地仙ちゃんはもう文字のベンキョウには興味を失っているのですが、先生は続けます。
「「市」以外の基礎的な地方政府は、ニホンでは「町・村」だけど、チュウゴクでは、「郷・鎮」という。省の下に農村部の県と都市部の市があり、この県の下に「郷」と「鎮」がある、というシクミだ。(注:直轄市などもあり現実にはもう少し複雑)
①「町」という字は、本来行政とは何の関係も無くて、②「田」と③「丁」から成る文字。「丁」はクギとかクイのアタマの象形文字とされ、「町」は田んぼをクイ等で区切ったあぜ道のこと。あぜ道の性格から、「町」は、「一町」とか「三町歩」とか、距離や面積の単位としても使われる。
さて、もともとイネは照葉樹林帯文化における低湿地用の補助作物だったそうだが、チュウゴクの長江沿岸で、あぜ道で区画された平坦な土地に用水を引いて人工的に低湿地(水田)を造り、そこに苗代で育てたイネを移植(田植え)栽培する「水田耕作」という技術革新がなされてから、東アジアの主要作物となったといわれる。
この技術革新は、華北の黄河流域の文明からの影響と考えられ、おそらく別の作物に関する「区画された耕作地」があって、それを参考にしてイネを育てる「水田」というモノがハツメイされたのだろうと推測される。
つまり、漢字のもとを作った時期の華北のひとたちにとっては、「田」は、イネを育てる水田とは別の「区画された耕作地」を現す文字だったようだ。なお、「田」を「狩猟」の意味で使うことがあるが、これは「畋」(デン)の「仮借」。
あぜ道を意味する「町」がニホンでタウンの意味になったのは、何かと何かの間の道のことをニホン語では「マチ」(間路)と言ったそうで、これにあぜ道を表す「町」の字を当て、その後道路と道路の間や周囲にできた市街区も「マチ」とよぶようになり、同じ「町」という表記を用いたためだという。行政区の「町」はニホン独特の使い方なんだ。
ところで、「村」(正字は④「邨」)という文字は、古くからイナカの里を指すコトバとして使われている。チュウゴクには今でも住民の自治組織の一種として「村民委員会」というのがあるが、この「村」というコトバをチュウゴクではイヤがるらしい。「通俗篇」という本に「世の鄙陋なる者は、「村」をもってこれを目す」と書かれているように、たいへん見下した意味を持つコトバとして使われてきたんだ。現代チュウゴクでも「農村戸籍」を持っているひとが進学したり出世するにはいろんなハードルがあるらしい。都市と農村を区別する風が強く、イナカモノに対してはすごく厳しいお国柄だと言う」
「イナカモノは恥ずかしいでゴザイまちゅものね」と言いながら、地仙ちゃんは自分でもきょろきょろしているのに、
「ナニきょろきょろチているの? オノボリさんみたいでカッコ悪いではないの」とエラそうにカミナリちゃんに注意しました。
「ピリピリ」(そういう地仙ちゃんだって・・・)とカミナリちゃんが反論したら、なんということでしょう、
「あたちはいいの! うるさいの!」
とカミナリちゃんをぼかんと殴ったのです。先生が慌てて止めましたが、なにしろ強い地仙ちゃんのパンチです。普通のコドモなら失神してしまうでしょう。さすがにカミナリちゃんは失神しませんが痛そうで、「ぴー」と泣いています。
地仙ちゃんは大食い大会に優勝して、いい気になってしまっているのかも知れません。