サントリーの地域で頑張る活動支援審査会

今日2月7日は、サントリーの支援事業「シン・みらいチャレンジプログラム」審査会に、福島市に行ってきました。
サントリーが、東日本大震災被災3県で、地域の再興を目指す活動を支援しています。今回から始まる第2期は、単年度だけでなく、3か年継続事業も支援します。

今回も、選定に悩みました。応募案件は、それぞれ地域の課題を解決しようと、意欲ある人たちが考えたものです。多くの案件は、すでに取り組んでおられます。その方々の努力に頭が下がります。

3人の審査員の結果を持ち寄ると、3人が一致して採択した案件がある一方で、一人ずつバラバラのものもありました。審査員の意見が異なるのは、よいことですよね。それぞれの案件ごとに、推薦の意見と反対の意見を出し合って、採択案件を決めました。来月には、発表の手はずです。
サントリーみらいチャレンジプログラム2024

人生の意味は誰が決めるのか

1月18日の日経新聞夕刊1面コラム「あすへの話題」は、森岡正博さんの「人生の意味は誰が決める」でした。

・・・自分の人生に意味があるかどうかは、その人生を生きている本人が決めればいいことだろうか。それとも、誰の目から見ても意味のない人生というものがあるのだろうか。これは悩ましい問題である。
日本で問いかけると、多くの人たちは次のように答える。「自分の人生に意味があるかどうかを決めるのはその本人なのであって、他人からとやかく言われる筋合いのものではないのだ」と。
だが、現代の哲学者のあいだでは、そのように考えない人のほうが多いと言えるだろう・・・
そして、次のような問題提起がなされます。
「一日中、マリファナを吸ったり、クロスワードパズルを延々とし続けることは、その人の人生に意味を与えない。ヒットラーの人生には大きな意味があったと認めるのか」
詳しくは原文を読んでいただくとして、難しい問題です。

どうやら、ここで問われている「意味」には、二つのものがあるようです。一つは、本人が考える意味。もう一つは、社会が認める意味です。
しかし、人は一人で生きているのではなく、社会の中で他者との関わりの中で生きています。意味もまた、社会との関わりの中で見いだせるものであって、個人で見いだせるものではないでしょう。参考「公共を創る」第54回。宇野重規著『〈私〉時代のデモクラシー』(2010年、岩波新書)

かつては、人生の意味は神様が与えてくれました。また、職業選択の自由がなく、食べるのに精一杯の時代では、人生の意味に悩んでいる時間はありませんでした。自分の人生を自ら選ぶことができるようになって、このような悩みが生まれました。

私は、人生の意味は、毎日を精一杯生きること、そして人生を続けていくことで、できてくる、見えてくるものだと考えています。この項続く。

東京、久しぶりの積雪

東京では、5日の午後から降り始めた雪は、夜に入っても続きました。
久しぶりに雪かきをしなければと、スコップを取り出しました。古くなったのが壊れて、数年前に買い換えたのですが、まだ使ったことがありません。それだけ、積もらなかったということです。

夜のうちに一度やっておけば、明日朝に楽ができるかなと思いましたが、20時頃はまださほどの深さでなく、かつ降り続いていたので、断念。雷も鳴っていました。
朝4時に起きて窓から見ると、結構積もっていました。10センチほどでしょうか。気象庁の発表では、東京都心は7センチとか。
5時から、家の前の道路の雪かきをしました。これで、歩きやすくなります。

今のところ、腰痛も出ていません。これが心配でした(苦笑)。明日に出るかな。

『科学者マイケル・ポランニー』

中島秀人著『科学者マイケル・ポランニー: 暗黙知の次元を超えて』(2023年、河出書房新社)を紹介します。宣伝文には「『暗黙知の次元』で科学哲学者として知られるM・ポランニーは、天才が集中的に登場した「ハンガリー現象」の中心で独創的な仕事をした物理化学者だった。その科学者としての足跡を活写」とあります。

マイケル・ポランニーは、ハンガリー生まれの化学者です。ハンガリー語は日本語と同じく姓名の順なので、本名はポラーニ・ミハーイです。一般には、著書『暗黙知の次元』で有名です。経済人類学で有名なカール・ポランニーの弟でもあります。

「ハンガリー現象」とは、1880年からの約20年間に生まれた世界的に有名な科学者にハンガリー出身が多いことです。アメリカの原爆開発にかかわったレオ・シラードやユージン・ウィグナー、また流体に生じるカルマン渦を解明したセオドア・フォン・カルマン、現在主流のコンピュータの原理を据えたジョン・フォン・ノイマンらです。「科学者としてのマイケル・ポランニーと「ハンガリー現象」【著者に聞く】
もっとも、この本を読んでも、なぜこの時期のハンガリーに集中したのかは、分かりませんでした。政治の抑圧が弱まり、経済が急速に発展した時期であったようです。それぞれの国に、経済、文化、科学が花開く輝かしい時代があるようです。

私がこの本を読もうと思ったのは、もう一つあります。著者が「暗黙知と訳されているが、ポランニーの原著では「暗黙の次元」となっていて、暗黙知とは言っていない」と指摘してたからです。『暗黙知の次元』は、途中で挫折しました。で、参考になると思ったのです。再挑戦しましょうかね。