経済成長期の東京、スラムの新築

朝日新聞土曜日別刷り連載、原武史さんの「歴史のダイヤグラム」。鉄道を切り口にした、歴史や社会の切り口が興味深く、毎週楽しみに読んでいます。
3月2日は「焦土から木造アパートへ」でした。東京の中央線沿線が、空襲によって焼け野原になったことが取り上げられています。そこに、戦後の風景が描写されています。

次に引用するのは、その後のことです。
・・・もちろん年月が経つにつれ、中央線の沿線でも再び宅地化が進んだ。だが55年ごろからは、「木賃(もくちん)アパート」と呼ばれる木造2階建ての賃貸アパートが急増する。それらは東京西郊に当たる山手線の外側の区域に帯状に建てられ、高度成長期に上京してきた大学生や労働者が多く住むようになった。

社会学者の加藤秀俊は、66年に北米を旅行して帰国した直後に新宿から中央線に乗ってみて、その風景に驚いた。国立の一橋大学に通っていた頃とはあまりにも違う。「いま眼に映るのは、住宅というにはあまりにお粗末な木造アパートである。かつてあった住宅は取りこわされ、六畳一間のアパートがそのかわりに出現しているのだ」(『車窓からみた日本』)
北米の住宅を目にしてきたばかりの加藤にとって、「この住宅地は、あまりにひどすぎる」(同)と映った。「はっきりいって、日本人は、スラムを“新築”しているのである」(同)
表面上の高度成長とは裏腹の現実を、加藤は中央線の沿線に見た。敗戦から20年あまり経っても、日本は真の復興を果たしていないのだ。「中央線の車窓の第一印象は、こんなわけで、いささかの怒りと悲しみをともなうのであった」(同)・・・