は財政のプロ、ということは典型的公務員なのですが、民間人以上に広報もできることは、すごいことですね。