月別アーカイブ:2026年8月

偶然と必然、本人と社会の評価

2026年8月4日   岡本全勝

偶然と必然、これについて書かれた本も多いですよね。ふと、次のようなことを考えました。

神様や仏様から見たら、私たちの行動と結果は、決められたことで、偶然ではありません。神様がどこまで、大震災を起こすぞと予定しておられるかは、疑問なのですが。その時々の各人の判断は異なります。どの異性を選ぶか、どの本を選ぶか。しかし、その判断をする環境は、偶然ではなく、用意されたものです。
他方で、私たち各人から見ると、偶然と思えることがあります。「あの時あの人と出会ったから、こう変わった」「あの本を読んで目が開いた」とかです。与えられた条件(人、本)は変わらないのに、それに反応するかどうかは人によって異なるのです。

神様は、同じような条件を与えてくれているのに、受け取る人によって、その効果が異なります。客観的に見るのか、主観的に見るのかとの違いとでも言うのでしょうか。

この話を発展させると、大切なもの、価値のあるものが、各人によって異なることもわかります。アルバムや思い入れのある人形は、個人にとってとても重要なものです。他方で、社会にとっては価値は少ないです。「少し古本を処分13」で書いたように、私にとって思い入れのある本も、古本屋にとっては無価値でした。

ジョセフ・ラズ著『価値があるとはどのようなことか』(2022年、ちくま学芸文庫)は、普遍的な価値と個人の愛着との関係を論じています(これも、全部を読んでいません)。確かに、この観点は、あまり議論されていませんよね。

「史観」がなくなった21世紀

2026年8月4日   岡本全勝

7月21日の読売新聞「歴史貫く「国民の物語」 失われた30年…「日本史はいかに物語られてきたか」 河野有理・法政大教授に聞く」から。
豊かさという「坂の上の雲」を目指し、坂を登り切った日本。成熟社会になって、次の目標を見つけられないでいる日本。私が「公共を創る」で主張していることと通じるものがあります。

・・・日本人は、自分たちを歴史の流れの中に位置づけられなくなっているのではないか――。政治思想史が専門の法政大教授・河野有理氏は、新刊『日本史はいかに物語られてきたか』(新潮選書)をまとめ、そんな不安を抱いたという。

河野氏は本書で、坂本多加雄や山本七平、司馬遼太郎、松本清張、吉本隆明ら、戦後の学者や作家ら20人の、それぞれの歴史の見方(史観)を論じた・・・見えてくるのは、多様な史観が競合していた思想空間の豊かさだ。その背景として河野氏が挙げるのは、戦前にあった二つの「正史」の喪失。天皇を中心とする史観と、経済が歴史を動かすと考える共産主義的な史観(史的唯物論)で、それらの重しがなくなった分、自由に語れるようになったのだと見る。
だが、21世紀に入ると、国民の歴史への関心は依然として高いままなのに、史観がほとんど出されなくなったという。本書でも論じられる百田尚樹氏の『日本国紀』(2018年)は、史実を淡々と記す一方、特に前近代では物語に不可欠なキャラクターがおらず、歴史の因果関係や時代区分にもほとんど関心が払われていないことを指摘。歴史を貫く物語や史観がないと結論付けた。

史観がなくなった大きな理由の一つとして、冷戦終結後、左派中心の学界では、国民国家単位の歴史を等閑視する風潮が強まったことを挙げる。国民の物語よりマイノリティーへの注目が大切だとの理屈だ。
一方の右派は、冷戦終結後、日本が歩むべき道があやふやになり、歴史の中のどこに自分たちを位置づければいいか分からなくなり、危機感を抱いたという。それが、新たな国民の物語を目指した「新しい歴史教科書をつくる会」の結成(1997年)につながったと説明する。
だが学界はその動きを激しく批判し、突き放した。河野氏は、「つくる会」の危機意識は振り返れば的を射ており、貴重な問いかけだったと指摘。「左派も日本という国を前提に物事を考えており、物語を持っている。だから、よりまっとうな物語について、左右が議論すべきだった」
前後して、学問の細分化・専門化も進行。「エビデンス志向」が強まり、事実誤認がSNSなどで徹底攻撃されるようになった。その結果、学者や作家が専門以外の分野に言及するのを避けるようになり、史観や通史も語られなくなった・・・

・・・なぜ物語が重要なのか。それは、自分たちが背負っている物語は、国としての行動原理、ビジョンそのものだからだ。「個人でも会社でも、ビジョンがなければ決断は常にその場限り。『失われた30年』は、多くの国民が合意できる物語づくりに失敗した30年でもあった。皇室の維持について真剣に議論している今は、生産的な議論をする好機でもあると思う」・・・

室田哲男著『危機管理法制の可能性』

2026年8月3日   岡本全勝

室田哲男著『危機管理法制の可能性』(2026年、信山社)を紹介します。著者は、元総務省の官僚、現在は政策研究大学院大学教授です。

東日本大震災以降の災害対応や危機管理の実務経験を踏まえ、その後の危機管理法制研究の成果をまとめたものです。災害、感染症、国民保護などの危機管理法制を横断的に比較・分析し、それぞれの制度の特徴や課題を整理するとともに、危機管理法制全体の実効性向上に向けた方向性を考察しています。

我が国の危機管理は、近年急速に充実してきました。私も英文の『Public Administration in Japan』(2024年、Palgrave Macmillan)で強調しました。ところが、危機と言っても多種多様で、危機管理も異なります。それぞれに書かれたものはあるのですが、それら全体を横断的に見た本は少ないです。また、実務が変化するので、それを追いかける必要があります。研究としても、労力と分析視点が必要なのです。

これらの危機管理の多くは、地方自治体が担います。自治体関係者に有用です。お勧めします。

学童保育の必要性2

2026年8月3日   岡本全勝

7月11日の朝日新聞オピニオン欄に「放課後どこに行けば」が載っていました。学童保育は、共働きが増えた現在では、学校と同様に必須のものとなりました。もっと、重要なものとして位置づけるべきでしょう。「学童保育の必要性

・・・かつて小学生たちは放課後、気ままに過ごしていた。でも今の時代、子どもを放っておくのは心配だし、学童保育は過密状態……。放課後どこに行けばいい? 子どもたちが、のびのび過ごせる場とは・・・

佐藤愛子・全国学童保育連絡協議会事務局次長の発言から。
・・・学童保育(放課後児童クラブ)とそこに通う子どもは年々増えています。私たちの2025年の調査では、約2万5千カ所に児童151万7772人が入所していました。公立小学校に通う1~3年生のうちの約4割が利用している計算です。出産後も働き続ける女性が増え、放課後や長期休みに子どもが通える場所が必要とされています。

学童保育は需要に供給が追いついていません。入所人数に制限をかけず大規模化した施設は、騒々しくて安心して過ごせない空間になっていることも多い。遊びや活動も制限されがちです。子どもが「話を聞いてほしい」と思っていても、指導員側も声や手が届かず葛藤があると思います。
国は14年、学童保育における子どもの人数を支援の単位(1クラス)につき「おおむね40人以下」などと厚生労働省令で基準を定めました。ただ、地域の実情によって変えてもよい基準のため、25年時点で基準を満たしているのは全体の約6割に過ぎませんでした。
「待機児童ゼロ」でも学童保育が充足しているとは限りません。適正規模を超えて子どもをどんどん受け入れたら、「ゼロ」になるわけですから。

4~6年生でも学童保育を必要とする家庭はあるのに申請を諦めているというケースも聞きます。高学年だからこそ、一緒に成長してきた仲間との時間は大切です。災害・事故に遭うリスクを考え、学童保育にいてほしいという保護者もいます。しかし、現状は低学年が優先され、学童保育を必要としている子どもが必要な期間、通い続けられているのか疑問です。
少子化や財政難などを理由に、新たな施設の整備に消極的な自治体は多いですが、必要とするすべての子どもが通え、安心して過ごせる環境にするには、整備はまだ必要だと考えます。将来的に高齢者施設に転用するなど長期的な視点を持てば、方法はあるのではないでしょうか・・・

暑いですね。

2026年8月2日   岡本全勝

このホームページは、季節の便りは期待されていないと考え、あまり取り上げないようにしています。とはいえ、この暑さ・熱さは、書かずにおられませんね。

みなさんは、どのように過ごしておられますか。
屋外で仕事をしている人は、大変です。郵便配達、新聞配達、宅配便の方と話すことがありますが、同情します。送風機付きの上着を着ている人もいます。熱中症にならないようにしてください。熊本地震の避難所も大変でしょう。

東北地方は天候不順のようですが、東京は毎日、カンカン照りです。ゲリラ的な豪雨もあるのですが、我が家の周辺はそれも少ないです。玄関横の椿と夏椿は大丈夫なのですが、鉢植えの椿が葉をたくさん散らしてしまいました。今日は雨が降るだろうと思って、水やりが足らなかったようです。ごめん。

朝の冷たいシャワーが気持ちよいです。私は、主に書斎で原稿執筆です。冷房は嫌いなのですが、そんなことは言ってはおられません。
7月半ばに、アメリカから帰ってきた孫(1歳と0歳)が、保育園は8月からでないと入れてもらえないので、嫁の実家と分担して面倒を見ています。早朝に日陰を選んで、乳母車で散歩に行きます。二人は別々なので、2往復。昼には、区役所がやっている一時預かりも活用。帰ってくると、もう一度シャワーを浴びます。土曜日午前中は、近くに住む別の3歳の孫と公園へ。
夜の冷たいビールもおいしいです。孫の相手で体重も減り、調子はよいのですが。

原稿執筆は、はかどりません。早起きして、あるいは孫たちが寝ている隙間に、執筆しています。右筆の協力を得て、連載「公共を創る」は、9月3日号までゲラになりました。
本を読む余裕はなく、切り抜いた新聞は溜まり、読もうと取ってある資料も片付きません。