コンピュータがどんどん発達し、人工知能が人間の脳に近づいていると言われています。確かに、過去の文章や画像などの保管、検索と、それを使った文章や画像の作成は、コンピュータが得意でしょう。では、人間に置き換わるのか。私はそうは考えません。
文章を書くことを、例に取りましょう。私たちが文章を書く際には、3つのものがあります。
1は、複製です。すでにある文章を、そのまま写すことです。
2は、加工です。すでにある文章を加工して、よく似た文章を作ります。コンピュータができるようになりました。しかも、たくさんの事例を記憶しているので得意です。しかし、ここまででしょう。
3は、創造です。これまでにない文章を考えることです。
生成人工知能が文章を作ってくれますが、それは「××という要素を入れた文章を、蓄積した文章を参考に作りなさい」と人間が指示することで、コンピュータが働きます。ここには「人間が指示すること」が必要であり、またコンピュータは「過去の文章にとらわれず、新しいことを考えなさい」はできません。
もっとも、私たちも人間も全くの白紙から文章を考えることはできません。日本語自体を、これまで読んだ文章や会話から学ぶのですから。過去に学んだ日本語の文章を基に文章を加工しているとも言えます。
生成人工知能と言いますが、この「生成」という言葉は要注意です。
ワードプロセッサを、文書作成編集機と呼びます。でも、ワープロがすることは、人間が言葉をローマ字やひらがなで入力すると、漢字仮名交じりの表記にしてくれることです。その形を編集できて、印刷できることです。作成も編集も、機械がやってくれるのではありません。人間が行うのですが、その作業が簡単だということです。
プロセッサという英語の意味は、フードプロセッサのように加工です。作ってはくれません。ワープロも正確に言えば、文字変換機でしょう。