「シン・みらいチャレンジプログラム」記者発表2

シン・みらいチャレンジプログラム記者発表」の写真です。
隣の2人は、大熊町でキウイ栽培に挑戦する株式会社 ReFruitsを立ち上げた若者です。まだ大学生なので、緊張していますかね。話は、堂々としていました。
着ているシャツは、彼らが作るキウイを宣伝するものです。ご関心ある方は、応援してください。

連載「公共を創る」第179回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第179回「政府の役割の再定義ー公務員の「身分」を巡る考察」が、発行されました。前回では、職務の専門性について議論しました。そこには、政策分野の専門性とともに、どの分野にも共通する定型的な専門性があることを指摘しました。
今回は、原点に戻って、公務員と民間企業の会社員や非営利団体の職員との違いを考えてみます。

国家公務員と地方公務員は採用と法的身分に特徴があります。国家公務員法は「身分」という言葉も使っています。また企業活動から隔離することがうたわれています。しかし、民営化や民間委託が進むことで、公務員と会社員の業務がさほど異なったものではないことが明らかになりました。また、非常勤職員や任期付き任用職員が増えました。民間企業に勤めながら非常勤職員として採用されている人もいます。逆に、企業や非営利団体に派遣される公務員も増えています。
公務員への労働基本権の一律制限も、おかしなことです。企画部門や調査統計部門の職員がストをしても、国民生活に直ちに重大な支障がありません。コロナ禍で分かったことは、保育所、介護施設、学童保育施設職員がストをしたら、大きな影響があります。電気、ガス、通信、金融が止まると生活と経済活動に支障を来します。公務員だからという規制ではなく、業務に応じた規制をすべきです。

公務員と民間人を分ける考えは、公私二元論に引きずられた、古い思想です。

ボーゲル氏が指摘した日本社会のリスク

3月5日の日経新聞に、小竹洋之・コメンテーターの「さらばJTC、今度こそ 株高を経済再生の追い風に」が載っていました。
・・・「アフター2.22」――。日経平均株価が34年ぶりに最高値を更新したその日に、日本は生まれ変わったかのような喧噪ぶりである。ユーフォリア(陶酔)とは言わないまでも、どこか浮ついたムードが漂う。
企業の稼ぐ力や経営効率が高まり、世界の投資家から一定の評価を得ているのは喜ばしい。賃金と物価の上昇にも好循環の兆しが見られ、バブル崩壊後の長き経済停滞から抜け出すチャンスをつかみかけているのは確かだ。
それでも旧態依然の伝統的な企業を「JTC(ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー)」と揶揄する声はやまない。国内総生産(GDP)で世界4位に後退した「ジャパン・アズ・ナンバーフォー」の現実が、一夜にして覆るわけではない・・・

原文をお読みいただくとして、ここでは、最後についている警告を紹介します。
・・・米社会学者のエズラ・ボーゲル氏が1979年に出版した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は、日本の戦後復興の秘訣を明らかにするとともに、そこから米国が学ぶ際のリスクにも言及していた。①個性や創造性の圧迫②異端者や少数者の冷遇③転職や離婚が招く苦難④外国の製品や人材を締め出す愛国主義⑤完全な合意形成を求めるが故の膠着――である。
私たちにとっては、今も耳が痛い指摘ばかりだ。日本の再生に求められるのは、企業の変革だけではあるまい。広い意味でのJTC、つまり「ジャパニーズ・トラディショナル・カルチャー」のあしき部分との決別ではないのか・・・

「シン・みらいチャレンジプログラム」記者発表

サントリーの支援事業「シン・みらいチャレンジプログラム」、先日、支援先を決定しました。今日3月7日は、福島県庁での記者発表に行ってきました。「助成先一覧

この助成事業は、被災地での地域活性化を目的としています。私は、具体的には、「産業振興」と「孤立孤独対策」の二つを主眼に置いています。日本全国の過疎地域で、働く場所がなくなることと、孤独孤立が進んでいます。それが被災地では急速に顕在化したのです。「助成先概要」を見ていただくと、その二つの課題を理解していただけると思います。
ご近所の方、ご関心のある方は、ぜひ活動現場を見てください。

昨年までは各年ごとに選んでいましたが、今年は3年継続も対象としました。サントリーが、資金だけでなく、寄り添って支援してくれます。ありがとうございます。
福島は、昨日降った雪が残っていました。
その2

経済成長期の東京、スラムの新築

朝日新聞土曜日別刷り連載、原武史さんの「歴史のダイヤグラム」。鉄道を切り口にした、歴史や社会の切り口が興味深く、毎週楽しみに読んでいます。
3月2日は「焦土から木造アパートへ」でした。東京の中央線沿線が、空襲によって焼け野原になったことが取り上げられています。そこに、戦後の風景が描写されています。

次に引用するのは、その後のことです。
・・・もちろん年月が経つにつれ、中央線の沿線でも再び宅地化が進んだ。だが55年ごろからは、「木賃(もくちん)アパート」と呼ばれる木造2階建ての賃貸アパートが急増する。それらは東京西郊に当たる山手線の外側の区域に帯状に建てられ、高度成長期に上京してきた大学生や労働者が多く住むようになった。

社会学者の加藤秀俊は、66年に北米を旅行して帰国した直後に新宿から中央線に乗ってみて、その風景に驚いた。国立の一橋大学に通っていた頃とはあまりにも違う。「いま眼に映るのは、住宅というにはあまりにお粗末な木造アパートである。かつてあった住宅は取りこわされ、六畳一間のアパートがそのかわりに出現しているのだ」(『車窓からみた日本』)
北米の住宅を目にしてきたばかりの加藤にとって、「この住宅地は、あまりにひどすぎる」(同)と映った。「はっきりいって、日本人は、スラムを“新築”しているのである」(同)
表面上の高度成長とは裏腹の現実を、加藤は中央線の沿線に見た。敗戦から20年あまり経っても、日本は真の復興を果たしていないのだ。「中央線の車窓の第一印象は、こんなわけで、いささかの怒りと悲しみをともなうのであった」(同)・・・