今日9月15日は、仙台の東北学院大学で「自治会とその周辺を舞台とした女性の役割」に登壇しました。災害復興公営住宅におけるコミュニティづくりの課題と対処策を議論しました。トヨタ財団が支援し、被災地で活躍しているNPOなどが事例を発表し、そのあと、私と本間照雄・東北学院大学教授、本多史朗・トヨタ財団プログラムオフィサーとで対談しました。お二人とも、現地に入り実態をよくご存じです。
コミュニティの再建は、今回の大震災でその重要性を認識し、復興の3本柱の一つに位置づけました「復興がつくった新しい行政」。
しかし、これまでに経験のないことです。行政が補助金でつくることはできません。住民が主体で、かつ継続が必要です。しかし、何もしないでおくと、いつまで経ってもできません。外から入ってどのような支援をするか、そしてどのように手を引いて自立してもらうか。国にも研究者にも、良い知恵はありません。
現地からの報告は、まさに手探りで、それぞれにご苦労があり、貴重なものでした。参加者は約60人。私にとっても、参加者にとっても、勉強になりました。
現地で活動しているNPO、それを支援してもらっているトヨタ財団、またこのような機会を作ってくださった関係者に、お礼を申し上げます。
投稿者アーカイブ:岡本全勝
東電職員の努力
東京電力の社員が、福島の被災地で汗を流しています。第一原発の廃炉作業でなく、周辺の被災地の復興のためです。9月11日の毎日新聞が、詳しく報道しています。「東電3万人余の償い」。
避難者の家の片付けの手伝い、お墓の清掃など、まさに地べたを這うような作業です。
被災住民からすると、東電は大事故を起こした加害者であり、東電社員はその一員です。東電社員を見る目には、厳しいものがあります。
東電社員からすると、このような清掃作業をするために東電に就職したわけではありません。賠償など法的責任だけでなく、このような「お手伝い」「地域作業」によって、道義的責任を果たそうとしているのです。
会社としての責任、事故を起こしたあるいは防げなかった担当職員の責任は、はっきりしています。そのほかの社員は、直接は事故に関与していません。その会社の職員であるという責任。難しいものがあります。
記事は、長文にわたる現場からの報告です。お読みください。
帰ってきた肝冷斎
アメリカの政治思想、2
会田弘継著『増補改訂版 追跡・アメリカの思想家たち』から。
ポピュリズムという言葉は、アメリカで生まれたそうです。アメリカの歴史家リチャード・ホーフスタッターの定義では、次のようになっています(p229)。
1 中央に対する地方の反感
2 エリートに対する民衆の反抗・懐疑
3 外来のものに対する土着主義(ナティビズム、nativism)
4 一定の革新性
それに加えて、会田さんは次の項目を付け加えます(p231)。
5 結社拡大の性行
6 宗教的熱狂
ここでは項目だけ列記するので、わかりにくいでしょうが、本文をお読みいただくと、なるほどと納得します。単なるラベル貼りでなく、深く分析することの重要性がわかります。政治研究者やマスコミの政治部記者には、参考にして欲しい本ですね。
アメリカの政治思想
会田弘継著『増補改訂版 追跡・アメリカの思想家たち』(2016年、中公文庫)が、勉強になります。
「アメリカに思想などあったのか?」と思われる人も多いでしょう。プラグマティズムといった哲学、あるいは企業家の経営哲学は思い浮かぶけど、政治哲学は知らないなあと。民主主義、自由主義で、せいぜい共和党と民主党の似たもの同士の争いと思われがちです。そのような思想で、独立し国をつくったのですから。
そして、自由主義陣営の盟主として、アメリカニズムを世界に普及しているというのが、一般的な理解ではないでしょうか。そのアメリカニズムは思想と言うより、豊かな消費社会という生活文化を真っ先に思い浮かべます。
ところが、この本を読んでいただくと、アメリカが、自由主義・民主主義の範囲内で、保守から革新や伝統主義まで、個人主義から共同体主義や社会民主主義まで、幅広い議論を積み重ねていることがわかります。
そして、それらの論客やその思想を体現した政治家が、国政でも議論を繰り広げるのです。
これには、共産主義陣営が崩壊し、民主主義と自由主義の枠内で、さまざまな立場の違いや考え方の違いが表れたこともあると思います。また、人種間の格差に加え、所得の格差が無視できないようになってきていることもあります。トランプ現象です。本書では、それについても鋭い分析がされています。文庫本で読めるのも、ありがたいです。
封建制や王政の歴史を持たないアメリカで、保守や伝統主義がどのような位置づけを持つのか。その点は、本書をお読みください。保守や革新という言葉は、ヨーロッパ、アメリカ、日本では、違った意味をもちます。歴史が違うので、言葉が持つ意味が違ってくるのです。保守や伝統主義にあっても、どの過去を理想とするのか、何を「伝統」と考えるかによって、各国でも違ってきます。
日本でも、保守を標榜する自民党が着実に改革を進め、革新を標榜するグループが「改憲反対」を訴えるという、ねじれがあります。あるグループが自らを「革新だ」と表現する場合、それをそのままに受け取るのか、あるいはその国の過去や現在の政治勢力・政治思想の中に位置づけて「実は保守に分類される」と分析するのか。それが、研究者やマスコミの仕事だと思うのですが。
それらの「分類」(ラベル貼り)は、時々の政治対立や社会問題を理解するためにつくられたものですから、現実社会や政治が変化すると、その分類は切れ味が悪くなります。現在の欧米では、保守と革新ではなく、ポピュリズムや貧困層と富裕層との対立、移民と元の住民との対立でしょう。日本においても、非正規雇用や子どもの貧困、安心できる子育てが重要な課題で、保守と革新では分類できません。安全保障については、たぶん大きな対立はないでしょう。非現実的な主張を除けば。
現実政治における政治思想について、日本においては、明確になっていないようです。冷戦期には、「自民党は保守で、自由主義、資本主義。社会党は、革新で、社会主義」との対立構図でした。とはいえ、万年与党と万年野党で議論による政策選択や政権選択がない(と多くの国民が考えている)状態では、議論は活性化しません。
冷戦終結後も、与野党での政治思想対立や政策選択議論は少なく、思想の構造的対立の議論は深まっていません。社会保障や安全保障において、その時々の対立はあっても、陣営に分かれた構造的対立になっていないのです。政権交代はありましたが、「自民党にお灸をすえる」という位置づけに終わったようです。
例えば、国民負担議論(大きな政府か小さな政府か)にしても、各党もマスコミも「小さな政府」「行政改革」と「安心できる社会保障」を主張し、それでは一方では(実現が困難な)理想論に、他方では程度の問題になってしまいます。
さらに、日本では、政党と国会でされる議論、新聞の政治面での記事、大学の政治学で教えられる内容では、この視点が欠落しているように思います。マスコミは十分な分析をせず、日々の政局記事を流します。研究者は、ヨーロッパやアメリカの政治対立や政治思想を講義しますが、日本の現実政治にはあまり立ち入りません。日本でこの会田さんの本のようなものを書くとしたら、どのような内容になるでしょうか。マスコミの政治部長に質問してみましょう。