岡本全勝 のすべての投稿

業界振興から生活者保護へ

私は、役割変化の方向の一つが、業界振興から生活者保護への転換だと思います。これまでの追いつき型行政・発展途上国行政では、業界を保護することで、各分野を振興しました。これは、工業・農業といった産業だけでなく、建設、運輸、金融、教育、医療といった分野もです。需要側でなく供給側を育成すること。この方法は、発展途上時代には効率が良かったです。しかし、その目的は達しました。多くの分野で、国が支援しなくても、民間は自ら活躍しています。独り立ちできるのです。
逆に、業界保護と消費者保護がぶつかった場合、官庁が業界寄りで、問題を大きくしました。公害問題はその典型です。水俣病でも、被害者救済が遅れました。最近では、薬害エイズの時の厚生省薬務局、不良債権問題の時の大蔵省銀行局、BSE牛問題時の農林水産省畜産局で、この問題がよく見えました。生活者や消費者より業界の利益を優先したと、批判されたのです。
そして、薬務局は解体再編、銀行局は大蔵省から分離、食の安全については内閣府に食品安全委員会を設置(食糧庁を廃止)しました。そこには、業界の振興と消費者の利益保護の2つの行政を、分離しようとする意図があるのです。もっとも、金融庁は、その2つが一緒の役所になりました。しかし、銀行などに対する業務停止命令を、たびたび発するようになりました。

行政の役割変化

官僚の役割と評価」を連載したので、関連する行政の役割変化について、ここでまとめておきます。
これからの行政のあり方を考える際に、これまでの行政と使命や役割がどう違うか、を踏まえておくことは重要です。私は、明治以来、行政の使命は、欧米に追いつき追い越すことだったと考えています。そして、先輩たちはそれに成功しました。行政サービスや社会資本整備だけでなく、産業や文化、暮らしにおいても成功しました。しかし、追いついたこと・成功したことで、目標は達成しました。これが、「新地方自治入門」の主張でした。では、これからの行政の役割は何か。これが、今日のテーマです。

新しい仕事57

8日の読売新聞夕刊「安心辞典」は、大津和夫記者が、大きく再チャレンジ支援を取り上げてくれました。支援プログラムを紹介し、「達成目標を掲げたのが特徴です」と評価してもらいました。また、カラーで働き方の人生双六もついています。なかなか良くできた図です。私たちが多くの言葉で説明するよりも、ずっとわかりやすいです。ありがとうございました。
もっとも、「いずれの事業も、各省庁が既定路線としていたものばかり。全体として寄せ集めの印象はぬぐいきれません。格差の固定を避けるためには、路線変更が難しい旧来の制度・慣習を改め、必要に応じて別の路線に乗り換えることができるような、柔軟な雇用制度が求められます」とも指摘されました。
御指摘の前段は、作成者として否定はしません。フリーターや女性の雇用対策は、今回始めたのではなく、すでに各省が取り組んでいました。私たちは、それを整理し、一覧表にしたのです。そして、それらを拡充するとともに、まだ足りないところを充実し、再チャレンジというパッケージで「大売り出し」したのです。それは単なる寄せ集めでなく、対象者別・手法別に整理したものです。ごった煮でなく、3本の大きな串に刺し、さらに細かく並べてあります。また、今や、そんなびっくりするような新規施策はありません。これらの施策を着実に実施するしか、道はありません。もちろん新しい良いアイデアがあれば、追加します。
指摘の後段は、私たちが訴えていることです。政府が予算や法律だけでは、改善できないものです。社会の慣行・国民の意識の変更なのですから。これも、様々なチャンネルで、働きかけていきます。
どうぞ、支援してください。政府公報より、こうして新聞が取り上げてくれる方が、国民意識への働きかけは効果が大きいと思います。

官邸主導と与党主導

7日の日経新聞夕刊「永田町インサイド」は、「自民の力の源泉、事前審査。官邸主導に壁」を解説していました。与党の総裁が総理を兼ねているのに、与党と官邸との間に政策決定の争いがあることに関してです。この原因は、政府の他にもう一つ、与党での政策決定過程があるからです。各省(大臣・副大臣・政務官という与党政治家が幹部)とともに、与党に部会があるのです。与党が二つに分かれているのです。「権力の二重構造」と指摘されています。そして記事が指摘しているように、法案などの閣議決定事項は、政府だけで決定できず、与党での事前了解が必要だからです。いつも比較されますが、イギリスでは与党幹部が政府の役職に就いているので、政府と与党の対立・調整はないとのことです。
もう一つの問題は、政府案を与党で事前審査する際に、その根回しや部会審査での対応を政治家でなく、主に官僚がすることです。ここに、政治家と官僚との、役割分担の混乱があります。
昨日の記事について、記者さんから指摘があったので、補足します。それは、官邸主導と内閣主導とは違うのではないか、例えば今回問題になった道路特定財源の一般財源化については、担当大臣はどのような役割だったのか、という指摘です。
その指摘の通りです。今回、与党と対立し(?)政策を争ったのは、総理と官房長官という「官邸主導」でした。しかし、内閣といった場合は、道路整備は国土交通省(大臣)、財政は財務省(大臣)が所管です。内閣が政策を決める場合は、各省大臣が分担管理します。だから記者の指摘のように、総理(官邸)が担当大臣に指示を出して決定する過程を取れば、「内閣主導」になったのでしょう。しかし、今回は担当大臣と省がどのようなリーダーシップを発揮したかは、報道ではよくわかりません。もちろん、内閣の責任者は総理ですから、内閣主導といっても最後は官邸主導になります。しかし、各省・大臣の出番があるかどうかで、官邸主導と内閣主導は別のものといえます。(12月8日)
14日から日経新聞経済教室は、「政策決定過程、改革の方向」を連載しています。14日は細野助博教授の「専門知の活用さらに。情報公開をテコに、強い指導力で既得権打破」でした。多くの国民は、仮に多少の格差を感じても、既得権益を打破する方がよいと、今も考えている。しかし、既得権益は、一朝一夕には打破できない。日本では政官業の結束が強く、自らの既得権を失うまいと躍起になる。
だから、既得権益のプレーヤーの数や参加の機会を、何らかの力で限定し、優先順位をつけることによって、浪費を減らすことができる。省庁の数を減らし、内閣府を一段高い位置にせり上げた省庁改革、参加者の数と機会を限定した経済財政諮問会議が、これに当たる。と述べ、次のように主張しておられます。
「法制上一段せり上がってはいるが、まだ余力のない内閣府と内閣官房を使い、政策課題を仕分けし、官庁セクショナリズムをコントロールしながら、省庁などに課題解決を委任する度量と知恵と実行力が、首相とその周辺に期待される」。
15日は、城山英明教授の「指導力発揮、諮問会議使え。首相を核に組織戦、連携進め課題設定適切に」でした。経済財政諮問会議の役割が、大きく取り上げられています。小泉時代の特質として、首相がこの場で経済政策を決める姿勢を示したことで大きな役割が与えられたこと、民間議員がアジェンダ設定で大きな役割を果たしたこと、閣議の実質化をもたらしたことを挙げておられます。一方、問題点として、与党との関係、内閣の様々な会議体との関係、毎年の予算編成プロセスとの関係、諮問会議を支える内閣府と内閣官房の関係を挙げておられます。
ここでも取り上げられていますが、内閣府と内閣官房の機能をどう発揮させるか、そしてその二つの関係をどう整理するかは、課題として残っています。私も、まだ明快な結論を持っていません。勉強中です。
18日の日経新聞経済教室は、石弘光教授の「審議会改め専門家集団に」でした。官僚の隠れ蓑と呼ばれてきた日本の審議会と、欧米の少人数の専門家によるタスクフォース方式とを比較し、また経済財政諮問会議や最近の安倍内閣での有識者会議との比較もしておられます。(12月18日)
22日の日経新聞経済教室は、根本祐二教授の「官民の連携、市民参加がカギ。ニーズのズレ防ぐ」でした。近年日本でも、PFI、指定管理者制度、市場化テストなど、多くの官民連携の仕組みが導入されました。その際の失敗事例を、分類しておられます。政策目的設定を官が担うことで無駄な事業を行う失敗や、民間事業者の選定プロセスが非競争的や不透明であることによる失敗(癒着、談合)、民間事業者の監視が不十分な例(耐震偽装)などを挙げています。そしてそれを防ぐ方法として、市民参加を提唱しておられます。
24日の日経新聞は1面で、市場化テストのモデル事業5つについて、2年間での結果を取り上げていました。効果の大きなものでは、官がやるのに比べ、6割も安くできています。(12月24日)
日本の政治課題の一つに、規制改革があります。12月7日の経済財政諮問会議で、草刈隆郎規制改革・民間開放推進会議議長が、この3年間の成果を、次のように評価しておられます。(議事要旨p2から)
「第1に、主要官製市場の改革。前身の総合規制改革会議を継承して、医療、福祉・保育、教育、農業、労働等の分野に取り組んできた。医療では、中医協の改革、混合診療の一部解禁。教育では、学校選択制度や教員免許等。これらの分野は一歩前進があったと評価しているが、なかなか進まない分野、当初の想定とおよそ違った状況になっている分野もある。例えば、幼保一元化を目指した総合施設「認定子ども園」を今年からスタートしたが、一元化ではなくて「幼保総」の三元化になりかかっているのではないかという懸念もある。他の分野も含めて更に強力な取組みが不可欠だと思っている。
第2に、官業改革・市場化テスト制度の導入。官民競争入札制度、いわゆる市場化テストの正式導入が行われたのが成果と思っている。当会議がモデル事業の実施を主導し具体的な制度設定をして、この6月に制度がスタートしたが、制度の本格的な活用、具体的な官業改革への取組みは、これからが本番という認識である」(配付資料p2)
また、有識者議員は、次の課題として、次の3つを挙げておられます。
①生活の質を高めるための規制改革=医療、保育
② 再チャレンジを可能にするための規制改革=労働、教育
③ オープン型社会のための規制改革=対日投資、農業
(12月24日)
31日の日経新聞ニュース入門は、市場化テストでした。そもそもは民間開放の手法であり、これによって財政再建を進めること、しかしこれからは官の抵抗が拡大する恐れもあると、解説しています。また、業務が民間に移るに伴い、公務員が配置転換されるだけでなく、民間に移れるように年金などの制度を民間にあわせる必要があることも、指摘されています。(2006年12月31日)
読売新聞「時代の証言者」は加藤寛さんで、12日は「米価審議会、農民に囲まれる」でした。米価が経済でなく、政治で決まったことが書かれています。農民に服を破られるとか。若い人たちは、知らないでしょうね。国鉄の運賃や新線の建設も、採算性でなく、政治で決まりました。当時は、3Kという言葉がありました。きつい、汚い、暗いの3kではありません。巨額の公費を投入する対象としてです。米、国鉄、健康保険でした。
次のような記述があります。「米価の決定には、農林族の政治家の発言権が大きかった・・・例えば3%の引き上げ幅をめぐって対立している場面で、『3%ではなくて2%にしよう』などと、妥協案を出してくる。そうすると、われわれが審議している隣の部屋に詰めている食糧庁の役人が、農民の労働時間、時給、農機具や肥料の値段やらを計算機で算出して、2%の引き上げ幅にぴったりの算定根拠を出す。政治家の言う米価の数字が変わると、また別の理屈を立てて、都合のよい根拠数字を算出する」。
官僚の役割(の一面)がよく分かる場面です。関係者は、みんなよかれと思って行動したのでしょうが。(2月13日)
読売新聞「時代の証言者」加藤寛さん、14日は「審議会とはヤラセだな」でした。
「米価審議会はある意味で、非常に勉強になった。農民代表と消費者代表は利害が真っ向から対立するから、なかなか結論が出ない。ところが、最終日の夜、壁の時計はいつまでも午前0時にならない・・・そうこうしていると、審議会の世話人が答申案の文書を持ってくる。答申案は、農民の意見はかくかくしかじか、消費者の声はこうこうと記したうえで、最後の方に、農林省としてはこう考えるという結論が書いてある。だから、答えは最初から決まっている。新聞記者はそれを知っていて、委員である私たちが答申内容を決めていないのに、結論が新聞に出たりする・・・社会保険審議会も同じだった」。
審議会の機能として、利害の対立を調整することが挙げられることがあります。これも、民主主義国家ではおかしな話です。国民の間の利害の対立を調整するのが、国会の仕事なのですから。国会が機能せず、また与党も避け、官僚機構が隠れ蓑を使って、調整していたということです。(2月14日)
15日の読売新聞談論「日銀利上げ」で、榊原英資氏は「政治介入タブー再認識を」として、次のようなことを述べておられます。
新日本銀行法が施行されたのは1998年。法律的に日銀の政治・政府からの独立性は明記され、透明な形で政策委員会が制度として確立している。1990年代、いわゆる財政・金融の分離が大きな政策課題になり、金融庁が大蔵省から分離し、財務省・金融庁・日本銀行の役割分担が明確になった。金融監督などをどの組織が担うかは、先進国でも国により異なるが、財政が財務省、金融が中央銀行という区分けはどこでも同様だ。
もちろん全体としてのマクロ経済政策、財政政策、金融政策は互いに整合的なものでないと、政策の有効性が損なわれる。しかし、金融政策の最終決定は中央銀行の政策決定会合によってなされ、首相といえどもこれを覆すことはできない。なぜ金融政策だけが特別なのか。たびたび財政政策に左右され、インフレを引き起こしてきた歴史的経験を踏まえ、財政と金融、政府と中央銀行の分離が確立されてきたからである。
それなら、政府と中央銀行の政策金融に関する意見が対立したときはどうするのか。政府は中銀総裁の任命権を持っているが、罷免権を持っていない。短期的には専門家に任せ、中長期的には政府の方針を貫くというものだ。しかし、この仕組みをうまく運営していくためには、双方の自制が必要だろう。頻繁な意見交換は必要であるが、介入はタブーである・・。(2月17日)

まだまだ研究が必要

さて、公務員の評価について思うところを、5日間にわたって書いてみました。公務員改革の数量と仕組みの課題は、官僚論6に整理しました。今回は、その続きと考えてください。
官僚制について書いた本はたくさんありますが、公務員の評価問題について書いた本は、案外見あたりません。「公務員人事の研究」(山中俊之著、東洋経済新報社、2006年)くらいでしょうか。数年前まで、日本の官僚は世界一優秀といわれていたので、問題とならなかったのでしょう。これは、日本企業の労働慣行も同じだと思います。これまで良く機能したが故に、問題意識が少なかった、そして方向転換にも難儀しているということでしょう。
しかし、日本の官庁は、民間企業とも違う仕組みです。さらに言うと、地方公共団体とも違う、独特の仕組みです。諸外国の公務員制度と、どこが違うか。それ以前に、日本の民間企業とどこが違うか、研究する必要があるようです。これまでは、官庁と企業の両方で人事を企画運用した人がいないので、その違いを分かる人がいなかったのかもしれません。また、官僚には、人事制度の企画・運用のプロがいません。学者の方は、自ら人事をしたことは少ないでしょうし。

今回も、大胆な割り切りで解説しました。私の勉強不足の点を、ご教示いただけるとありがたいです。

27日の読売新聞論陣論客は、「公務員の天下り規制」でした。丹羽宇一郎伊藤忠会長と、森田朗東大教授の主張が載っています。私は、お二人とも、故あって親しくしていただいています。このような商売をしているおかげですね。よって、今回は私の意見は差し控えます。もっとも、これまでに、私の意見は言っていますね(笑い)。
それぞれの方に、それぞれの意見や考え方がある。これが社会です。その意見を調整し、結論を導く。それが政治です。みんなの意見が一致しているとか、最初から結論があるのは、政治ではありません。また、みんなで得た結論が、将来振り返ってみて「正しい結論」であるとも限りません。これが、正しい真理がある自然科学と、「正しい」と関係者が考える結論を見いだす過程である政治との違いです。日本人は、どうも「正しい結論がある」「最後は水戸黄門さんが、結論を下してくれる」と思っているようです(外国がどうかは知りませんが)。