ディスプレイの買い換え

家のパソコンのディスプレイ、画面全体で点滅が始まり、そのうちに暗くなってしまいました。時々つくのですが、チラチラして仕事になりません。職場で使っている私用ノートパソコンを持ち帰っていましたが、面倒だし、画面が小さいので原稿書きに困るのです。
いつものように社長に相談したら、ディスプレイが壊れたとの診断で、買い換えることにしました。パソコンは2022年に買い換えましたが、ディスプレイはどうやら2012年から使っていたようです。耐用年数を超えたということですね。

社長に機種を選んでもらい、インターネットで注文したら、翌日届きました。早いものですね。配線をつないだら、ちゃんと機能しました。
取扱説明書は入っていません。「インターネットで会社のホームページで見てください」とのこと。なるほど。紙でもらっても、その後の保管が難しいのですよね。パソコンの「お気に入り」にURLを保存しました。便利です。
パソコンが壊れて買い換えた人は見ることができないので、どうするのかと心配になりましたが、スマートフォンで見るのでしょうね。

去年は落雷で、インターネットがつながらなくなりました。いろいろな不都合が起きるものです。
次は、壊れたディスプレイを、資源有効利用促進法・家電リサイクル法に沿って処理することです。
これも、捨てるディスプレイの販売元のホームページで、無料で引き取りに来てくれる手続きをしました。翌朝、宅配業者が引き取ってくれました。便利なものです。

人生100年時代構想会議

日経新聞夕刊連載、エッセイスト・酒井順子さんの「老い本の戦後史」は、時代時代に売れた「老いの本」を取り上げ、その変化を分析するものです。
「孤独に死ぬのが怖い。老いて子に迷惑をかけるのが恐ろしい。そんな老いの不安と向き合うエッセイやハウツー本が書店で売れている。戦後のベストセラーを時代ごとに読み解いていくと、高齢者と家族が抱える悩みの移ろいが見て取れる。エッセイストの酒井順子さんが解説する」
時代の変化や国民の意識の変化が、よくわかります。

8月20日は、2000年代のベストセラーで「「何がめでたい」 老後の生活不安が生んだ」でした。
そこに、2017年に、安倍晋三首相が「人生100年時代構想会議」を発足させたことが指摘され、内閣府に「人生100年時代構想推進室」の看板を掛ける写真が載っています。
そういえば、そのような政策取組もありましたね。皆さんは覚えていますか。そしてどのような具体政策が実行され、どのような成果があったかを。
ウィキペディア

歩きスマホに見る日本

鉄道各社が「やめましょう、歩きスマホ。」キャンペーンを実施しています。共通ポスターは、わかりやすいです。みんなが、スマホをのぞき込みながら歩いています。私は、この光景が今の日本を象徴しているように見えます。そして未来をも。

1「いま、ここ、わたしだけ」
スマホを見るのはとがめませんが、歩きスマホはやめて欲しいです。危ないです。
他人のことを気にかけず、自分の興味を優先する。それは、歩きスマホだけでなく、電車の中でもです。足の不自由な人や高齢者が乗ってきても、気づかず、知らんふりをして、画面に夢中になっています。困ったことです。

2 姿勢の退化
人類の進化を示す図があります。猿が、手を握って地面につけて歩きます(ナックルウオーク)。類人猿しだいに立ち上がり、猫背で歩きます。そして人類が直立歩行をします。その姿を、側面から図示したものです。
ところが、歩きスマホは猫背になって、人類が退化しているように見えます。超長期には、このようになるのでしょうか。

3 思考の変化
スマホ画面に夢中になるのは、人間の興味を引きつけるような内容だからです。刺激の連続です。そこには、ゆっくりと考えることがありません。また何かに悩んだときに、考える前にスマホで検索します。一定の答えが出ます。それは、まちがいかもしれません。しかしそれで満足して、それ以上の考えには進みません。
若者が新聞や本を読めなくなったとも言われます。スマホに依存することで、「待つ」ことができない人間も増えるでしょう。
川北英隆先生「スマホ見歩きのマイナス効果

自民党と官僚の協働の揺らぎ

8月18日の日経新聞経済教室、五百旗頭薫・東京大学教授の「政官の知恵を生かす体制とは」から。

・・・1990年代に自民党は下野し、一連の政治改革が行われた。小選挙区を中心とする選挙制度を衆議院に導入して政権交代の可能性が高まり、また首相・官房長官と官邸官僚のチームによる官邸主導でトップダウンの統治が可能となった。
だがこれまでのところ、自民党または自民党を中心とする政権が長く続いている。選挙制度の影響で野党が分裂しやすいことに加え、自民党の党内ガバナンスが野党よりも相対的に強固で、首相の性格と状況に応じて「与党事前審査制型」と「官邸主導型」の2種類の政官ミックスを使い分けられるからでもある。これを戦前とは形を変えた一国二制度と考えれば、その慣性は実に強いといえる。

ところが今、一国二制度の脈動が停止し、凍りついたかのような感覚がある。一国二制度の前提が揺らいでいるからではないか。
第1に、エリート間の信頼が弱体化している。既成エリートを激しく批判する新しい政党が台頭し、自公は衆参両院で少数与党に転落した。第2に、官僚の統治能力の優位が縮小した。予算と人手が削られ疲弊している上に、急拡大中のデジタル経済ではプラットフォーム企業の持つデータとノウハウにかなわない。
第3に、文明化の内実が変容している。インターネットで情報が大量に生産・拡散され、私たちの深く理解して覚える努力と確実な典拠で確認する意欲とを圧倒しがちだ。文明の理性的側面が空洞化しつつある。

第1の変化に対しては、正確な将来見通しをもとに、世代間で公平な負担を求めることでエリートへの信頼を回復すべきである。
第2の変化に対しては、官邸への忖度と国会対応から官僚を極力解放して中立性を高め、官民人事交流による民間の人材・知識の吸収を促すべきである。既存メディアがこれらの動向を冷静に論評・報道することが、第3の問題への対応となろう。

いずれも即効性はなく、ポピュリズムが一度勝利する時が来るかもしれない。ただ私は、一国二制度がまた本能的に脈打ち始める時も来ると思っている。その時に向けて、ポピュリズムに不安を抱く国民の受け皿として、先述した3つの柱を備えた政治社会を用意しておいたほうが心臓によかろう・・・

イギリス政党の混迷

若松邦弘著『わかりあえないイギリス 反エリートの現代政治』(2025年、岩波新書)を紹介します。議会制民主主義、そして二大政党が交代で政権を担う「手本」とされるイギリスで、大きな変化が起きています。戦後は、保守党と労働党の二党が、支持基盤もはっきり分かれ、政策も多くの点で共有しつつ対抗してきました。ところが、支持基盤が揺らぎ、また二大政党が有権者を分け合うことも崩れつつあります。

かつては、二大政党は、経済的な社会勢力の違い、階級を代表していました。そこに、第2の軸として、保守とリベラルという社会文化的な対立が出てきているのです。二大政党の指導者たちエリートに対する、地方からの反感が出ているようです。事前の予想を裏切った、EU離脱がその象徴です。そして、社会の分断が大きくなっています。その一つの要因が、移民の増加です。イギリス政治のこの20年の動きは、そんな簡単なものではないのですが。詳しくは、本をお読みください。近藤康史著『分解するイギリス―民主主義モデルの漂流』(2017年、ちくま新書)も、よかったです。

私は、連載「公共を創る」の執筆で、近年の日本の政治、行政、経済、社会の停滞を論じていて、いまはちょうど政党を書いているところです。
アメリカはまだ二大政党が頑張っているようですが(とんでもない主張をする大統領が選ばれていることはさておいて)、西欧諸国では21世紀に入ってから、従来の政党地図が書き換わり、有権者の意識も大きく変化しているようです。

それを見ると、イギリスの変化も、日本の政党の諸課題も、同じような歴史の流れにあるのかもしれません。社会の変化で、二大政党制を目指すことが難しくなっているのでしょうか。そうだとしても、日本の各政党は、どのような社会集団を代表して、どのような社会を目指しているのでしょうか。その点で、イギリスの各党は、支持者獲得・拡大のために、政策を練り、他党との違いを際立たせています。また、地方組織、地方議会を通じて、支持者を獲得しようとしています。日本の政党には、その努力が見えないのです。