他自治体からの被災地への職員応援

能登半島地震の被災自治体に、他の自治体から職員が支援に入っています。報道でも取り上げられています。

「能登半島地震の被災地では、少なくとも1千人超の自治体職員が全国から集まり、被災自治体の業務を支援している。派遣先は主に、「対口(たいこう)支援」の方法で割り振られた。災害が続く近年、経験の共有とともに、自治体同士がスムーズに支援し合える取り組みが進む・・・」1月26日の朝日新聞夕刊「つながり深まる自治体支援 能登へ職員派遣 全国から1千人超、国が橋渡し

「能登半島地震からの復旧に向け、被災自治体ごとに支援役の自治体を割り振る「対口(たいこう)支援」が採用されている。ペアになることで役割を明確にし、やりとりを円滑にする狙いがある。サポート体制を強化するには災害に強い人材の育成も必要になる・・・」1月29日の日経新聞「被災地と支援自治体をペアに 役割明確化

被災自治体では突然に膨大な、そして経験したことのない仕事が生まれます。被災者支援、避難所運営、がれき片付け、仮設住宅斡旋、町の復旧などなど。国も支援に入りますが、自治体事務は自治体職員が慣れています。
東日本大震災から、他の自治体が応援職員を派遣することを本格的に始めました。姉妹盟約を結んでいる自治体同士もありますが、総務省が斡旋する仕組みを作っています。「被災地方公共団体に対する人的支援の取組」。制度の解説とともに、実際の活躍風景を載せてくれると、わかりやすいのですが。

我慢する

フランス語に「我慢する」はない」の続きです。肝冷斎に教えてもらいました。

「がまん」は日本人が母語として、しかもかなり幼いころから違和感なく使うことばです。しかし、漢語でしかもサンスクリットの意訳です。
漢語の原義では、「我慢」は「慢心」の一種で、「自分に固執して他者を見下す思い上がり」というような意味です。「自慢」も同じ意味です。
「慢」(まん)はサンスクリット「マーナ」の音訳で、思い上がりの心だそうです。

それが、近世に「がまんを無くせ」が「がまんしろ」になり、「がまん」がほぼ反対の意味に転換してしまいました。

これもまた、専門家を知人に持っていると得をする例です。

難民申請者、滞る公的保護

1月23日の日経新聞に「難民申請者、滞る公的保護 来日増で手届かず「野宿」も」が載っていました。

・・・難民認定を申請中で困窮する外国人に対する公的補助が滞っている。こうした人には「保護措置」として国が最低限の生活費などを支給するが、決定まで半年以上かかる例が後を絶たない。新型コロナウイルス禍の入国制限が緩和され、対象者が急増したためだ。民間団体の支援からもこぼれ、野宿を余儀なくされる人もいる・・・

こんなことが起きているのですね。本文をお読みください。

鎌田先生の解説、能登半島地震の仕組み

今回の能登半島地震では、場所によって4メートル隆起し、240メートルも海岸線が沖に広がったそうです。東日本大震災では、沿岸部が1メートルも沈下しました。何が違うのか、どうしてこのようなことが起きたのか。専門家の鎌田毅・京都大学名誉教授に教えてもらいました。専門家を知人に持っていると、得ですね。
その内容が、『中央公論』3月号に掲載されています。「盲点だった日本海側の防災対策 能登半島地震から何を学ぶべきか」

詳しくは記事を読んでもらうとして。東日本大震災と能登半島地震では、仕組みが違うのです。前者は沈み込むプレートが跳ね上がることで起き、後者はプレートがぶつかることで起きます。なるほど、それで一方は沈下し、他方は隆起するのですね。

能登半島は年平均で約1~1・5ミリメートルの速度で隆起していると考えられてきたのですが、今回の地震で4メートル隆起したことで、ゆっくり時間をかけてではなく3000~4000年に一度、大地震が起き、そのたびに大きく隆起したと考えられます。
能登半島の海岸には「海成段丘」(海岸線に発達した階段状の地形で、平たんな台地(段丘面)と前面の崖(段丘崖)の組合せからなる)が発達していて、輪島市や珠洲市の海岸線沿いには、3段確認されています。段丘が3段あることは、過去に大地震が3回起きたことを意味します。
私たちは、その数千年に1回程度の現象に遭遇したのです。

素人にもよくわかる解説です。ご一読をお勧めします。

評価の役割、育てる

1月16日の日経新聞教育欄に、山内洋・大正大学教授の「「実学」としての文学 自己認識深め学生成長」が載っていました。

そこに、卒論指導の話が書かれています。学生が4年次の1年間をかけて卒論を書きます。秋学期には教員の助言だけでなく、学生間の相互評価や自己評価をするとのことです。

・・・かつて「評価」は、それぞれが在籍する学びの段階から次の段階へ向けての保証書・パスポートとしての意味が最も大切な役割だった。むろん今でも教育目標に照らして成績をつけることは授業者の責任である。
しかし、現在の教育改革の本旨が一人ひとりの「生きる力」を養い、この社会を支えていく基盤をつくることにあるなら、学生が教員評価や他者評価を通じて時に過剰な自己否定感や自己肯定感を、よりバランスのよいものに修正していく力をつけていくことこそが重要である・・・

「コメントライナー」2023年2月13日「人事評価、職場と職員を変える手法」で、人事評価の複数の機能を説明しました。
その一つが、職員の能力と業績について、足りない点を確認することです。
学校の入学試験は入学者を選別するためのものですが、期末試験は学生の到達度を測るものです。どこができなかったかを知り、その欠点を補習して、穴を埋めます。職員との期末面談は、この機能があるのです。